このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
今回は
高校倫理第3章
「日本人としての自覚」
第4節「西洋思想の受容と展開」
⑬民俗学からみる常民(じょうみん)の学問
を扱っていきます。
江戸幕府は朱子学を用いて上下定分の理(じょうげていぶんのり)を説き、身分制度を正当化したのです。
江戸幕府の目的は下剋上(争い)が起こらない安定した世の中をつくることにあったよ
皇室、武士階級、農民階級といった区分けによって、その身分で人々は生活をしていました。
その頃、読み書きは一般的ではなく、書物になっているものは身分が上の人々の文化です。
多くの人々の文化は口頭によって伝わっていました。
そこで、口頭で伝わっていた日本の伝統的な生活様式や習俗、伝承、年中行事を掘り起こして、その意義を再発見する民俗学が柳田国男(やなぎだくにお)や折口信夫(おりくちしのぶ)よって提唱されたのです。
民俗学⇨それぞれの地域に伝わる伝承や言い伝え、文化や人々の生活習慣を研究する学問
民俗学と常民(じょうみん)
民俗学そのものは20世紀後半、世界の文明民族の間で必然的に起こった学問です。
ヨーロッパの文明社会も、周辺の地域社会に残っている文化を研究対象にして、民俗学をスタートさせたんだって。
例えばグリム童話が有名
日本民俗学は柳田国男(1875-1962)を中心に体系化された学問。
背景を見ていきます。
文明開化で入ってきたのが天賦人権の概念です。
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり
「学問のすすめ」(福沢諭吉)
江戸時代にあった身分制度はなくなりました。
この視点から、日本の近代化、工業化に対する批判の姿勢をもった柳田民俗学が出発します。
柳田は、村落共同体に生きるごくふつうの農民(常民、じょうみん)の日常生活に着目し、民俗学をスタートさせたのです。
なんで批判なのか、という一つは、江戸時代が平和な時代だとみられていること
文字以外の資料から人々の生活の姿を探し出し、そこに日本文化を見いだそうとしました。
身分制度があった頃のいわゆる士農工商の農民の文化ってこと?
農民を常民と、初めは実体を伴って使っていたふしがあるのですが、そのうちにこの言葉自体にも時代的変化が起こっていきます。
常民(じょうみん)とは
身分制度が続いていたとすれば、民俗学は多くの人が属していた農民の文化、という定義でも通じていたかもしれません。
しかし、現代で農民というのは一般的ではありません。
庶民とか、一般人というのも、現代では差別的要素を含む感じに聞こえるよね
当時の人々の一般的な文化。
それを取り出そうとする対象を柳田は次第に実体(農民)ではなく、概念(普通の人々)として「常民」を使うようになっていきます。
庶民をさけたのです。
庶民には既定の内容がすでに定まり、それに理屈はいくらでもあるのですが、常民にはおそれ多い話ですが皇室の方々も入っておいでになる。
普通としてやっておられたことなんです。
「民俗学」宮田登 kindle p42
お祭りや儀式などの風習は、農民や皇室の方々も同じように持っています。
当時の人々であっても今の時代の人々であっても、風習は同じように持っている、と考えます。
常民⇨普通の人々の日々の暮らしの概念
常民の「常」⇒日常的生活の「常」
文明開化以後、読み書きが一般化されていったことで、文学を十分に知らなかった時代の生活をけなすという事態がおこりました。
その事態を避けるためにも、「常民」という普通の人々の日々の暮らしという概念を導入していったのです。
民俗学は常民を扱う学問!
だから、今を生きる私たちが資料にもなる学問なんだね
民俗学の争いと発展
民俗学の定義はとても広い範囲に及びました。
柳田国男は『郷土研究』を農村生活誌を基にするような、普通のことを聞いてまわる、という地道な作業で書き上げていきました。
それに対立したのが、南方熊楠(みなかたくまぐす、1867-1941)です。
南方熊楠(みなかたくまぐす)
南方は、『郷土研究』を経済・制度といった社会的事象を軸に構成していきました。
つまり、柳田は「普通」を集めようとしたのに対して、南方は「限定された普通」を集めようとした
例えば、日本では家の中で靴を脱ぐのが普通で、どのような地域差や時代差があるのかを集めるのが柳田風。
それに対して、外国では家でも靴を履くという文化に対して、日本文化は靴を脱ぐという構造を発見するのが南方風。
異文化を知ると、日本文化との違いが浮き彫りになる(南方風)よね。
ただし、日本文化の中での時代の移り変わりだったり、地域ごとの違い(柳田風)は浮き彫りになってこないよね
南方は博学で、柳田国男から「日本人の可能性の極限」と言われ、現代では「知の巨人」との評価があるそうです。
また、現代の環境保護の先駆となる活動をしていました。
南方の指摘の通り、柳田国男の学問への取り組みは時間がとてもかかりました。
それゆえに、柳田民俗学は目標に掲げた(日常生活の歴史の再構成)一部だけが残り、一国民俗学に限定されたような錯覚を与えてしまったと言われています。
折口信夫(おりくちしのぶ)
折口信夫(1887-1953)は、国文学や芸能の研究と民俗学を融合させていきました。
古代日本人の思想の「まれびと」(まれに訪れてくる神または聖なる人)の概念などを説いています。
>>神と古事記
- 国学⇨外来思想を受け入れる以前の古来日本に理想的な日本固有の道があったとする、江戸時代中期におこった学問
- 新国学⇨伝承の研究によって日本人という存在を考え知る学問
国学も新国学も「日本人とは何か」を問いているんだね
民俗学と現代
ここでは民俗学で紹介していたトピックを抜粋して紹介します。
妖怪と幽霊
同じお化けといいながら、妖怪と幽霊が異なることを力説したのは柳田国男です。
妖怪
- 出てくる場所がたいてい決まっている
- 特定の相手を選ばずに、むしろ大勢に何かを伝えようとする
- 夕暮れ時、明け方にでてくる
幽霊
- あの世からやってきて、場所が決まっていない
- 特定の相手を恨みや怨念を持って追いかける
- 丑三つ時(午前2時から2時30分が多い)
これらの分析をふまえて。
怖いという感情は、妖怪に対するものと幽霊に対するものとはどこかにちがいがある。
それは幽霊が、特定の個人的心意の反映であり、当事者のみ、真の恐怖感を味わうのに対し、妖怪には、共同感覚の上で、怖いと感じている点なのである。
「民俗学」宮田登p174
口語りで伝えられる妖怪や幽霊の話を分析して、日本人を捉えていきます。
最近はお化けの話も聞かなくなってきたけど、2020年に妖怪アマビエとかは流行ったね!
日本人の消失
民俗学者の菊池暁は、今やほとんどの欧米諸国がそうであるように、自然と伝統が終焉した社会に私たちは住んでいると述べます。
日本人という意識がうすい状態であり、日々の生活において個人の意思決定が求められる社会に私たちは住んでいる。
つまり、さまざまな人間活動が伝統と慣習によって縛られなくなった状態です。
日本人という共同体をどのように考えていくかの考察の一つは、民俗学で考えられています。
ヒトは、誰かのために、誰かと共に、暴力をふるう存在となることができる。
この事実をいかに受けとめ、いかに飼いならすことができるのか。
人類史的アポリア(解決のつかない難問)は、いまだアポリアのままだ。
「民俗学入門」菊池暁 p214
また、かりに民俗が現象面で消失したとしても、潜在的には強固に伝承されているのが民俗だという主張もあります。
民俗が消滅したならば、逆に民俗の本来的な姿の発見になるかも、という予測がある。
例えば、私が日本人でなくなったとして、それを外から見ることで、私はこういう意味で日本人だったのだと構造で捉える感じ
現代哲学と民俗学
民俗学の範囲は幅広いので、現代の哲学者古田哲也の本「いつもの言葉を哲学する」でも、民俗学的発想をみることができます。
言葉は生ける文化遺産であって、私たちの生活のかたちが絶えず変容を続けるなかで、言葉やその用法も変わり続けている。
そして、特定の言葉に対する違和感は、社会や物事のあり方に対する私たちの見方が変わりつつあることを示す重要なサインでありうる。
「いつもの言葉を哲学する」p214
例えば、「お母さん食堂」や「おかあさんといっしょ」といったものにみられる「お母さん」の用法をあげています。
「お母さん」が育児や食事やイエを支えるといったイメージに、差別意識を感じる人が増えてきたからです。
農民イメージの転換が「常民」だったように、現代でも違和感を感じる言葉は増えてきているよね
これらは今日、「炎上」によって明らかになってきます。
- 炎上⇨ウェブ上の特定の対象に対して批判が殺到し、収まりがつかなさそうな状態
一般の人だけではなく、有名人の発言が前近代的(差別的)といって、個人的な炎上も起きています。
自分の価値観がどこにあるのか、それを知る手がかりにも民俗学はなりそう
現代のベストセラー新書で、民俗学と書いてなくても関連する書物は多そう!
今回は民俗学と常民をやりました。
次回は超国家主義について取り扱います。