ルネサンスと人文主義

ルネサンスと人文主義|高校倫理1章1節1

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第1章
「現代に生きる人間の倫理」
第1節「人間の尊厳」
1.ルネサンスと人文主義
を扱っていきます。
前回までは第1編「青年期の課題と人間の自覚」をみてきました。
>>第1編1章①人間とは何か
>>第1編3章⑮小林秀雄と文芸批評の確立
今回から第2編1章に移ります。
前回までは日本について見てきたけど、今回からは世界について見ていくよ
倫理の教科書では、2編1章は中世末期(14世紀頃)のヨーロッパで起こったルネサンスから出発します。
ルネサンスとは、どのような意味があったのかを見ていきましょう。
ブログ構成
  • ルネサンスとは何か
  • ルネサンスと人文主義
  • ルネサンスにおける神学と哲学

参考文献

ルネサンス 歴史と芸術の物語 池上英洋デカメロン ボッカッチョ著・柏熊達生訳新しく学ぶ西洋哲学史哲学用語図鑑まんがで読破 神曲誰も書かなかったダンテ『神曲』の謎

ルネサンスとは何か

倫理でのルネサンスは、古典ギリシア、ローマ文化の復興・再生という意味があります。

ルネサンス⇒ギリシア・ローマ文化の復興
ルネサンスは当初ヴァザーリ(1511-1574、画家、建築家)が復興・再生と名づけた。
19世紀になってミシュレ(歴史家)「人間と世界の発見」や、ブルクハント(歴史家、大学教授「個人の発見」)などが新しくルネサンスの概念を転用したよ
(新しく学ぶ西洋哲学史p118)
歴史的なルネサンス解釈を見ていきます。
ルネサンスは14世紀頃に芸術運動、思想運動として広まっていきました。
特に有名なのが絵画です。
中世文化は神様中心だったのに対して、ルネサンスでは人中心の目線になっていきます。

絵画の変化

まずは中世的絵画の例。
イエスキリストが神のように描かれています。
次にルネサンスの例。
イエスキリストが人間らしく描かれています。
この転換に影響を与えたのがアッシジのフランチェスコ(1182-)です。
彼はある遠征の途中、「私の教会を建て直せ」というイエスキリストの声を聞いたと言います。
キリスト教を広めたパウロも、イエスキリストの声を聞いて回心したといわれている
>>イエスの死とキリスト教の誕生
それから回心し、病人の世話や肉体労働、そして托鉢と説教を行いました。
フランチェスコは「人間性と弱さをそなえた」人間的イメージのイエスから声を聞いたと語ります。
フランチェスコは意見の食い違う司教の父親と対立。
「全てをお返しします」として服を抜いで裸になったらしい
「人間的」イメージのイエスが、美術史において決定的な転換を与えました。
(参照「ルネサンス 歴史と芸術の物語」池上英洋)

署名と自意識

ルネサンス以前、画家は自分の絵に署名しなかったと言われています。
「偶像礼拝禁止」という原則があったからです。
なんで偶像礼拝禁止が署名に関係するの?
当時、識字率が低かった社会に、わかりやすくキリスト教を示す偶像は必須でした。
なので、偶像を「イコン(いわゆるアイコン)」という象徴にしたのです。
イコンに描かれている像は、あくまでも目に見えない聖なるイメージが、ただ可視的な形をとって画面上に焼きつけられたものとみなされています。
‐彼ら(画家)は「聖なるイメージ」とされているものを、ただひたすら忠実に模倣しなければなりません。
そこに、彼らの創意工夫が入り込む余地はないのです。
「ルネサンス 歴史と芸術の物語」池上英洋)
”キリスト教のための美術”であった中世美術の初期段階は、画家はただ忠実に模倣する人であって、「もっと美しく、もっと神々しい像を描こう」と創意工夫をしてはいけませんでした。
イコンの絵は「聖性を宿す器」にすぎないと解釈された。
自分で思いついたり好きなように描いたりすると、それ自体が「ある」ものとして偶像になってしまう
ルネサンス以後、画家が署名をするようになります。
それには、先ほどのイエスキリストのイメージの他に、思想の流入がありました。

プラトンのイデア

ルネサンスの絵画には、哲学者プラトンのイデア思想が関係してきます。
>>プラトンのイデアとは

当時、プラトンやアリストテレスなどの哲学書は、ラテン・キリスト教世界にはほとんど伝わってなかった。
でも、12世紀半ばに、イスラム世界から逆輸入されて伝わった
社会背景には十字軍遠征(単純解釈:イスラム教vsキリスト教)があって、文化が入り混じったよ
プラトンは自然を写す行為(芸術の創作活動はこう考えられていた)は、イデアの「模倣(ミーメーシス)」だと考えました。
プラトンのイデアは実在する理想世界です。
イデア界には、本当の自然があるけれど、人間はその模倣(写し)しか感じることができないと説いたのです。
つまり、自然は人によって感じ方が様々だと解釈されていきました。
イデアを描くには能力(才能)が必要だとプラトンは考えた、とショーペンハウアーは解説してる
>>プラトンのイデア論とショーペンハウアーのイデア論
プラトンにとって、人には自然を直観する能力がある。
>>自然物と人工物とは
つまり、直観で感じられた自然を模写することは、各個人の能力によるものだと捉えられたのです。
ただの「アイコン」だと、絵の上手い下手というのはない。
でも、人々は絵を見て優劣をつけている。
その基準となるものには、それを描いた人の個性が関係すると考えられるようになった

絵画におけるルネサンスの影響まとめ

  • イエスキリストイメージの転換(神⇒人)
  • 偶像における意味の転換(聖性の写し⇒人が描いた作品)

絵画を中心に見てきましたが、次は文学からルネサンスを見ていきます。

ルネサンスと人文主義

ルネサンス文学の先駆はダンテ(1265-1321)の『神曲』だと言われています。

神曲は叙事詩(歴史的事件、特に英雄の事跡を叙事の態度でうたい上げた詩)。

当時、一般の人の識字率は低かったので、口頭で語れるような物語や詩が一般的でした。

『神曲』の内容

ダンテは美しいベアトリーチェに一目ぼれをした。

しかし、話すことなくベアトリーチェは亡くなってしまった。

彼女を愛していたダンテは、生きる道を見失う。

気がつくと、ダンテは荒れ果てた暗い森にいた。

そこに古代ローマ詩人のウェルギリウスが登場する。

彼は、ダンテを「地獄」「煉獄」「天国」へ連れていった。

なぜダンテが各世界に連れていかれたのかと言えば、ペアトリーチェが天国からダンテを見て悲しくなって、生きる気力を与えたいと思ったから。

ダンテは現実の世界に戻り、そこには愛があふれていると発見した。
「まんがで読破 神曲」のあらすじ

この叙事詩は、生きる人間が主役です。

そして、「地獄」「煉獄」では、飽食の罰、嘘をついた罰、裏切った罰、などを描いています。

有名な古代哲学者も出てくるんだけど、彼らはキリスト教に入ってなかったから、天国には入れなくて地獄の淵にいた
当時の人には一種の百科事典のようなものとみなされていたようです。
(参照 誰も書かなかった ダンテ『神曲』の謎)
『神曲』では、歴代のローマ教皇を聖職売買の罪で堂々と批判しています。
当時の教父哲学では、「人間は教会で祈りを捧げなければ救われない」とされた。
教会がシステム化されていたよ。
>>アウグスティヌスの恩寵予定説
人々は救われるために祈ったけど、権力を持った教会は腐敗してしまっていた
ダンテに影響を受けたのは、ペトラルカ(1304-74、叙情詩『カンツォニエーレ』)やボッカチオ(1313-75、小説『デカメロン』)です。

ボッカチオ『デカメロン』

ボッカチオの『デカメロン』は、古い権威を風刺した、近代小説の祖と言われています。

ペストが流行している都市から逃げた貴族が、10人で10話ずつ計100話を10日間にわたって話すという内容。

『デカメロン』は1350年頃執筆され、1470年頃にフィレンツェで刊行されたと言われています。

印刷技術が発展して広まっていった!
それまでは、絵画で考えが広まるほうが早かった。
ダンテの『神曲』はいろんな画家がそのイメージを描いたと言われている
『デカメロン』の100話というのも『神曲』が100の詩から成り立つことを踏襲。
その話の中には、『神曲』に登場した話のパロディーのようなものもある、と言われています。
『デカメロン』の内容
  • 当時流行ったペストの現実を描き、人々が生きる気力をなくしている様子が描かれている。
  • 教会批判
    1話:極悪人が司教につくり話によって懺悔をし、死後に聖人として崇められるようになる話
  • 信仰批判
    2話:ある男が、イスラム教の友人に、地獄に落ちて欲しくないためにキリスト教入信をすすめる。
    友人はキリスト教を調べ、キリスト教中心地は堕落しきっていることを発見。
    しかし、男のキリスト教が広がってほしいと願って入信するという皮肉めいた話
  • 性行為が教会内で秘密裏に行われていた話
  • 女性が物として扱われることに対して抗議する話。
    10話「ここではわたくしは、パガニーノ(女を盗んだ男)の妻であるような気がいたしますが、ピザではあなたの娼婦でいるような気がいたすのでございます」
当時、女性は「親が決めた財力のある人」に嫁ぐのが一般的だったみたい。
だから、美女と野獣カップルだとか、年の差婚が多かったとも言われている
当時の女性の平均寿命は35歳で短く、男性はその後にまた若い女性を妻にした文化があったと「ルネサンス 歴史と芸術の物語」では言われていたよ
デカメロンから抜粋する批判的なセリフ。
パンフィロ(登場人物)は、そのお話のなかで、神の御慈愛はわたくしたちの誤りを、その誤りがわたくしたちの目のとどかないところから起こる場合には、とがめだてなさるものではないということをお示しになりました。
「デカメロン」p71
「極悪人が評判で聖者になったことに対する批判」を論理的に立証するには、どうしたらいいかを見ていくよ
この批判から、中世思想の移り変わりもみていきましょう。

ルネサンスにおける神学と哲学

ルネサンス運動によって、思想運動も活発化していきました。

まず、中世思想を振り返ります。

中世のスコラ学

中世の学問的な神学(スコラ哲学)では、「哲学(論理)は神学のはしため」と考えてきました。

神学>哲学

  • 人間の理性が到達できない問題は「神学」
  • 人間の理性が到達できる問題は「哲学」
  • トマス・アクィナスは理性で到達できない問題を真理と呼び、真理にせまるのは神学だと説いた
    「哲学用語図鑑」

トマス・アクィナスの立場は「主知主義」と言われています。

トマス・アクィナスの主知主義⇒神が人間に何かを命じるとき、それが正しいことであるがゆえに神はそれを人間に命じると考える

しかし、ルネサンスで古代ギリシア思想が流入してくることによって、「神学>哲学」という位置づけがゆらぎはじめます。

教会内でも、これは神学領域だとか、哲学領域だとかの論争が起きていました。

神が気がつかなければ極悪人も聖人になる、という現象を説明できないよね

ここで登場するのがオッカムのウィリアム(1285-1347)です。

オッカムのカミソリ

オッカムは「無敵博士」と呼ばれました。
>>オッカムの剃刀(カミソリ)とは

論証能力に優れていたのです。

オッカムは「主意主義」と呼ばれています。

オッカムの主意主義⇒正しいことだから神はそれを人間に命じるのではない。
神が何かを命じるから、それを為すのが正しいということになる。

オッカムは「神の全能」を強調しました。

これなら、世間で「悪いこと」とされていても、神が命じていることだから正しいってなるね!
だから、さっきの極悪人が聖者となることも、論理的に説明できる
でも、これって「神学>哲学」を強めただけ?
強め過ぎたために、神学と哲学の切り離しが行われたのです。

ウィリアム・オッカムは、後期スコラ学を代表する学者であり、同時に、スコラ学を崩壊へと導く大きなきっかけを作った。

というのも、スコラ学とは、神学と哲学、信仰と理性の絶妙な区別と統合を本質とするものであったが、オッカムの思想のうちには、神学と哲学、信仰と理性とを単に区別するだけではなく、それらを切り離し、分裂させる観点が含みこまれていたからである。
「新しく学ぶ 西洋哲学史」

オッカムは普遍論争(普遍が実在するかどうかという論争)において、普遍を否定しました。

つまり、普遍的なものが「もの」として実在することを否定したのです。

オッカムは合理的であるべき哲学は、「人間」という普遍は存在するとする神学と分離して考えるべきだと説きました。

神学では「アダムとイブ」に人間の原罪をみる。(祖先が悪いことをしたから原罪を負う)
でも、オッカムは普遍の実在を、哲学の領域では否定した。
つまり、唯名論(オッカムの立場)に立つと原罪を背負わなくて良いことになる。(原罪がないなら教会に行かなくてもよくなる)

ルネサンスとオッカムの思想

このオッカムの思想は、ルネサンスの肯定へとつながります。

偶像崇拝はダメと言われていたことから、人々は署名をせず、絵画の目的は写しにとどまっていました。

しかし、普遍の実在を神学にのみ認めることによって、個人が発見されていくことになります。

  • プラトン思想⇒自然は模造物で、芸術品は各個人の才能によって写しだされる
  • オッカム思想⇒神学領域と哲学領域を分けた
それは神学での考え方であって、論理的な考え方ではない。
それは僕が描いた絵!
教会の権威や堕落に不満を持っていた人々にも、人文主義的な思想は受け入れられていきました。
オッカムの剃刀は、神秘的ではなく合理的に物事を考えるきっかけとなったのです。
無駄な言葉(論理で役立たない言葉)を剃刀で切り落とすような考え方だったから、「オッカムの剃刀」と命名された
今回はルネサンスと人文主義をやりました。
次回は、自由意志と万能人について扱います。
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