おはようございます。けうです。
今日からはまたちょっと哲学を身近にする内容にしていきたいなと思います。
今までマーケティングでしたが、何か一つを学ぶのには一人の参考にしたい人の思考を学ぶ。
そして、それについてよく考えるのは哲学的だと思ったので、それを実行してきました。
まだ他にも学びたい分野はあるので、またマーケティング論みたいなことはするかもしれませんが。
私の根本にはショーペンハウアーの思想があると思っています。
何かを考える時には、自分の根本にしないと考えることができない。
そして、私は好きなことならたくさん語れるんですよね。
それがやっぱり哲学なのかな、と思いました。
kindleとブログ
昨日ちらっとkindleの話をしましたが、kindleのやり方の講座を購入したので、kindleは近いうちに実行します。
というのは、私は最近ブログのことも勉強してきていて、私が書いた哲学ブログの内容はネットで上位に表示することが難しいと思いました。
何かを説明する場合はいいんです。
たとえば、レヴィナスの顔とかは検索上位にいくことができていました。
次からも、説明をたくさんしているような哲学記事は普通にブログの方にアップしていきます。
でも、まるっきり私の思想を絡めてある場合。
例えば、ショーペンハウアーの考え方だとか、プラトンやこの時代のイデアの捉え方だとか、ソクラテスを詳しく扱った物、詩についてかいた文章などはどんなに題名をがんばったとしても、検索に上位に位置させることは難しくなってきます。
みんながその用語自体を調べないし、明確な言葉になっていない、またはその言葉自体が広がっていないものだからです。
そして、そもそもの検索を考えてみます。
みんなが検索をかけるときというのは、何かについて知りたくなったときです。
悩んだ時が主かもしれないですけど、そんなときに自分の中で浮かんだ用語に対して検索をかけます。
そして、答えを求めて検索をかけるんです。
でも、哲学は過程です。
明確な答えをズバッと言う場合、それはもう思想になってしまっているんです。
思想としての材料を手にいれて自分で哲学をすることにはなると思うんですが、私が提示しているのは主に哲学の材料ではなくて、その過程を提示しているように思います。
他の人にとっては材料になってくれればいいなとは思うんですが。
哲学しようよ。
という文につきるのですが、自分の考えを表現していくのは楽しい。
そんな実践的な哲学を私は提示したいと思っています。
今のところ、自分がたりになっていますが、また哲学の材料になりそうな思想や用語はここでも紹介していこうと思っています。
ショーペンハウアーは言うんです。
読書は材料がなくなったときに試みるべきだって。
私はマーケティングの知識がなかったということは、材料がなかったからずっとそれを読んできて少し哲学と絡めながら話してきました。
また哲学も今はちょっと材料が少ない状態なので、本を読みながらそれを紹介したいと思います。
私は自分の哲学を実践的なものにしたいと思っているからです。
それには時代と絡める必要があると思っています。
マルクス・ガブリエルから合理性を考える
例えば、今回はマルクス・ガブリエルさんの新時代に生きる道徳哲学の考え方を紹介します。
今の環境をどのように考えればいいのか、といった題です。
この一章で、彼は合理性とは何かを説明しています。
合理性とは、不健全な極論と極論の間で、中庸を見極めることだと述べます。
合理性の語源が理性で、理性は極端なものと極端なものの間にあるからだそうです。
それを自分に当てはめて合理性に基づいて判断するとどうなるのか。
例えば、お店でマスクをしない人にあったとします。
今は8割の人がマスクをして2割の人がしない状況だそうです。
では、私は2割の人に向けてマスクをして!と言うべきかどうかを考えます。
この合理性に基づくと言うべきか、言わないべきか、を考えてみて下さい。
このヒントとしては、マルクス・ガブリエルは物事を1から10の段階で見ていこうといいます。科学主義、衛生主義、なにか一つの主義に徹することは1か10に属します。
でも、合理性はその中庸です。
つまり、マスクをするという倫理的で科学的な知識はあるものの、その主義に反する科学的知識を私たちは持ち合わせています。
今のところの科学的知識だと、マスクをしていても効果が得られない、という見解もあります。もし、マスクをしていない、というだけで非難するのであれば、それを非難するときに私たちは1か10の極論を選んでいるということになります。
もし、科学が進んでマスクをすることは科学的知識において確実に必要だとなったら見解は変わると思うのですが、今のところしない理由にも納得する理由があります。
もしかしたら、はしって息が切れているからマスクを外しているだけということもあります。
また自己紹介だったら、顔をみせて覚えてもらうことのほうが上にくる場合だってあります。
一つの基準だけを適用してしまうと、それは合理性に基づかない、ということです。
かといって、意見を言うなといっているわけでもないんです。
マスクをしていない人はこちらの考え方を知らない可能性があるから、非難ではなくて意見を伝えるということはあります。
だから話し合いが大事というのはあります。
私がこうやってラジオを伝えているのも、一つの意見をいっていることになります。
ただ、お互いの意見を聞いたとしても、それは平行線上ということは多々あるということですね。
おそらく、それが多様性を受け入れることでもあるんだと思います。
だから、多様性は自分にとっては受け入れにくいこともあるのではないかな、と。
平行線は交わらないことがある。
身近な哲学とは
こうやって実践的に考えていくことが私が推奨する哲学かな、と思います。
私はショーペンハウアーやマルクス・ガブリエルさんの本を読むんですが、彼らに共通しているのは哲学を身近にするという概念です。
そして、私はそういった概念を考える時に自分の思考を書きたくなってきます。
合理性に基づいていろいろと考えていけたら、みんなにとっての過ごしやすい世の中になるのではないかな、とも思っています。
では、今日もお聞きいただいてありがとうございました。