モンテーニュ

モンテーニュとモラリスト|高校倫理1章1節5

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第1章
「現代に生きる人間の倫理」
第1節「人間の尊厳」
5.モンテーニュとモラリスト
を扱っていきます。
新旧(カトリック対プロテスタント)のキリスト教徒による宗教革命。
その時代に、モラリストと呼ばれる人々が出てきます。
モラリスト⇒人間の生き方(モラル)を考察する思考家のこと
ここでのモラルは道徳とは意味あいが違っていて、モラリストは既存の道徳を否定していたりする
モラリストで有名なのがモンテーニュパスカル
今回はモンテーニュを扱っていきます。
モンテーニュはエッセイ(随筆)の創始者と言われている。
彼の主書「エセー」が由来
人文主義思想から宗教改革を得て、人間はどのようにとらえられたのでしょうか。
ブログ構成
  • モンテーニュがモラリストな理由
  • モンテーニュのクセジュとは

参考文献 モンテーニュ 人と思想(大久保康明著)エセー(一)(原二郎訳)寝るまえ5分のモンテーニュ (アントワーヌ・コンパニョン著 山上浩嗣・宮下志朗訳)哲学用語図鑑

モンテーニュがモラリストな理由

モンテーニュ(1533-1592)の時代背景をまずは見ていきます。

時代背景

  • 1492年コロンブスが新大陸に上陸。
    航海に乗り出したスペイン人の多くは、新大陸の人々を野蛮人と決めつけたり、奴隷として働かせたりした
  • 16世紀にイギリスで展開された宗教改革。
    プロテスタントとカトリックとが対立し、多くの宗教戦争が勃発

モンテーニュの生きた時代は、さまざまな対立構造ができていたのです。

心が痛い…
ここで出てきたのがモンテーニュの著書「エセー」。

モンテーニュは新大陸にいるインディアンに対して、彼らは野蛮なのではなくて、異なった習慣があるのだと説きます。

また、宗教戦争で流行していた魔女裁判に対して、判決は放棄すべきだと主張しました。

モンテーニュは既存の規則や思い込みに対して、人々を考えさせていった。
当時、植民地反対や魔女裁判放棄を訴える人は少なかった
偏見やおごり、独断を捨てる。
謙虚に相手の考えや文化を学ぶ姿勢が大事だと主張しました。
このような考えを持つ人をモラリストと言います。
時には新大陸の常識が野蛮に感じられることもあったかもしれない。
でも、そんなときはまず自分を疑ってみようと説いた
野蛮に感じられるということは既存の常識(道徳的なもの)からは外れていたということ。
例えば、食人種などです。
しかし、モンテーニュは言います。
イギリスの宗教裁判で、生きながらに人間が食べられる様子を見たことがあった。
また、新しい領土を征服しようとして戦う方が野蛮ではないのか、と。
したがって、理性の法則から見て彼らを野蛮であるということはできても、われわれにくらべて彼らを野蛮であるということはできない。
われわれのほうこそあらゆる野蛮さにおいて彼らを越えているのである。
「エセー(一)p405」
モンテーニュは自家出版で「エセー」を出した。
当時は、ラテン語で書かれた格式ばった文章ばかりだったのだけど、彼はフランス語で民衆に語りかけるように書いた
新大陸の発見は、対立構造の発見以外にも、人々に視野を広げさせるという効果を持っていました。
モンテーニュ自身もよく旅をしたと言われています。
ちなみに、「エセー」自体には人々をお説教しようという意図はありません。

エセーの意図

はじめわたしにものを書こうなどという気を起こさせたのは、ある憂鬱な気分、つまり、わたしの生来の気質とは大いに反する気分なのです。

その気分は、わたしが数年前に飛び込んだ孤独の寂しさから生まれたものでした。

そしてわたしはほかに書くべき材料がなく、自分がまったく空っぽなのに気がつきました。

そこでわたし自身を自分の前に差し出して、これを材料とも主題ともしたわけなのです。
「モンテーニュ 人と思想」p90モンテーニュからの抜粋

モンテーニュの憂鬱な気分は彼に筆をとらせました。
その背景には、モンテーニュが腎臓結石をわずらっていたこと、友人や父や子どもの死、自分の記憶力のなさなどがあります。
モンテーニュの記憶力のなさに関して、自分の書いた本すら忘れるほどだったと言われている
自分が空っぽだと感じられても、文章には彼らしさがあるように感じられます。
彼は自分自身が何かがわからないので、ずっと自分自身を観察しながらエセーを書きました。
そして、そんな彼だからこそ、モラリストだとも言われたのです。
例えば、自由を志向している間に自由があることに似ているかもしれない。
モラル(道徳)はそれを追っているモラリストにしか現れないという解釈。
道徳を見つけたと決めつけると、それを追う運動や多様性がなくなるから道徳ではなくなる
モンテーニュの後の世代の人々が、彼をモラリストと呼びました。
彼の生き方そのものがモラルだったと多くの人々に思われたからです。
モンテーニュの真似をしてモラリストになる!
真似をしてもモラリストになれるわけじゃないんだよ

モンテーニュと宗教

モンテーニュは宗教戦争の仲立ちをすることが多かったと言われています。

彼自身はカトリック教徒。

けれど、彼の宗教観はいまも謎であり続けています。

モンテーニュは公の場では、その場に従った発言をすることもあるとエセーで述べている
(献身的なキリスト教徒的)
でもまた、宗教というのもその土地にいるから「フランス人」というようなもので、そこにいるから「キリスト教徒」だと述べている
(反キリスト教徒的)

モンテーニュのあり様を追っていきます。

モンテーニュのクセジュとは

モンテーニュの有名なセリフはクセジュです。

ク‐セ‐ジュ⇒「わたしは何を知るか

著書「エセー」ではクセジュを標語としてかかげています。

なんで疑問形を主張したのかな?
モンテーニュは弁護士であり、レーモン=スボンの「キリスト教の真理性を証明しようとした書物」の弁護をしようとしていました。
その裁判の結果に述べたモンテーニュの言葉。
われわれは存在とは何の連絡もない。
なぜなら、人間の本性はすべて、常に生成と消滅との間にあり、自己については不明瞭な見かけと影、そして不確かで弱い判断しか提出できないのだ。
「モンテーニュ 人と思想」p131
つまり、モンテーニュは裁判において「人間というのは不確実なのがもっとも確実」だと述べてしまったのです。
確かに宗教については、理性での判断を越えている。
だから、オッカムが哲学と神学をスパッと分けてしまうという歴史があった
でも、これって自分にもダメージがあるよね。
だって、言いきってしまう(強い判断)から矛盾が生じる
モンテーニュはこの立場においてクセジュ(「わたしはなにを知っているか」)を発見しました。
この短い表現(クセジュ)はモンテーニュ自身の提唱するものであり、懐疑論の最も尖鋭で根源的な表明としての意味を持つ。
彼はみずからの翻訳作業から「弁護」執筆へと導かれ、その道程の果てに、判断中止を迫る鋭く短い疑問形の標語を発見したのだった。
モンテーニュ自身による判断中止の立場の定式化である。
「モンテーニュ 人と思想」p132
このクセジュという言葉を意識。
すると、自分の強い判断を防ぐ効果があります。
自分の言葉に偽りがないかという再思考もできるのです。
モンテーニュは「判断力の限界を知ることは判断力の誇りとする特徴である」と主張していた
「エセー」には「生来の能力の試し(essai)」という意味もあって、自分で自分を試しているんだね
モンテーニュはこの態度を徹底しています。
例えば、コペルニクスの地動説について。
モンテーニュは地動説と天動説とどちらが正しいかという問いは重要でない、と言います。
それは、今から何千年後かに第三の意見がでる可能性があるからだ、と。
自分に判断停止(クセジュ)を迫ることで、逆にそのものについての無限の可能なありようを予期する態度があります。
自己認識に限界を感じるからこそ、その態度は逆に無限の可能性をもつことになる。
例えば、科学哲学では否定できるものを科学だともしている

人文知とは

人文主義者による人間の探究からモラリストがでてきました。
モラリストは人間とはなにか、わたしとは何かを考察する思考家です。
モンテーニュは自己を見つけようとして、後の人からモラリストと呼ばれました。
つまり、懐疑を保持しつつ、その彼のありように人々は人文主義の次の形(モラリスト)を見つけたのです。
すなわち、『エセー』におけるモンテーニュの思考の断続的な展開は、全体としても、個別にも、高度に主観的なものであり(「自己」ゆえに)、また非断定的である(「懐疑」ゆえに)ということができる。
「モンテーニュ 人と思想」p150
「これは自分の考えだ!」
と、言い切ると懐疑ができない
つまり、人文知は矛盾。
矛盾と言い切ることに矛盾があるから、第三者がそれを決めるしかないんだね
モンテーニュはしばしば自分に逆説を問いています。
人々は自分の側のすべてを讃えるが、わたしはわたしの側の事柄の大部分を赦すことさえもしない
「モンテーニュ 人と思想」p170モンテーニュからの抜粋
ときに自分が第三者になることで、自分がわかったりするのかも
モンテーニュとモラリストについてやりました。
次回はパスカルについて取り扱います。
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