NO IMAGE

失語症-「言葉と脳と心」のまとめ

おはようございます。けうです。

 

「言葉との脳と心」を読み終えました。

今日は読み終えてみてのまとめと感想を伝えたいとおもいます。

失語症「言葉と脳と心」のまとめ

まずはまとめです。

私はこの考え方を知ることで、昨日、日常に当てはめてみました。

私も言葉がよくでなくなることがあります。

例えば、この作業をやって欲しい!というのが頭に浮かんでいる。

それを言葉によってどう説明すればいいのか。

このように苦戦している仕事の同僚の行動が脳によって浮かんできたんです。

 

右脳でやって欲しい作業がイメージされている。

そのイメージを一つずつ言葉にしていく。

その言葉にしたものを順番にしてつないでいって、私に伝える。

このような作業を、同僚は今しているんだな、なんて考えていました。

では、なのでこのまとめ、脳の活動を知ることはもっと人を知ることに役立ちます。

言語化が上手な人はこの過程が上手なんだと知ることができますし、伝えるときにしどろもどろになってしまう人は、それが苦手なのかなとも分析できます。

 

さらに、それが苦手な場合、この人は語彙やイメージをたくさんもっているから結びつけるのに困難が生じているのかもしれない、とみることや、語彙はあるけれど社会性のコミュニケーションに不慣れなため言葉の並び替えを考察しているのかもしれないと捉えることができます。

人が話している状況を脳に照らし合わせて考えられるということです。

では、まとめにいきます。

失語症を本では5つに分けていました。

健忘失語

健忘失語。(名前がわからなくなる仕組み)

これは普段よく起こることです。

あの名前はなんだったかな?とイメージが浮かぶのにその発音がでてこないことになります。

言葉を呼称と語義理解に分けることで、言葉が出てこない場合、この結び付けが弱くなっていると考えられます。

呼称がでてこない。

あれ、それ!とか、指示語で言えるのですが名前が浮かびあがらない状態です。

ブローカ失語

ブローカ失語(発話できなくなるふしぎ)

このケースでいうと、この健忘失語が強くなってしまった症状です。

脳のブローカという部分に損傷が起きてしまいます。

言語プロソディが破壊されている、と筆者は捉えます。

音のリズムとか話の文脈の流れです。

だから患者は頭ではイメージができているのに、たんたん、としかいえなくなってしまたり、全体的な言葉の流ちょうさがなくなってしまいます。

でも、意味は把握できています。

ウェルニッケ失語

ウェルニッケ失語(聞いた言葉が理解できなくなるふしぎ)

この症状は先ほどの言語プロソディはいきています。

なので、すらすら話せるのです。

でも、その患者が何をいっているのか聞いてみるとところどころに意味不明な単語が入っています。

例えば、「今朝はいい天気ですね!こんばんは、おやすみなさい、今日も元気に活動しましょうね。」といったような意味不明だけれど、流ちょうな言葉使いができます。

これは、言っている本人はそのことに矛盾が生じていることに気がつきません。

第三者が、この人はその単語を理解していないということに気がつきます。

ウェルニッケという場所は言葉に意味を与える場所だと考えられます。

伝導失語

伝導失語(言い間違いの不思議)

ねこをなこといったり、かばんをたばんといったり、ふんいきをふいんきといったりしてしまう症状です。

この症状から、私たちが発話をするときに、言葉をいったんばらばらにしてその順番を整理していることがわかりました。

だからみんながよく「ふんいき」をいいまちがえてしまうというような事態が生じます。

そして、これはイメージはわかっているのに口にすると間違えます。

イメージはできていて、音の形もイメージできているのに、それを言おうとすると困難が生じるのです。

この症状の人には文字を読んでもらうと、文字数が増すものに関してどんどん言えなくなってしまいます。

ねこという2文字はいえるけれど、ふんいきという4文字は言えなくなる、といった。

この伝道失語を知った時、私はよく長い言葉が覚えられないな、と思ったのですが、こういう事情があったんだ、と思いました。

でも、この過程はその単語を記憶してしまうことで回路を単純にできます。

なので、私は試験などで長い言葉を覚えなければいけないとしたら、その音域すら覚えてしまうという作業をいれればいいのだと思いました。

空回りする言葉の理由(右半球の障害)

空回りする言葉(脳の右半球と左半球)

今まで取り扱ってきた失語症は主に左半球の障害です。

では、右半球に障害が生じたときには言葉に障害が生じないのかといういと、あるようです。

言葉を発するときに私たちはまずイメージをしますが、そのイメージがなくなってしまいます。

その場合、私たちは作り話をたくさんするようになるそうです。

何が正しいのか分かっていないけれど、そのことについてはたくさん語れるので、筆者はハイパーラリアと言っていました。

正しくないけれど、それについて補おうと多弁になっていくのだそうです。

哲学的に考えていけば真理なんてない、ですよね。

ということは私たちは語ることによって、その真理がないことを補おうとしているのかな、と思いました。

 

失語症のまとめ

ここまでが5つの病気のまとめになります。
1,健忘症
2,ブローカ失語
3,ウェルニッケ失語
4,伝導失語
5,言葉が空回りする理由

ここから筆者は感情を分類していたりして、とても興味深かったのでこれはまた別に紹介したいと思っています。

 

この脳の部位から考えると、私は今言葉につまっているけれど、脳の部位で言えばブローカが活動していないのかなと考えられます。

そして、この意味はなんだ!?とわからなくなる時、でもすらすら言えているときはウェルニッケが活動していないのかな、と。
(ウェルニッケは自分で気がつけないので、他人からの指摘で言葉の意味が違っているとか、意味が通じていないというのがわかります)

 

そして、イメージだけ浮かんで言葉がでないときは、呼称と語義理解が結びついていないのだ、と。

さらに、真理がわかっていないけれど、語ろうとするとき、その真理がわからないことを補おうとして多弁になるのか!と考えられます。

もしかしすると、私たちは嘘をつくときに多弁になるといいますが、関係があるのかな、とも思います。

この嘘をついたときに多弁になるのは意識的かもしれませんが、私たちはそれを嘘かどうかわからないときにも多弁になるということです。

 

これは一つの症状、と捉えるのではなくて、普段のコミュニケーションにも役立てるなと思いました。

試験にも役立てますし、他人理解にも役立てます。

意味が破損していることは他人にしかわからないので、話すことで自己発見になったり、発見してもらったりということはありそうです。

では、今日もお聞きいただいてありがとうございました。

NO IMAGE
最新情報をチェックしよう!
>けうブログ

けうブログ

哲学を身近に