おはようございます。けうです。
今日もマーケティングについて学んでいこうと思います。
お題は「ブランディングと詐欺」です。
よかったらお付き合いください。
なにか仕事を始めるときには、気をつけたいのが詐欺ですよね。
私も詐欺に騙されるのはもとより、詐欺をしないようにしようとは思います。
でも、それが詐欺なのかどうかって決めるのは自分ということと、周りが決めると言うことがあります。
そのことを取り扱うためにブランディングに関して話していこうと思います。
ブランディングとは
ブランディングとは、同じ製品であっても価格に違いをつけることです。
売る人の信頼性に基づいても価格を変えます。
まずこれは詐欺ではないの?
となるかもしれないけれど、信頼性は価値として今のところ認められています。
なぜかという例を紹介していきます。
ソビエト連邦とブランディング
レビットはソビエト連邦でブランディングが発達してきた事実に目を向けます。
ソビエト連邦といえば1991年まで存在していた社会主義共和国です。
社会主義を簡単にいえば、より平等で公平な社会を目指す思想、運動、体制のこと。
社会を組織化するので、すべての企業が国有化になる、といったイメージです。
平等で公平なので、ブランドとは縁がないように一見思われます。
ブランドは価値によって商品ごとの差をつけます。
けれど、このソビエトでブランドが発達してきた歴史があるそうです。
なぜかというと、ソビエトでテレビを普及させようとして、一律同じ価格のテレビをたくさん製造して売ろうとしたみたいなんです。
でも、売れ行きがそんなに伸びなかったんですよ。
それで調査をしてみると、粗悪品ばかりだったからだそうです。
みんなテレビを欲しい。
でも、買ってみたらすぐ壊れたとか、調子がすぐに悪くなる。
テレビって大きいし、設置までに時間もかかります。
そんな手間のかかるものの粗悪品が出回っているとなると、買う気が起きなくなりますよね。
そこでソビエト政府は商標をつけたそうです。
このテレビはあの工場で作られたものだから品質がいいはずだ!って。
保障もつけるよ、壊れたら修理するよって。
そうしたブランディングをつけることによって、消費者が安心して商品を買い求めることができるようになったといいます。
売る側の信頼にも価値をつけたんですよね。
その価値が認められないと、粗悪品が出回ってしまいます。
例えば、すぐ壊れてしまう一万円のテレビよりは、その手間暇を考えるなら2万円のテレビを選んだりはしますよね。
かといって、今はコモディディ化で一律に安くて良いものが届けられて、さらにそこに差異をおくには?という疑問にもなってきていますけど。
それでもブランディングが社会主義でも広まった背景はこんなところにあります。
付加価値が認められてきたと言うことです。
ブランディングと詐欺ー個人の場合
それで、副業をする場合は個人になりますよね。
では、どのような場合が詐欺になるのかを考えてみます。
まずは嘘をついた場合はそうですよね。これは仕事の常識としてあるのでこれは詐欺にあたります。
次に、情報商材というような元手があまりないものを高く売った場合はどうなのか。
その場合は人によりますよね。
信頼性に関わってきます。
この商品を買って有益に働いた!
という人がいる反面、この価格でこの内容は詐欺!だと思ったりする。
では、どうして詐欺かと思ったかと言えば、その人にとってはいらないものだったからです。
その場合の対処法は二つです。
一つ目は、そう思い込んでいた本人が悪いということ。
納得して選ぶ権利が自分にあったのだけれど、それを選ぶことができなかったということですよね。
2つ目は、それを売った方が悪いということ。
商品の良い面ばかりを言った結果、その消費者にとっては必要のないことだと気がつかせることができなかった、ということです。
そして、これは司法でも問題になります。
どちらが優遇されるのか、ということなんですけど。
司法でまずはこのようなことが言われていました。
「信用は財産にほかならず、それを傷つけるのは、他のあらゆる財産を傷つけるのと同じく、法律による処罰の対象となりうる。-
信用を保持する者は、それを損なおうとする者から身を守る権利を有する。」
これが言われてきたらしいんです。
これは売る側の方が守られることが多くなります。
しかし、1956年には、これは公共の福祉に関してはこの見解は妥当ではない、とされたみたいです。
人権を考えるときにはまだ問題をはらみますよね。
例えば、殺人者に法律をあてはめるとき。
今の法律では加害者の人権が優位で、被害者の人権がそこまで考えられていないと言われています。
大切な誰かを殺されたとして、その罪をつぐなうような刑罰は与えられない、ということですね。
話が大きくなりましたけど、未だに法律を見直す可能性は時代によってでてくるといういことです。
そして、詐欺に当たるか、詐欺にあたらないかをもっと身近な例にしてみます。
私も情報を副業で売ろうと考えていますが、その場合、それを求めている人にとっては詐欺ではない。
でも、まったく必要がない人に売りつけると詐欺になりますよね。
で、話し方などによって、人にやる気を出させたり、買った方がいいかな、と思わせたりして買ってもらう。
マーケティングはそもそも欲を刺激して、その人が自ら欲しいと思って買ってもらうようにすることですよね。
(いろいろあると思いますが、ある一面で)
でも、そうなった場合に買う側にだけ負担が行くようではいけないということになりますよね。
私がよかれと思ってつけた特典がその人にとってはいらないものだとした場合、それは詐欺になるのか。
そして、それは安ければ詐欺にならないのか。
マーケティングに法律が関係してくるのはこんなところですね。
まずはマーケティングを学んでいきますが、こうなると法律も学んでおいた方がいいんだろうと思いました。
法律は、道徳とは区別される社会規範なんですよね。
私が悪い心持でものを売ろうと、良い心持でものを売ろうと、法律的には関係がないんです。
なので、良い心持で売ることに関してそうしたいなら法律を知っておかなければいけない。
消費者が買って、その事実を客観的に判断していくのが法律。
私が良い悪いと思う主観的判断で捉えられない、客観的判断を担ってくれます。
私の主観は人と違ったりすることは多くあります。
なので、またこれも学んでいこうとは思います。
ブランディングと詐欺ーまとめ
最後に心に残った文。
「だれかにとっての自由は、時と場合によっては別の人にとっての不自由を意味する」
ブランディングと詐欺を考えるうえで、覚えておきたい言葉だと思いました。