「日本人としての自覚」
第2節「日本の仏教思想」
①聖徳太子と和の精神
生前は厩戸皇子(うまやとのみこ)と言ったのだとか
- 聖徳太子を扱う理由
- 聖徳太子の和の精神
- 奈良仏教の展開
参考文献 日本を創った12人(堺屋太一)
聖徳太子を扱う理由
日本には6世紀頃、仏教が伝わってきました。
伝来当初、仏は利益をもたらす「蕃国の神(あだしくにのかみ、となりのくにのかみ)」として受容されます。
まずは聖徳太子がでてくる時代背景からみていきましょう。
仏教伝来
この時期は一つの区切り(始代・古代)の時期です。
人類が自然条件の恵まれた土地で種蒔きと収穫だけを行っていた時代、それ故に人知や勤勉よりも神への祈りが重視された時代を「始代」と呼び、利水や深耕によって土地の改良が進み、それ故に技術と勤勉が尊ばれるようになった農業革命以後を「古代」と分けるのが正しいと思う。
(「日本を創った12人」p19)
このような区分けです。
- 始代⇒神への祈りが重視された時代
- 古代⇒技術と勤勉が尊ばれる農業革命以後
始代から古代になり、生産力を大幅に増大させたのが朝鮮半島などとの交易です。
渡来してきた人々は、中国で発達した文化や技術を日本に持ち込みました。
その一つが仏教です。
文化へのあこがれもあって、急速に広まっていったらしい
仏教公伝の十数年後、西暦552年頃から、崇仏派の蘇我氏が寺を建てると疫病が流行するということがあり、仏教公認論争が発生した。排仏派の代表は物部氏だ。
(「日本を創った12人」p22)
仏教と神道
蘇我氏は戦いに勝ち、仏教を広めようとしましたが、日本古来の天皇制には従っていました。
天皇家と蘇我氏の連立政権で政(まつりごと)をやるのですが、天皇は深刻な政治的矛盾に直面します。
天皇家から天皇が出るのは、天皇家が天照大御神(あまてらすおおみかみ)の子孫であり神武天皇の末裔である、という神道神話に基づいてのことだ。
(「日本を創った12人」p24)
こんな不安定な中で次の天皇になる人は大変そう…
聖徳太子の偉業
聖徳太子を『日本を創った12人』の第一に挙げたのは、この方が千四百年間、ずっとわれわれの心を支配してきた宗教観、それを具現化した「神・仏・儒習合思想」の発案者兼実践者だからである。
(「日本を創った12人」p16)
聖徳太子は個人としては熱心な仏教徒でしたが、政治家としては天皇家の一員。
そのような自身における矛盾の解決策として、「神・仏・儒の習合思想」を考え出しました。
この考え方により、以後、日本では宗教戦争が起こらなくなります。
だから気楽に、それは面白そうだ、それもよさそうだ、というだけでどんどん取り入れる。日本がアジア、アフリカ諸国の中で唯一、近代技術、近代制度を素早く取り入れることができたのは、このためだ。
(「日本を創った12人」p37)
>>朱子学と陽明学
では、聖徳太子は具体的にどのようなことをしたのでしょうか。
聖徳太子と和の精神
聖徳太子は仏教にもとづく新しい政治理念をかかげました。
大乗仏教の経典に注釈を現わした『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』をあらわし、四天王寺や法隆寺を建立。
聖徳太子が作成したとされる十七条憲法では、第一条に「和をもって貴(とうと)しとなし、逆らうことなきを宗とせよ」と説かれています。
聖徳太子が説いた仏の教え
仏の目からみれば人間はみなともに凡夫(欲望などの煩悩をまだたち切っていない者)だと、聖徳太子の残した書物から解釈できます。
- 凡夫は「仏・法(仏の説いた真理)・僧」の三宝(さんぽう)をよりどころとすべし
- 「世間虚仮、唯仏是真(せけんこけ、ゆいぶつぜしん)」⇒世間はむなしく、ただ仏のみが真実である
聖徳太子は現世を仮のものと考え、究極のよりどころを仏教に求めたと言われています。
現代の子どもに戦争を教えたい、という相手視点に立つ考え方の大切さは、大乗仏教が説いてる
聖徳太子後|奈良仏教の展開
仏教によって国を治めようとしていた聖徳太子の考え方は受け継がれていきます。
奈良時代には、仏教は鎮護国家(仏法によって国家の安泰をはかること)を目的とする国家仏教として朝廷の保護におかれました。
聖武天皇(位724-749)は全国に国分寺・国分尼寺を建立。
中国で1、2位を争う偉いお坊さんだったよ
民間仏教
国家仏教に対して、民間の中からも私度僧(しどそう、聖とも呼ばれる)があらわれました。
私度僧⇒朝廷の承認がない僧
なかでも、有名なのが行基(ぎょうき、668-749)です。
行基は知識結とも呼ばれる新しい形の宗教集団を形成して、近畿地方を中心に貧民救済や治水・架橋などの社会事業に活動しました。
説法に一万人を集めたこともあったのだとか
行基は当初、国から弾圧されましたが、後に聖武天皇から依頼され東大寺盧舎那仏像(大仏)建立に協力。
その後、聖武天皇により大僧正(日本で最初)に任命され、東大寺の「四聖」の一人として数えられています。
「行基菩薩像 久安寺」
今回は聖徳太子と和の精神を中心にやりました。
次回は、最澄と空海を取り扱います。
日本の仏教思想
>>①聖徳太子と和の精神(今回)
>>②最澄と空海
>>③末法思想と浄土宗
>>④親鸞(しんらん)の思想
>>⑤道元の思想
>>⑥日蓮の生涯
>>⑦無常観と日本文化