フロイトと無意識の発見

フロイトと無意識の発見|高校倫理1章5節1

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
(高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第1章
「現代に生きる人間の倫理」
第5節「人間への新たな問い」
1.フロイトと無意識の発見
を扱っていきます。
前回までは4節「社会と個人」を扱ってきました。
今回からは5節「人間への新たな問い」。
20世紀に入り、二度の世界大戦や核兵器による破滅の危機、環境破壊など、現代では人類社会の進歩を信じることがむずかしくなってきました。
近代の理性中心的な人間観を見つめなおすことが促されています。
そこで発見されたのが無意識
近代哲学の我思う(コギト)を相対化する威力をもった発見です。
ヘーゲルの死後に現れる哲学批判は、キルケゴール(実存による絶対的なものの否定)、マルクス(行動による哲学の乗り越え)、ニーチェ(ニヒリズムによる価値転倒)、フロイト(無意識の発見による我思うの相対化)として展開されている(西洋哲学史p204)
またコペルニクスの地動説、ダーウィンの進化論、これに続いての第三革命が無意識の発見とも言われている
フロイトはどのように無意識を発見したのでしょうか。
さらに、その思想がどのように発展していったのかを見ていきます。
ブログ内容
  • フロイトと無意識の発見
  • フロイトと第二局所論
  • フロイトとユング

参考文献 「フロイト入門」中山元、「無意識への扉をひらく ユング心理学入門1」林道義、「心理学用語大全」田中正人  齊藤勇、「新しく学ぶ西洋哲学史」

フロイトと無意識の発見

精神分析学の創始者フロイト(1856-1939)。

フロイトが無意識を発見するにいたった過程を追っていきます。

無意識が発見される前の奇妙な話。

ニーチェ「神は死んだ」と騒がれた後。

近代以降の時代は神の影に支配された時代でもありました。

なぜ神の影かといえば、理性の万能を信じていたのに、その理性が裏切られるような出来事が頻発したからです。

自分や隣人の子どもたちを食べた事件。

ある羊飼いが幼子を食べた事件。

近親相姦(インセスト)、父親殺し(パリサイド)、人肉食(カニバリズム)などが、理性によって制御できない形で出てきていることがわかったのです。

犯罪者たちに共通していたのは、精神の錯乱やそのような動機が確認されなかった点。

「‐理性に代わって人間の心を支配しているものは何だろうか。フロイトはそれを無意識と名づけた(フロイト入門)p13」

不思議なことは神とか呪いだとかを理由にしていたけれど、それが出来なくなったのが現代。
フロイトはそれらを無意識で説明した

時代背景的にも無意識を受け入れやすい土台ができていました。

では、具体的に無意識の発見を見ていきます。

フロイトの治療理論

フロイトの精神分析は、「人間の精神をつかさどる魂」を分析することで治療しようとする試みを示すものでした。

それは科学的な治療とは異なり、キリスト教的な悪魔祓いの伝統から生まれた治療方法。

特にヒステリーという病を、暗示の力によって治療できるとするもの。

フロイトは心の病は身体ではなく、精神に働きかけることで治療ができると考えたのです。

「神は死んだ」のなら、悪魔祓いで治ったものも他の理論で説明できるはずだと考えた
フロイトのいた時代のウィーンでは、多くの女性たちが神経症(ヒステリー)の症状を示していました。
フロイトは当初、以前からあった催眠術による治療方法を試します。
催眠状態で患者が自分のエピソードを語っていくと、神経症が治るということがわかってきたからです。
しかし、何度かためすうちに催眠術が効かない患者が続出。
その次には談話療法(talking cure、催眠のような状態で話す)によって、神経症が良くなる人がでてくるのを発見していきます。
フロイトはそれらの療法を参考に、独自の理論を考え出しました。
フロイトの治療理論
フロイトはヒステリーの病因が「性的な」性格のもので心的な外傷であると考えた。
催眠治療であれ、談話治療であれ、患者が認めたくない心的な外傷を患者本人が語ることができるようになれば、症状がよくなると考える。
患者が性的なことを語れるような状態にするために、患者と医者の相互が協力して治していく。
なぜ患者が心の外傷を語ることが難しいかというと、過去の自分では許容できない出来事が生じていると考えるから。
その出来事は自分のために忘却しようと、自分の中で「防衛機能」が働いた結果。
しかし防衛にもかかわらず、防衛機能が不具合を起こして、心ではなく身体的な症状(ヒステリー症状)がでてしまったとフロイトは考える。
ヒステリー患者は、自分では許容できない出来事の興奮量全体を身体的なものへと移し換えることによって心の外傷を補っているのだ、と。
そして、その許容量が超えてしまったために、心の傷が身体的な症状となる「転換」が起きた。
心の傷なのに、誤って身体的な傷として出てきてしまうのがヒステリーだとフロイトは考えた。
具体例で考えてみます。
神経症の患者アンナは水が飲めなくなっていました。
のどの渇きが激しいときにも、メロンで水分補給をするほどです。
その症状に困って談話療法を受けました。
療法中、アンナは自分の家庭教師(女性)が子犬にコップで水を飲ませているのを目撃したと語ります。
結果、それに無意識的に不快感を受けていたアンナは、水が不潔に感じられて水が飲めなくなっていたことが判明しました。
  • 防衛⇒アンナが家庭教師に不快感を抱いていたことを意識していない
  • 転換⇒心の不快感が容量オーバーして、身体的な「水を飲めない」という症状になった

アンナは家庭教師への不満を催眠状態で吐き出した後、水が飲めるようになりました。

防衛、転換という見解は他の医師にも共通していた治療法です。

しかし、フロイトはさらにその防衛の根拠に迫りました。

フロイトは「性」に原因をみたのです。

なぜアンナが家庭教師に不快感を抱いたのかを分析。

アンナは家庭教師に父親を取られると思っていて、初めから家庭教師に対して敵対感情を抱いていた、とフロイトは推論したのです。

防衛の奥には、アンナが父親との近親相姦的な愛情を強く持ち、それに対する罪の感情があったのだと結論づけました。

フロイトは防衛の理由の根拠までみようと、患者の幼い頃までさかのぼった。
アンナは水が飲めない症状の他にもいろんな症状がでていて、多くはその近親相姦的な愛情に由来していた

フロイトの第一局所論

フロイトはヒステリー症状の女性の患者たちを元に、心のモデルをつくりました。

心を意識・前意識・無意識という3層にわけて理解したのです。


(中心が無意識、次の層が前意識、表面の層が意識のイメージ)

第一局所論⇒心には意識・前意識・無意識の3層がある

心の外傷は無意識にしまいこまれます。

けれど、無意識は常に意識の中に入り込みたがっていて、身体的な行動に現れるのです。

その身体的な行動が病気にまで達したときに、治療を受けます。

治療では、まず無意識を前意識(催眠状態、癖など)で発見し、そこから意識に移していく。

例えば、モデルとして喪とうつ病を考えてみます。

喪とうつ病

  • 喪⇒大切なものを失ったなどと説明がつくもの。
    喪に服すというように、誰にでもあり、ないほうがおかしいと思われる失意や悲しみ
  • うつ病⇒本人が何を喪失したのか気がついていない。
    理由がわからないので謎めいた印象

患者が喪失したもの(無意識)を前意識をヒントに、意識に立ち上がらせることが神経症の治療法となっていたのです。

喪で落ち込んでいたとしても、意識することが神経症(身体的な不快)の治療になると考えた
ヒステリーを始めとする精神疾患は、無意識と前意識の葛藤のうちで生じるわけだから、この葛藤をなくしてやれば、病が治療されることになる。
(フロイト入門p173)

フロイトの夢治療

第一局所理論(意識・前意識・無意識)に基づいて、フロイトは夢に注目しました。

無意識は捉えることが難しい。

その無意識を前意識の影響力に服させる方法は何か?

人は夢を見ている状態にあるときには、「防衛機能」が働かない、とフロイトは考えました。

今までの談話療法や催眠療法に加えて、夢診断もフロイトは付け加えました。

夢や談話などを通して患者の症状が良くなれば治療は完了。

しかし、これだとまだ欠点があります。

いくら患者が語ってくれたとしても、何が症状を良くしたのかがわからないのです。

人は納得するために何かが必要。
それは信仰だったり、理論だったり
フロイトは理論を構築しました。
患者が葛藤しているだろうと思われるモデルを作ってしまえば、原因特定も早まる。
フロイトは「性的欲動(リビドー)」に注目した
とはいっても、そこに「なんでも性的なものに結びつけるのは間違っている」というフロイト批判もあるんだけどね

エディプスコンプレックス

フロイトは本能的なエネルギーをリビドー(性的欲動)と呼び、リビドーが人間の主な原動力だと考えました。

そして、症状特定に役立つように、赤ん坊の頃からリビドーを理論立てていったのです。

リビドー(心理学用語大全 参照)

  • 口唇期(0-1才、口唇で乳を吸うことにリビドーを感じる)
  • 肛門紀(1-3才、排せつすること、我慢することにリビドーを感じる)
  • 男根期(3-6才、自分の性器にリビドーを感じる)
  • 潜伏期(6-12才、一時的にリビドーが抑えられる)
  • 性器期(12才-、生殖が目的となり、異性の性器にリビドーを感じる)

この各期間でリビドーが通常の満たされ方をしていない場合、大人になってからその時期に固執した症状が現れるとフロイトは考えたのです。

神経的な症状でなくても、例えばマゾとかサドとかフェチとかは、このリビドーのなごりだとフロイトは考えている

フロイトの有名な理論の一つがエディプスコンプレックス(男の子の場合)です。

これは男根期(3-6才、自分の性器にリビドーを感じる)からの精神の葛藤を理論化しました。

エディプスコンプレックス

3-6才の男の子は自分のペニスに関心を持ち、かつ、母親を好きになる。

男の子は母親を取る父親が憎くなる。

けれど、自分が父親が憎いということがバレてしまうと、ペニスを切り取られてしまうと考える。
(男の子はペニスを取られた結果が女の子だと考えている。
男の子はペニスを保持したいと考える)

男の子は父親にはかなわない。

そこで、男の子は母親を諦めて、かわりに父親を尊敬するようになる。

後に潜伏期をすぎて、他の異性に関心が向く。

エディプスコンプレックスの名前の由来はギリシア神話のオイディプス王。
(日本語でオイディプスはエディプスと訳されたりする)

オイディプス王は実の父親を殺し、母親と寝るという物語。

神話というのは心理的に一般的な出来事を物語っているとフロイトは考えた。

フロイトはこのような理論をつくり出して治療をしようとしたのです。

ですが、理論を構築していくと、第一局所論だけでは説明がむずかしいことがわかってきました。

フロイトと第二局所論

第二局所論に移る一つのきっかけが第一次世界大戦。

戦争から帰ってきた兵士たちが、悪夢にうなされるようになったのです。

今までヒステリーは女性に特有だと思われていたんだけど、男性にも多く現れるようになった

フロイトの夢診断では「夢は欲望の充足である」という定式がありました。

なので、この定式を維持するために「人間には自己の死を望む欲望」があるとフロイトは考えたのです。

この時期から、フロイトは人間の欲望をエロス的な欲動(エロス)と死を望む欲動(タナトス)の二つの欲動で構成されると考えるようになりました。

フロイトは自己の死の欲望にも性欲動を見出している。
例えば、細胞が生まれ変わることは元の細胞の死を意味している

人間のさまざまな面が見えてきたので理論も変更します。

フロイトは第一局所論に変わる第二局所論として、自我・エス・超自我の3層に分けて考えました。

第二局所論

  • 超自我:道徳的、社会的な自我で、しばしば自我と対立する
    ↓(超自我は自我を抑制)
  • 自我:エスと超自我を調整する主体
    ↓(エスの欲動を抑圧)
  • エス:本能的(性的)な欲動

フロイトは第一局所論で発見した無意識という概念も取り入れながら、新たな理論を構築したのです。

第二局所理論の具体例

フロイトの自我は生まれた時から存在するわけではなく、人間の本能的な欲動を含むエスを抑圧するために後天的に生まれます。

まず無意識な領域であるエス(「母親のおっぱいを独占したい!」というリビドーなど)があります。
(「エスは欲望の塊であり、ほぼかつての無意識の領域に対応する」フロイト入門p245)

しかし、エスによって自分の欲求を叶えようとしておっぱいを噛むなどすると、自分の欲望が叶えられなくなることを知ります。

痛いってなって、授乳が中断されるよね。
カニバリズム(人肉食)欲求がすでにあった…
そこで自我はエス(欲動)を抑え込むことを学びます。
自我はエスを抑圧するのですが、自我はどのようなルールによってエスを抑圧すればいいのかを超自我を参考にします。
超自我は良心であったり、社会的で道徳的な自我であり、社会や家庭を成り立たせるための要素なのです。
超自我はエスを抑圧し、自我をチェックし、人間が社会的な存在となる手助けします。
エス(性欲動)がもともとあるんだけど、人は社会的な営みのために自我と超自我をつくりだしていると考えるんだね
では、第二局所論ではどのように神経症を説明するのでしょうか?
超自我は、「自我が弱々しく依存的であった頃の記念碑であり、成熟した自我にたいしてもその支配を持続する。
子どもが以前は父親の強制のもとにあったように、自我はその超自我の絶対的な命令に服従する」のである。
この超自我は、エスの欲望をそのままで充足しようとする自我の営みを禁圧し、こうした欲望を抑圧するように命令する。
「自我は超自我のために、そして超自我の依頼によって抑圧する」のである。
ところが超自我はときに自我のうちに理由のない罪責感を作りだし、自我を苦しめることがある。
‐この場合には自我は、超自我にたいして抑圧という武器を向けることになる。
‐そしてたとえば「ヒステリー型の自我は、超自我の批判に脅かされ、この苦渋に満ちた知覚から自己を防衛しようとする」のであり、「罪責感が無意識状態にとどまるのは、自我の責任である」とされる。(フロイト入門p246-247)
神経症はエスへの抑圧や、超自我への抑圧から発生すると考えられます。
フロイトは第一局所論では説明ができなかった罪責感や不安を、第二局所論では説明が出来るようにしたのです。
特にフロイトは超自我というのはエディプスコンプレックスの克服の際にうまれた、われわれの個人的な倫理性(道徳性)の源泉だと考えました。
人間は良心(超自我)というものを発明し、自己の内部に檻を作りだしてしまったから、ときにそれがその人を破壊してしまうこともある、とフロイトは述べる
ニーチェは道徳や良心は、自己破壊的な欲動から生まれると考えていた。
だから神経症を避けるためにも価値の転倒を説いたんだね
フロイトの無意識を説明してきました。
この無意識に対して、集合的無意識を理論立てたのが心理学者ユングです。

フロイトとユング

フロイトは人間を個人としてではなく、集団として、人類として考察してきた視点がありました。
それを特に重視したのが心理学者ユング(1875-1961)です。
ユングは人間の心理の奥底には、集合的無意識がはたらいていると主張しました。
「民話や童話を手掛かりに個人の精神を分析しようとするユングに対抗して、フロイトは個人の精神分析を手掛かりにして、文化人類学の未解決の問題を解決しよう」(フロイト入門p310)とした違いがあったみたい。
フロイトはスケールが大きい
ユングは集合的無意識の要素を元型と名づけました。
たとえば男性における女性的なものとしてのアニマ、女性における男性的なものとしてのアニムス、自我とその影、母親、老人、子供などのさまざまな原型(元型)を取り出すことができる。
そしてそれを民話などのうちに探りだすことで、人類の心理を考察することができると考えたのである。
(フロイト入門p305)
例えば、「無意識への扉をひらくユング心理学入門」では、元型とは「心の動きのパターン」だと説明しています。
アニマ(女性像)は美しく優しく神々しく深い知恵を持つイメージと、逆に、誘惑するような怪しげな魅力を持つイメージというのが人類共通にあるようです。
物語のお姫さまイメージって国境を越えて美しかったり、怪しげだったりとかがあるよね
またアニムス(男性像)も共通して、たくましくて頼りになる良いイメージの反面、支配的で命令的という悪いイメージも共通しています。
今回はフロイトと無意識の発見を扱いました。
次回は「言葉への反省」へ移ります。
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