「現代に生きる人間の倫理」
第5節「人間への新たな問い」
1.フロイトと無意識の発見
>>8.キルケゴールと質的弁証法
>>9.ニーチェとニヒリズムの処方箋
>>10.ヤスパースと哲学的信仰
>>11.ハイデガー「存在と時間」を読むステップ紹介
>>12.サルトルの実存主義の引き受けとは
- フロイトと無意識の発見
- フロイトと第二局所論
- フロイトとユング
参考文献 「フロイト入門」中山元、「無意識への扉をひらく ユング心理学入門1」林道義、「心理学用語大全」田中正人 齊藤勇、「
フロイトと無意識の発見
精神分析学の創始者フロイト(1856-1939)。
フロイトが無意識を発見するにいたった過程を追っていきます。
無意識が発見される前の奇妙な話。
ニーチェ「神は死んだ」と騒がれた後。
近代以降の時代は神の影に支配された時代でもありました。
なぜ神の影かといえば、理性の万能を信じていたのに、その理性が裏切られるような出来事が頻発したからです。
自分や隣人の子どもたちを食べた事件。
ある羊飼いが幼子を食べた事件。
近親相姦(インセスト)、父親殺し(パリサイド)、人肉食(カニバリズム)などが、理性によって制御できない形で出てきていることがわかったのです。
犯罪者たちに共通していたのは、精神の錯乱やそのような動機が確認されなかった点。
「‐理性に代わって人間の心を支配しているものは何だろうか。フロイトはそれを無意識と名づけた(フロイト入門)p13」
フロイトはそれらを無意識で説明した
時代背景的にも無意識を受け入れやすい土台ができていました。
では、具体的に無意識の発見を見ていきます。
フロイトの治療理論
フロイトの精神分析は、「人間の精神をつかさどる魂」を分析することで治療しようとする試みを示すものでした。
それは科学的な治療とは異なり、キリスト教的な悪魔祓いの伝統から生まれた治療方法。
特にヒステリーという病を、暗示の力によって治療できるとするもの。
フロイトは心の病は身体ではなく、精神に働きかけることで治療ができると考えたのです。
- 防衛⇒アンナが家庭教師に不快感を抱いていたことを意識していない
- 転換⇒心の不快感が容量オーバーして、身体的な「水を飲めない」という症状になった
アンナは家庭教師への不満を催眠状態で吐き出した後、水が飲めるようになりました。
防衛、転換という見解は他の医師にも共通していた治療法です。
しかし、フロイトはさらにその防衛の根拠に迫りました。
フロイトは「性」に原因をみたのです。
なぜアンナが家庭教師に不快感を抱いたのかを分析。
アンナは家庭教師に父親を取られると思っていて、初めから家庭教師に対して敵対感情を抱いていた、とフロイトは推論したのです。
防衛の奥には、アンナが父親との近親相姦的な愛情を強く持ち、それに対する罪の感情があったのだと結論づけました。
アンナは水が飲めない症状の他にもいろんな症状がでていて、多くはその近親相姦的な愛情に由来していた
フロイトの第一局所論
フロイトはヒステリー症状の女性の患者たちを元に、心のモデルをつくりました。
心を意識・前意識・無意識という3層にわけて理解したのです。
(中心が無意識、次の層が前意識、表面の層が意識のイメージ)
第一局所論⇒心には意識・前意識・無意識の3層がある
心の外傷は無意識にしまいこまれます。
けれど、無意識は常に意識の中に入り込みたがっていて、身体的な行動に現れるのです。
その身体的な行動が病気にまで達したときに、治療を受けます。
治療では、まず無意識を前意識(催眠状態、癖など)で発見し、そこから意識に移していく。
例えば、モデルとして喪とうつ病を考えてみます。
喪とうつ病
- 喪⇒大切なものを失ったなどと説明がつくもの。
喪に服すというように、誰にでもあり、ないほうがおかしいと思われる失意や悲しみ - うつ病⇒本人が何を喪失したのか気がついていない。
理由がわからないので謎めいた印象
患者が喪失したもの(無意識)を前意識をヒントに、意識に立ち上がらせることが神経症の治療法となっていたのです。
ヒステリーを始めとする精神疾患は、無意識と前意識の葛藤のうちで生じるわけだから、この葛藤をなくしてやれば、病が治療されることになる。
(フロイト入門p173)
フロイトの夢治療
第一局所理論(意識・前意識・無意識)に基づいて、フロイトは夢に注目しました。
無意識は捉えることが難しい。
その無意識を前意識の影響力に服させる方法は何か?
人は夢を見ている状態にあるときには、「防衛機能」が働かない、とフロイトは考えました。
今までの談話療法や催眠療法に加えて、夢診断もフロイトは付け加えました。
夢や談話などを通して患者の症状が良くなれば治療は完了。
しかし、これだとまだ欠点があります。
いくら患者が語ってくれたとしても、何が症状を良くしたのかがわからないのです。
それは信仰だったり、理論だったり
フロイトは「性的欲動(リビドー)」に注目した
エディプスコンプレックス
フロイトは本能的なエネルギーをリビドー(性的欲動)と呼び、リビドーが人間の主な原動力だと考えました。
そして、症状特定に役立つように、赤ん坊の頃からリビドーを理論立てていったのです。
リビドー(心理学用語大全 参照)
- 口唇期(0-1才、口唇で乳を吸うことにリビドーを感じる)
- 肛門紀(1-3才、排せつすること、我慢することにリビドーを感じる)
- 男根期(3-6才、自分の性器にリビドーを感じる)
- 潜伏期(6-12才、一時的にリビドーが抑えられる)
- 性器期(12才-、生殖が目的となり、異性の性器にリビドーを感じる)
この各期間でリビドーが通常の満たされ方をしていない場合、大人になってからその時期に固執した症状が現れるとフロイトは考えたのです。
フロイトの有名な理論の一つがエディプスコンプレックス(男の子の場合)です。
これは男根期(3-6才、自分の性器にリビドーを感じる)からの精神の葛藤を理論化しました。
エディプスコンプレックス
3-6才の男の子は自分のペニスに関心を持ち、かつ、母親を好きになる。
男の子は母親を取る父親が憎くなる。
けれど、自分が父親が憎いということがバレてしまうと、ペニスを切り取られてしまうと考える。
(男の子はペニスを取られた結果が女の子だと考えている。
男の子はペニスを保持したいと考える)
男の子は父親にはかなわない。
そこで、男の子は母親を諦めて、かわりに父親を尊敬するようになる。
後に潜伏期をすぎて、他の異性に関心が向く。
エディプスコンプレックスの名前の由来はギリシア神話のオイディプス王。
(日本語でオイディプスはエディプスと訳されたりする)
オイディプス王は実の父親を殺し、母親と寝るという物語。
神話というのは心理的に一般的な出来事を物語っているとフロイトは考えた。
フロイトはこのような理論をつくり出して治療をしようとしたのです。
ですが、理論を構築していくと、第一局所論だけでは説明がむずかしいことがわかってきました。
フロイトと第二局所論
第二局所論に移る一つのきっかけが第一次世界大戦。
戦争から帰ってきた兵士たちが、悪夢にうなされるようになったのです。
フロイトの夢診断では「夢は欲望の充足である」という定式がありました。
なので、この定式を維持するために「人間には自己の死を望む欲望」があるとフロイトは考えたのです。
この時期から、フロイトは人間の欲望をエロス的な欲動(エロス)と死を望む欲動(タナトス)の二つの欲動で構成されると考えるようになりました。
例えば、細胞が生まれ変わることは元の細胞の死を意味している
人間のさまざまな面が見えてきたので理論も変更します。
フロイトは第一局所論に変わる第二局所論として、自我・エス・超自我の3層に分けて考えました。
第二局所論
- 超自我:道徳的、社会的な自我で、しばしば自我と対立する
↓(超自我は自我を抑制) - 自我:エスと超自我を調整する主体
↓(エスの欲動を抑圧) - エス:本能的(性的)な欲動
フロイトは第一局所論で発見した無意識という概念も取り入れながら、新たな理論を構築したのです。
第二局所理論の具体例
フロイトの自我は生まれた時から存在するわけではなく、人間の本能的な欲動を含むエスを抑圧するために後天的に生まれます。
まず無意識な領域であるエス(「母親のおっぱいを独占したい!」というリビドーなど)があります。
(「エスは欲望の塊であり、ほぼかつての無意識の領域に対応する」フロイト入門p245)
しかし、エスによって自分の欲求を叶えようとしておっぱいを噛むなどすると、自分の欲望が叶えられなくなることを知ります。
カニバリズム(人肉食)欲求がすでにあった…
超自我は、「自我が弱々しく依存的であった頃の記念碑であり、成熟した自我にたいしてもその支配を持続する。子どもが以前は父親の強制のもとにあったように、自我はその超自我の絶対的な命令に服従する」のである。この超自我は、エスの欲望をそのままで充足しようとする自我の営みを禁圧し、こうした欲望を抑圧するように命令する。「自我は超自我のために、そして超自我の依頼によって抑圧する」のである。‐ところが超自我はときに自我のうちに理由のない罪責感を作りだし、自我を苦しめることがある。‐この場合には自我は、超自我にたいして抑圧という武器を向けることになる。‐そしてたとえば「ヒステリー型の自我は、超自我の批判に脅かされ、この苦渋に満ちた知覚から自己を防衛しようとする」のであり、「罪責感が無意識状態にとどまるのは、自我の責任である」とされる。(フロイト入門p246-247)
だから神経症を避けるためにも価値の転倒を説いたんだね
フロイトとユング
フロイトはスケールが大きい
たとえば男性における女性的なものとしてのアニマ、女性における男性的なものとしてのアニムス、自我とその影、母親、老人、子供などのさまざまな原型(元型)を取り出すことができる。そしてそれを民話などのうちに探りだすことで、人類の心理を考察することができると考えたのである。
(フロイト入門p305)