洗脳とは英語で「brainwashing」。
脳を洗うことの直訳です。
洗脳という言葉は専門家には嫌われてきました。
言葉があいまい。
しかし、科学技術が発達した現在、洗脳が身近になってきたのは言うまでもありません。
「洗脳大全」(2022 ジョエル・ディムズディール 松田和也訳)を参考に、洗脳をわかりやすく紹介していきます。
- 洗脳という言葉が使われだした歴史
- 洗脳と呼ばれる歴史的事件の紹介
- 洗脳がなぜあいまいなのかという説明
洗脳の歴史
洗脳は、ソヴィエト連邦の揺籃期(ようらんき)にパブロフの犬の研究室で「生まれた」。
「洗脳大全」p17
まずはこの文章を解説します。
ソヴィエト連邦の揺籃期(ようらんき)
揺籃期とはゆりかごに入っている時期のことで、物事が発達する初期の段階のこと。
ソ連は1925年から1991年まで存在した社会主義国家です。
社会主義(ソ連)といえば、資本主義(米国)との対立で冷戦が有名。
簡単に思想の違いを分けてみます。
- 社会主義⇒平等を重視
- 資本主義⇒自由を重視
思想により国家体制が違うので、主義が変わるということは革命を意味します。
国にとっては、革命が起きない方が運営しやすいのです。
冷戦は「米ソが直接に衝突はしていない」という意味ではあるのですが、代理戦争は各地でおきていました。
代理戦争の一つが朝鮮戦争(1950)。
朝鮮戦争は米ソの争いでもありました。
朝鮮戦争は南北で社会主義vs資本主義という対立構造があったのです。
では、この対立構造をなくすにはどうしたらいいのか?
このときに出てきたのが洗脳という言葉。
朝鮮戦争の際、帰国したアメリカ人捕虜は、朝鮮と中国の「思想改造」収容所の再教育によって深く傷つけられていた。
「洗脳」という用語が誕生したのはこの文脈においてである。(p13)
自由を重視しているのならば、平等を重視するように脳を洗ってしまえばよいとソ連は考えたのです。
洗脳で脳を白紙状態にすれば、どんな思想も植えつけることができる、と。
実際に、アメリカ人捕虜の21人は本国への帰国を拒みました。
その事実は多くのメディアを騒がせ、洗脳という言葉を有名にしていったのです。
洗脳の技術に関して、ソ連はパブロフの犬の研究を使いました。
パブロフの犬とは
「パブロフの犬」は、イワン・パヴロフ(1849-1936 心理学者)によって説かれた条件反射学の実験。
実験例
- 犬にエサを与えると同時にベルを鳴らすことを繰り返す
- 犬はベルが鳴ればエサがもらえると学習する
- 犬はベルが鳴るだけで唾液を出すようになる
パヴロフの研究は、人や動物のあらゆる行動は刺激に対する生理的反応に過ぎないとする行動主義の主張の基礎を築きました。
実験は犬だけではなく、人にも応用されます。
例えば、「ごほうびをあげるから勉強をやって」というように刺激を与えることで自発的に行動するように学ばせることも、行動主義の原理です。
拷問ではなく洗脳の理由
歴史的に見れば、敵を支配するのには拷問が使われてきました。
しかし、「二千年に及ぶ観察によれば、拷問は当てにはならない」(p18)とわかってきたのです。
拷問で言葉をはかせたとしても、その真偽はわかりません。
さらに、拷問の映像や事実は、戦争を負けさせる要因になるとわかってきたのです。
例えば、ベトナム戦争はメディアを通して暴力的なシーンが映し出されたために、国内の平和運動によってアメリカ側が撤退しました。
わかりやすい直接的な暴力を使うことはよくない、と時代が示すようになったのです。
そのかわりにわかりにくい洗脳が使われていきます。
歴史的な事件を通して洗脳を見ていきましょう。
洗脳と呼ばれる歴史的事件|政府と学界
本では洗脳と呼ばれている事件をいくつか紹介しています。
- 政府と学界
- 犯罪者と宗教団体
洗脳を大きく2種類にわけて、歴史的な事件から洗脳を説明していきます。
ソ連の洗脳技術
ヨシフ・スターリンは1924年から1953年までソ連の最高指導者。
スターリンは急速な経済構造の改革と、その反対派に対する厳しい弾圧をとってきました。
その中で有名なのがスターリンの公開裁判。
異端審問の手続きでは、告発されて逮捕された者はすでに有罪と決まっていました。
「囚人たちは無期限で過酷な状況に置かれた。」(p23)
拷問と強圧的説得の一般的特徴
- 恐怖
- 睡眠遮断
- 日誌と自供
- 家族や友人からの隔離
- 訊問者の忍耐
- 訊問者が寛容と暴虐を使い分ける
- 秘密性
- 法的保護のはく奪
ソ連の拷問と圧倒的説得術(洗脳)は、どんな人物でさえ処罰を待ち望むようにすることができたのです。
愛・嫉妬・罪悪感・恐怖・悔恨・怒り・希望・幸福・安心感・決意・回心などにおける爆発的にやってくる情動が、ものごとをそのままにしておくことは滅多にない、と本では述べられています。
例えば、人が一目惚れで恋に落ちたとすれば、その後の心情はがらりと変わってしまいます。
なにか爆発的な情動は、人をそのままにはしておかないのです。
この事実は人の脳を白紙状態にすることは簡単なのだと示しました。
ところが問題は、白紙状態にした脳は壊れてしまうことが多かったのです。
白紙状態に出来ても、マインドコントロールは難しい。
人を壊すことではなく、マインドコントロールまで視野にいれた洗脳研究が必要だと言われだしたのです。
朝鮮戦争における帰国を拒否したアメリカ捕虜兵の例は、自然なかたちで思考が変わっています。
ただし、これを洗脳と決めつけてしまうことは人間の尊厳をうばうこと。
洗脳は、一言でそれが洗脳だと言うことはできません。
CIAの逆襲
ソ連側の洗脳研究をうけて、アメリカ側も動き出します。
アメリカCIAは「MKウルトラ」を立ち上げました。
任意の人間を、自在にわれわれの命令を聞くようになるまでコントロールできるのか?(p133)
健康で正常な被験者に対する実験の結果、二・三日間の感覚遮断後、被験者は幻覚を見始め、明瞭な思考ができなくなり、やすやすと教化されてしまうということが判明した。(p147)
従順さ、話したいという願望、さらに被験者自身が強制や強圧は全く用いられていないと自らをだますという利点もある(p168)
患者は鎮痛剤によって、一回当たり二週間眠らされる(p179)
洗脳と呼ばれる歴史的事件|犯罪者と宗教団体
ここでは例を3つあげます。
- ストックホルム症候群
- ジョーンズタウン
- ヘヴンズゲイト
ストックホルム症候群
洗脳は意図的に行うものだが、ストックホルムはただ生じるものである(p208)
パトリシア・ハースト事件
パトリシア・ハーストは1974年に過激派のあるグループ(SLA)に拉致監禁されました。
彼女が19歳のときです。
誘拐された理由は、彼女が資産家の娘だったから。
パトリシアは二か月近くクローゼットの中での生活を強いられました。
家畜のような対応、精神批判、行動の制限、強姦、暴力。
この期間、彼女は絶え間ない生命の危機の中にいました。
パトリシアはその後、SLAグループに入ることを提案され、そのまま一員になります。
逃げ出して家族の元に帰ることもできたのですが、それをせずにグループの活動をこなしていったのです。
彼女はSLAの一員を助けるためにマシンガンを乱射。
これによって警察に捕まります。
この裁判はもめにもめました。
銃の乱射は犯罪ですが、なぜグループに入ったのかと言えば、監禁されていたからです。
- SLAグループによる犯罪活動
- 彼女の意志によってなされた
- 彼女が洗脳されていたからなされた
裁判の結果、パトリシア・ハーストは有罪判決を受けて懲役7年。
ただし、この後にさまざまな人々によって減刑が求められ、1979年にはカーター大統領が彼女の刑を減刑しました。
彼女は22か月で仮釈放されたのです。
このような事件から、人は短期間であっても思考をかえることが可能だと考えられるようになりました。
では、宗教における例も見ていきましょう。
ジョーンズタウン
ジョーンズタウンは、アメリカのガイアナで設立された町(コミューン)。
ジム・ジョーンズがキリスト系新宗教人民寺院の教祖となり開拓したコミューンです。
1978年、ジョーンズタウンで900人以上が集団自殺する事件がおこりました。
事件を地名のままジョーンズタウンと呼ぶようになります。
ジョーンズは「私は神だ!」と信者たちに自分を偶像化することを奨励しました。
ある日、コミューン内で15人が脱走。
その事実に、ジョーンズは「集団自殺」を決意します。
脱走者によって、社会主義で成り立ってきた平和的なコミューンが壊れてしまうことへの抗議です。
「資本主義を拒否して社会主義を支持するため」、「生きるよりも歴史に名を刻むため」、「革命的行為」。
このようなジム・ジョーンズの思想から集団自殺が実行されました。
なぜジョーンズ一人だけの自殺ではないかといえば、ジョーンズは神であり、「私(神)無しには、(町民の)人生は無意味である」からです。
この事件は宗教での洗脳という面を強調しました。
科学技術を駆使しなくても、一人の教祖によって大規模な集団自殺が起こせてしまう洗脳事件です。
(ここでも洗脳とはっきり言うことには、一人一人の考え方があるので不適切だと言う考えもあります)
最後に、支配者がいない洗脳の例も紹介していきます。
ヘヴンズゲイト
ジョーンズタウンの事件から20年後。
世界はカルトに対して無関心になっていました。
ジョーンズタウンは例外だった、と思うようになってしまったからです。
そんな中、ヘブンズゲイト事件が起きます。
ヘヴンズゲイトはマーシャル・アップルホワイトとボニー・ネトルスの創設によるUFOを信仰する宗教団体。
1997年、ヘール・ボップ彗星出現のときに指導者アップルホワイトと38人の信者が自殺をしました。
彼らは「天の王国」からUFOが迎えに現われ、ヘブンズゲイトのメンバーが「引き上げられる」時が来たと考えたのです。
宇宙への移動をつつがなく遂行するため、この集団は一連の自殺および殺人を実行した。
最初の一団がプリン(粉薬入り)を食べて深い眠りに陥ると、仲間たちが死に行く同士の頭にビニール袋を被せ、窒息を確実なものとしたのだ。
遺体は敬意を以て扱われ、紫の布が掛けられた。
ー彼らは全員死亡し、その地上の乗り物はもぬけの殻となった。(p11)
ヘヴンズゲイトのメンバーにとって、死は「ネクスト・レベル」に到達するため、宗教的に奨励された自殺でした。
この事件には強圧的な洗脳というものはなく、信仰の伝染の事例であったと結論されるだろう事件です。
これも洗脳と一言では言えない事件なのですが、洗脳といわれる一面があります。
今までの洗脳例は支配者の存在がいたのですが、この事件には支配者がいないというのが特徴的です。
洗脳はなぜあいまいなのか
これらの事件は、広く「洗脳」と伝えられています。
しかし、ここの事例を見ていけば洗脳と呼んでいいのかどうか、というのは議論される余地があります。
例えば、洗脳とマインドコントロール。
本から定義するならば、マインドコントロールは洗脳の一部です。
歴史的には脳を洗って白紙状態にすることによって、マインドコントロールをしようとしてきました。
洗脳の定義は広く、定義しようとしてもあいまいな面が多々でてきます。
おそらく、洗脳は昔でいうところのおばけや幽霊といった類のものと言えるかもしれません。
科学が発達する以前、人々は幽霊やおばけを怖がってきましたが、発達とともに科学的に説明ができないものとして畏怖の念が薄れていきます。
代わりに科学的な知識をつけた結果、洗脳という言葉はあいまいだけれど怖いという対象になりえるからです。
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