「現代に生きる人間の倫理」
第1節「人間の尊厳」
3.ルターと宗教改革
>>ルネサンスと人文主義
彼がどうして宗教改革の先駆者になったのかを見ていくよ
- ルターが宗教改革の先駆者になった理由
- ルターの思想
参考文献 「マルティン・ルター ことばに生きた改革者」(徳善義和)
ルターが宗教改革の先駆者になった理由
ルター(1483-1546)が宗教改革の先駆者になった理由には、聖書の解釈が当時の一般的解釈と異なったことがあげられます。
当時は聖書の言葉は一般的には広まらずに、律法だけ守らせる傾向がありました。
しかし、ルターはキリストの言葉(福音)の方が大事だと思ったのです。
なぜ一般的解釈と違ったことが革命を起こしたのでしょうか。
ルター修道士になる
ルター(1483-1546)は、もともとはキリスト者になる予定はありませんでした。
生まれは農民で、教育熱心な父親の元に育ちます。
法律者になろうとしていたところ、ルターに雷が直撃!
この事件を機に、ルターは「修道士になります」と心に誓いました。
そして、助かったのは神のおかげだと実感して、人生を転換させる。
この頃の人々には、こういう反応がよくあったみたい
ルターの聖書理解
ルターの在籍していた大学は、オッカムの学風で知られていました。
オッカムと言えば主意主義と唯名論。
- オッカムの主意主義⇒正しいことだから神はそれを人間に命じるのではない。
神が何かを命じるから、それを為すのが正しいということになる - 唯名論⇒個物のみ実在すると説く。「人間」という呼び方はあるが、実在はしない
ルターの在籍したエルフルト大学はオッカムの学風で知られる。ルターは教育学部の頃から哲学を学んでおり、個体こそ実在して、その実在は意志と能力によって確認されるというオッカムの唯名論になじんでいた。
「マルティン・ルター」p36
親鸞の悪人正機説みたいだね
ルターは、ラテン語でなく、もとのギリシア語に立ち戻って聖書を読み、イエスが「悔い改めなさい」と言ったのは、自分たち人間に日々時々刻々、悔い改めを望んでいるからだと理解した。「いくら罪を犯したくないと思っていても、罪を犯さずにはいられない。人間とはそういうものだ。しかし、毎日のひと時ひと時を心から悔い改めるならば、私がいる」とイエスは言っている。ルターは聖書のことばをそう受け止めた。
「マルティン・ルター」p80
エラスムスの解釈との転換とも取れる
- 当初の自由意志解釈⇒人間自らが望みさえすれば地位も才能も獲得できる存在
- ルターの自由意志解釈⇒人間の自由意志とは罪の中での意志であり、自由意志にもとづくと、人間は悪しか選ばない。
なので、神(イエス・キリストの受難と十字架)が人間に与える「義(正しさ)」を、人間が受け入れることでのみ救われる
つまり、人間はもともと悪しか選ばない。
でも、神の悔い改めの呼びかけがあれば、救われる。
ルターの翻訳
当時、教会はラテン語で統一されていました。
しかし、聖書を聞く民衆はドイツ語を話します。
民衆は教父が何を説いているのか、その意味を理解する必要がありませんでした。
民衆はいわば「立ち見の観客」であり、礼拝やミサが執りおこなわれる間、ただ立って見ていればよかった。
「マルティン・ルター」p13
ルターの転換によって起こった聖書理解は、民衆の理解によって福音を重視させるように仕向けるものです。
それは、今まで「〇〇すべし」という形だけをとっていたのに対して、「〇〇すべし、に至る心の持ちようが大事」という価値転換(律法から福音)です。
ルターは「ことばに生きた人」であった。‐そして、その聖書のことばを、民衆のために、民衆のわかる言葉で説きつづけた。宗教改革とは、そのルターが、聖書のことばによってキリスト教を再形成した出来事であった。
「マルティン・ルター」p10
宗教改革運動とルター
当時、贖宥状(しょくゆうじょう、免罪符)が教会によって販売されていました。
贖宥状は悪いことをしても、それを購入すれば許しをもらえるもの。
お金を集める目的で贖宥状を売る神父や、贖宥状を持つことで罪の意識を持たない人々に、ルターは憤りを感じていました。
なので、ルターは聖書を翻訳して、民衆が読めるようにしたのです。
特に有名なのが1517年にかかげた「95か条の意見書」(贖宥状を批判する文書)で、初めはラテン語でしたがすぐに翻訳されました。
しかし、困ったのが教会。
一人ひとりが聖書のことばと向き合い、ただ神の儀をうけいれることでのみ救われるのだとしたら、教会の教えや恵みは何も意味をもたなくなるどころか、神に背くものになってしまう。
「マルティン・ルター」p89
教会側はルターを破門。
それでも、ルターは言葉によって思想を伝え続けました。
ルターの運動は、ドイツ全土に広がっていきます。
1525年、大規模なドイツ農民戦争が勃発。
ルターの思想をバックボーンとして蜂起した農民ですが、当のルターは反乱を鎮めようとしました。
ルターは味方じゃないの?
ルターは「〇〇すべし」という行動よりも、心持ちを大事にしてたから、蜂起には反対だった
農民は世俗権力からの現実での平等を重視したけど、ルターは福音(罪からの救済の知らせ)の精神的平等を説いていた
地動説が認められるまで、迫害を受けた人も多い
ルターの思想
ルターの主要な思想を、教科書から抜粋します。
ルターの思想
- 信仰義認説⇒神への信仰のみによって、人間は神から義(正しき者)とされる
- 聖書中心主義⇒信仰によって神とむすばれるためには、聖書のみをよりどころとすべき
- 万人司祭説⇒神を信じる者はすべて司祭であり、人間は教会から自立しており、神の元では平等
- 職業召命観(しょうめいかん)⇒職業には聖俗の区別はなく、すべての職業は神から与えられた使命
ルターの自由
『キリスト者の自由』より「キリスト者は、すべてのものの上にたつ自由な主人であって、だれにも従属してない。キリスト者はすべてのものに奉仕する僕(しもべ)であって、だれにも従属している。」
ルターの礼拝改革の中心は、「神の奉仕」という理解の仕方にもとづく。ここで、「神への奉仕」ではないことに注意が必要である。ルターの考える礼拝は、英語で言えば「サービス」に当たる。そこで、人間が神に奉仕することだと考えられがちだが、そうではない。まったく逆に、神が人間に奉仕すると考えるのがルターの考える礼拝なのである。
「マルティン・ルター」p156
つまり、キリストが私たちにサービスをしてくれてるから、その教えに従うのが救済を得るのに正しいという立場かな