小林秀雄

小林秀雄と文芸批評の確立|高校倫理3章4節⑮

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第3章
「日本人としての自覚」
第4節「西洋思想の受容と展開」
小林秀雄と文芸批評の確立
を扱っていきます。
小林秀雄(こばやしひでお、1902-1983)は、批評という独自のスタイルで文筆活動をしました。
批評⇨ある事物の是非・善悪・美醜などを指摘して、その価値を判断し、論じることをいう。
批判、評論とも言う。
批判しちゃダメって言われた!
否定と批判の意味は本来は違う。
でも、批判がそのイメージも持っているよね
小林秀雄は「文芸批評の祖」と呼ばれています。
なぜ祖と呼ばれるようになったのか。
なぜ批評が必要だったのかを見ていきます。
小林は生きるために批評が必要だった!
そして、それは現代人の多くにも当てはまる
ブログ内容
  • 小林秀雄の批評とは
  • 小林秀雄と「直観」
  • 小林秀雄の「直観」を信じるということ
参考文献

小林秀雄の批評とは

小林秀雄の批評の必要性は、時代を追っていくとわかります。

まずは開国から。

文明開化から西洋思想が入ってきました。

そのときに、日本は和魂洋才という立場をかかげます。

和魂洋才⇒西洋と東洋の特質を科学技術(西洋)と道徳(東洋)とにわけてとらえようとする思考方法
>>佐久間象山と蘭学と幕末
日本人は西洋技術を受け入れることで、素早く文明発展ができました。
が、和魂洋才は失敗し、和魂が古い価値をおびていくようになります。
今までの道徳が古くみられて、価値を失っていったのです。
最新技術カッコイイ!!
なんか道徳ってダサいかも
日本思想が道徳、西洋思想が自由だったとすれば、「自由>道徳」になってしまった。
西洋技術だけの取り入れはできなかったんだね
キリスト教に基づく西洋思想を取り入れることはせず、もともとあった道徳を持ちつづけることもしなかった日本。
多くの日本人がニヒリズム(虚無主義、価値の喪失)におちいりました。
自由や平等が第一、というような手段の目的化が起こってしまった。
つまり、何からの自由が欲しかったのかがわからずに、自由が善いものだから自由を信仰するという価値観
例えば、江戸時代の身分制度から自由を手にしようとがんばる。
すると、自由が目的になって、何から自由になりたかったのかを考えなくなる。
でもまた、目的にこだわりすぎると自由じゃなくなったりするけどね

「ぼんやりとした不安」

近代日本を襲った関東大震災(1923年)。

大地震によって東京の街並みは一変して、コンクリートで固められたモダン都市になりました。

ここで多くの日本人が不安を感じだします。

何を基盤に人との絆を紡げばいいのか見えなくなってしまったのです。

それを象徴するのが芥川龍之介の「ぼんやりとした不安」。

「或阿呆の一生」まとめ

ある二階建ての本屋。

その二階には西洋の名だたる思想家がずらりと並んでいました。

「モオパスサン、ボオドレエル、ストリントベリイ、イブセン、ショオ、トルストイ……」

二階で背表紙を見ていた青年は、一階に降りようとします。

その梯子(はしご)の途中。

青年は一階にいる店員や客を見下ろしました。

彼らが妙に小さく思えたのです。

「人生は一行のボオドレエルにもしかない(およばない)」
小林秀雄の「人生」論p42

青年は二階を眺めることによって、西洋思想の偉大さに恍惚していました。
しかし、現実は見ずぼらしく感じてしまった一階。
青年は自分が梯子で降りていく場所を見失ってしまったのです。
芥川は「ぼんやりとした不安」によって自殺してしまった
近代日本が、そんなアイデンティティ・クライシス(自己同一性の喪失)に見舞われている最中、一切の〈理念=指導理論〉を拒もうとする一人の文芸評論家が登場してくることになります。
のちに”近代批評の祖”と呼ばれる、小林秀雄です。
「小林秀雄の『人生』論」p44
なるほど、だから生きるための批評なんだね!

日本は西洋文化を賞賛しつつも、同時に嫌悪感がありました。

例えば、和魂洋才を説いた背景には、西洋の植民地主義(勝てば正義)に対抗しようとした背景があります。

植民地主義はどんな人も奴隷にしようとしてたけど、当時の人はそんな精神を真似しちゃいけないと思った

小林秀雄は西洋思想の2階と日本の現実という1階の「梯子(はしご)」になろうとしました。

その梯子が批評だったのです。

小林秀雄の批評は、思想と現実世界をつなごうとする生への言葉

小林秀雄の批評

小林秀雄は『改造』という雑誌に文芸批評論文を投稿します。

それがデビュー作の「様々なる意匠」です。

小林の「意匠」は、当時の知識人が語る「立場」や「主義」のことを指します。

例えれば、「意匠」は先ほどの二階にあった西洋思想の背表紙のようなもの。

西洋思想の立場や主義にどうしてもなれないのが日本人でした。

なので、それはその主義・主張とだけみられるような方法(批評)を小林秀雄は編み出したのです。

ある対象を批評するとは、それを正しく評価する事であり、正しく評価するとは、その在るがままの性質を、積極的に肯定する事であり、そのためには、対象の他のものとは違う特質を明瞭化しなければならず、また、そのためには、分析あるいは限定という手段は必至のものだ。
「考えるヒント集」p154

小林秀雄は「批評とは人をほめる特殊の技術だ」(同書p153)と言っている
例えば、科学的に信じられないお化けの話であっても、その人の経験として真摯に聞く態度
小林秀雄の批評は他者との出会いです。
自分がその他者になることはなく、出会いの中に浮かび上がってくる「橋」(梯子)を描き出すという実践でした。
自分がその主義に染まることがなく、ただ批評ってできるのかな?
自分を基準にしすぎるから精神衰弱しちゃうんだって言ってる。
自分を見失うまで自己解析すればするほど、批評はうまくいくと小林秀雄は考えた。
そもそも批評に自分の意見や主張はいらないらしい
小林秀雄は他者を「自分を映しだしてくれる唯一の歪んでない鏡」と捉えました。
例えば、あなたが得意なものは、他人の苦手を通してわかります。
>>天才と変人は紙一重
個性という言葉でさらに例えるなら、あなたの個性はそれが当たり前にできたり、苦にしないような、あなたにしかないことだとも言えます。
つまり、他者は自分をわからせてもらうものであり、その鏡に神経衰弱することはないのです。
また、小林秀雄はそのようにしかなれない自分、「彼は彼以外のものにはなれなかった」と分析を通してわかる自分を「宿命」と呼びました。
自分が限りなく希薄になった先に、自分にだけできること、自分にだけわかること、自分にだけ体験できることとかがでてきて、自分の「宿命」を意識する
ショーペンハウアーの芸術論を思い出す。
その道の天才(才能をもった人)だけが感性で受け取った衝撃を作品にする、と言っていた。
>>ショーペンハウアーの自然物と人工物の違い

小林秀雄と直観

小林秀雄の批評は、「直観」によって成り立ちます。

何かに触れた時に心が動くことや、「惚れる」こととが「直観」と言われている
小林秀雄の「直観」のイメージをまずは伝えます。

たとえば、ここに一人のドストエフスキー研究者がいるとしましょう。

彼はドストエフスキー全集のすべてを読み込み、分析して理解した後に、ドストエフスキーファンになったのではありません。

「むしろ事態は逆で、私たちはドストエフスキーが記した何気ない一節に心を奪われ、目が離せなくなり、その言葉の意味を解釈するために、ドストエフスキー全集を紐解く、つまりドストエフスキー研究の道を歩き出すのではなかったか。」

他の表現をしてみましょう。

例えば、人と人との付き合いも同じです。

「まず、眼の前の相手に「惚れる」ことから、私たちは彼/彼女との関係を取り結ぼうとし、また、その関係を取り結ぶがゆえに、彼/彼女について知っていくことになるのです。」

私たちが他者を知るには、まず「直観」がある、と著者浜崎洋介は解釈します。
「小林秀雄の『人生』論」p74

あなたは本を読んでいてこのフレーズが良いなと感じた。

あなたは夕日のある背景に涙した。

あなたはモーツァルトを聞いて心地よくなる。

あなただけが彼女・彼氏を好きになった。

この「何か善いもの」を感じ取れる力が直観です。

私たちは自然と自分の直観を信頼しています。

つまり、自らの「直観」をもたらしているものへの信頼が存在しているのです。

ニヒリズム(価値喪失)におちいったならば、自分が何を信頼しているのかを探る!
みんなにはみんなのそれぞれの「直観」がある、と小林秀雄は説いた
私たちは何かを感じるときには土台を必要とします。
しかし、批評には何か明瞭に指針となる土台がないということを、小林秀雄は気がつきました。
小林秀雄は自分が直観している背景には伝統や常識があると考え、それを土台にしようとしたのです。
批評って「ある作品に対する評価」であって、批評そのものだけだと成り立たないもんね

伝統や常識

伝統や常識を、小林秀雄は本居宣長(もとおりのりなが)から学ぼうとしました。
>>国学を完成させた本居宣長

国学⇒外来思想を受け入れる以前の古代日本に理想的な日本固有の道があったとする、江戸時代中期におこった学問

国学は日本人を発見する学問でもあります。

例えば、あなたは道を歩いていると、目の前の人がスマホを落としました。

「オーマイガー」

これを聞いたあなたは、まず違和感を感じるはずです。

私だったら「あー」とか、「うわっ」とか言うかも

思考にも国民性が現れることを意識します。

私たちは気が付かなくても、国民として思考していたり、そのような行動様式をとっているのです。

自然と日本語で考えてる

本居宣長は、「やまとことば」を35年かけて抽出しました。

やまとことばに含まれる「もののあわれ」に日本人の人情を見たのです。

ここまでのポイント。

  • 小林秀雄の批評はアイデンティティ・クライシス(自己同一性の喪失や精神崩壊、ニヒリズムなど)から人々を救う意味があった
  • 「意匠」は西洋的な主義・主張であり、虚無主義におちいってしまう
  • 小林秀雄は批評によって、意見そのものの肯定をした
  • 肯定をすることとは、ある意見を肯定することであり、ある意見があること(虚無脱出)を示す
  • 小林秀雄の批評は「直観」によって成り立っていて、それはみんなにもあるもの(信じられるもの)だと説いた
  • その「直観」は伝統や常識にあると小林秀雄は考え、11年かけて『本居宣長』を書いた
「直観」によって成功をおさめた小林秀雄がいるということは、みんなにある「直観」が信じられることの後押しになる!
多くの人がそれに共感した
また、内村鑑三は精神の安定を求めてキリスト教徒になりました。
>>内村鑑三と二つのJ
このような安定を、小林秀雄は「直観」に求めたのです。
小林秀雄はキリスト教を心から信じることが出来ないと思った。
でも、それがわかることで、「伝統的直観」がそのような役割を果たすのではないかと考えた

小林秀雄と「直観」を信じるということ

小林秀雄の「直観」を扱いましたが、ここで読者に一抹の不安が出てきます。

私には「伝統的直観」があるのだろうか。

私は日本人なのだろうか。

今の日本は西洋思想も多いし、私は宇宙人的感覚なのではないだろうか。

そのような「直観」への不安です。

ここで著者浜崎洋介は、小林秀雄が注目していた柳田國男の「山の人生」を引用します。
>>柳田國男の民俗学

私はこの話に著者の「直観を感じろ」という意図を感じた
柳田國男「山の人生」(簡略化バージョン)
今では記憶している者が、私のほかには一人もあるまい。
三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、山の中で炭を焼く50ばかりの男が、子どもを二人、まさかりできり殺したことがあった。
男の女房はとっくに死んで、あとには13になる男の子が一人。
そこへ、同じ年くらいの小娘をもらってきて、一緒に住んでいた。
生活は厳しく、炭は売れない。
男はいつも飢えきっている小さい二人の顔をみるのがつらかった。
ある秋の末の事。
小屋の口いっぱいに夕日が差している中、二人はしきりに大きな斧を研いでいた。
「おとう、これでわしたちを殺してくれ」と言ったそうだ。
そうして木材を枕にして、二人は仰向けに寝た。
男はそれを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落としてしまった。
男は自分では死ぬことができなかったので、やがて捕らえられて牢に入れられた。
「小林秀雄の『人生』論」p203
「直観」を刺激することが予想される物語です。
ここには複雑性がたくさんあります。
  • 親を想う子どもの気持ちに感動する
  • 男に知恵があったら、飢えなかったかもしれないという後悔
  • 福祉制度があったならば、これほど困らなかっただろうという推測
  • 飢えていると頭が回らなくなる
  • 男は飢える日常よりも極楽を意識したのかもしれない
  • 子どもがかわいそう
  • 社会をなんとかしたいという気持ち
  • 死ぬことが出来ないという心情

などなど、あげればあげるほどいろいろな思いがでてくるからです。

小林秀雄はこれに心を動かされるということが日本人的だ、ということを指摘しました。

遠い昔の人の心から、感動は伝わって来るようだ。

それを私たちが感受し、これに心を動かされているなら、私たちは、それとは気づかないが、心の奥底に、古人の心を、現に持っているという事にならないか。

そうとしか考えようがないのではなかろうか。
「小林秀雄の『人生』論」小林秀雄の解説からp204

小林秀雄の常識論

また小林秀雄は言葉の移り変わりに敏感な人でもありました。

「和魂」という言葉が古くなってしまったから、人々は和魂を問わなくなったということでもあります。

例えば、小林秀雄の「大衆」をそれらに置き換えてこの文章を見てみます。
今日、大衆(道徳、常識、和魂など)という言葉は、意味あり気に使われ過ぎた為に、中身が空っぽになって了ったのである。
中身を取り返さねばならぬ。
取返して、中身は確かに得体の知れぬものともう一度合点し直した方がよかろうと思うのである。
一歩踏み出すとは、いつもそういう事だ。
「考えるヒント」p81
もしかしたら、このブログで伝統とか常識と書いたことによって、古くさく感じた人がいるかもしれない
しかし、小林秀雄の評論にかかれば、それらの言葉が古くて新しい言葉になります。
小林秀雄の常識論(簡略化バージョン)
例えば、「哲学とは常識を疑うこと」という一つのイメージがあります。
けれど、哲学者はほんとうに「常識」を疑っているのでしょうか。
「常識」という言葉はもともと日本にはありませんでした。
文明開化で起こった、西洋の言葉を日本語に翻訳するブームの一つとして入ってきたのです。
「常識」はコモンセンスの翻訳として明治時代に登場します。
このコモンセンスとしての「常識」は、近代哲学の祖デカルトが基礎にしたことでした。
「デカルトは、常識を持っている事は、心が健康状態にあるのと同じ事と考えていた。」
考えるヒントp337
つまり、常識を基盤にした上で、「われ思うゆえに我あり」をひらめいたのです。
これは小林秀雄の説く「直観」を信じるということと同じ意味にもなります。
デカルトは自分の伝統的直観によって、近代哲学の土台を確保したのです。
すべてを疑った先に、常識であり直観である「われ思う」を信じた
小林秀雄は「直観」は個性的であり「宿命」的なものだと説きます。
つまり、デカルトは人々が見過ごすような常識にすごさを感じられた個性(直観、宿命)を持っていたと言えるのです。
「言葉を代えれば、デカルトは、誰も驚かない、余りに当たり前な事柄に、深く驚く事の出来た人だとも言えるでしょう。」
考えるヒントp353
また小林秀雄はこうも言います。
ただし、デカルトの言う「常識」は今現在の意味では使われていないかもしれない。
確かに、「常識を疑え」というときの常識はこのイメージではないかも
「常識という言葉は、どうやら定義を拒絶しているようだ」
考えるヒントp364
さらに言うなら、小林秀雄はさらに常識のあやふやさを語ります。
「私たちが常識という言葉を作った以前、私達は、これに相当するどういう言葉を使っていたかというと‐『中庸』という言葉だったろうと思う。」
考えるヒントp365
常識が、常識を疑う事そのものを示したり、中庸になったりした!
人は古いもの(ダサいもの)を見なくなる傾向がありますが、流行は繰り返したり、価値観は再解釈可能性を持っているのです。
小林秀雄と文芸批評をやりました。
次回は第2編の1章第1節「人間の尊厳」ルネサンスを扱います。
小林秀雄
最新情報をチェックしよう!
>けうブログ

けうブログ

哲学を身近に