「日本人としての自覚」
第4節「西洋思想の受容と展開」
⑮小林秀雄と文芸批評の確立
批判、評論とも言う。
でも、批判がそのイメージも持っているよね
そして、それは現代人の多くにも当てはまる
- 小林秀雄の批評とは
- 小林秀雄と「直観」
- 小林秀雄の「直観」を信じるということ
小林秀雄の批評とは
小林秀雄の批評の必要性は、時代を追っていくとわかります。
まずは開国から。
文明開化から西洋思想が入ってきました。
そのときに、日本は和魂洋才という立場をかかげます。
>>佐久間象山と蘭学と幕末
なんか道徳ってダサいかも
西洋技術だけの取り入れはできなかったんだね
つまり、何からの自由が欲しかったのかがわからずに、自由が善いものだから自由を信仰するという価値観
すると、自由が目的になって、何から自由になりたかったのかを考えなくなる。
でもまた、目的にこだわりすぎると自由じゃなくなったりするけどね
「ぼんやりとした不安」
近代日本を襲った関東大震災(1923年)。
大地震によって東京の街並みは一変して、コンクリートで固められたモダン都市になりました。
ここで多くの日本人が不安を感じだします。
何を基盤に人との絆を紡げばいいのか見えなくなってしまったのです。
それを象徴するのが芥川龍之介の「ぼんやりとした不安」。
「或阿呆の一生」まとめ
ある二階建ての本屋。
その二階には西洋の名だたる思想家がずらりと並んでいました。
「モオパスサン、ボオドレエル、ストリントベリイ、イブセン、ショオ、トルストイ……」
二階で背表紙を見ていた青年は、一階に降りようとします。
その梯子(はしご)の途中。
青年は一階にいる店員や客を見下ろしました。
彼らが妙に小さく思えたのです。
「人生は一行のボオドレエルにもしかない(およばない)」
小林秀雄の「人生」論p42
近代日本が、そんなアイデンティティ・クライシス(自己同一性の喪失)に見舞われている最中、一切の〈理念=指導理論〉を拒もうとする一人の文芸評論家が登場してくることになります。のちに”近代批評の祖”と呼ばれる、小林秀雄です。
「小林秀雄の『人生』論」p44
日本は西洋文化を賞賛しつつも、同時に嫌悪感がありました。
例えば、和魂洋才を説いた背景には、西洋の植民地主義(勝てば正義)に対抗しようとした背景があります。
小林秀雄は西洋思想の2階と日本の現実という1階の「梯子(はしご)」になろうとしました。
その梯子が批評だったのです。
小林秀雄の批評
小林秀雄は『改造』という雑誌に文芸批評論文を投稿します。
それがデビュー作の「様々なる意匠」です。
小林の「意匠」は、当時の知識人が語る「立場」や「主義」のことを指します。
例えれば、「意匠」は先ほどの二階にあった西洋思想の背表紙のようなもの。
西洋思想の立場や主義にどうしてもなれないのが日本人でした。
なので、それはその主義・主張とだけみられるような方法(批評)を小林秀雄は編み出したのです。
ある対象を批評するとは、それを正しく評価する事であり、正しく評価するとは、その在るがままの性質を、積極的に肯定する事であり、そのためには、対象の他のものとは違う特質を明瞭化しなければならず、また、そのためには、分析あるいは限定という手段は必至のものだ。
「考えるヒント集」p154
自分を見失うまで自己解析すればするほど、批評はうまくいくと小林秀雄は考えた。
そもそも批評に自分の意見や主張はいらないらしい
>>天才と変人は紙一重
小林秀雄と直観
小林秀雄の批評は、「直観」によって成り立ちます。
たとえば、ここに一人のドストエフスキー研究者がいるとしましょう。
彼はドストエフスキー全集のすべてを読み込み、分析して理解した後に、ドストエフスキーファンになったのではありません。
「むしろ事態は逆で、私たちはドストエフスキーが記した何気ない一節に心を奪われ、目が離せなくなり、その言葉の意味を解釈するために、ドストエフスキー全集を紐解く、つまりドストエフスキー研究の道を歩き出すのではなかったか。」
他の表現をしてみましょう。
例えば、人と人との付き合いも同じです。
「まず、眼の前の相手に「惚れる」ことから、私たちは彼/彼女との関係を取り結ぼうとし、また、その関係を取り結ぶがゆえに、彼/彼女について知っていくことになるのです。」
私たちが他者を知るには、まず「直観」がある、と著者浜崎洋介は解釈します。
「小林秀雄の『人生』論」p74
あなたは本を読んでいてこのフレーズが良いなと感じた。
あなたは夕日のある背景に涙した。
あなたはモーツァルトを聞いて心地よくなる。
あなただけが彼女・彼氏を好きになった。
この「何か善いもの」を感じ取れる力が直観です。
私たちは自然と自分の直観を信頼しています。
つまり、自らの「直観」をもたらしているものへの信頼が存在しているのです。
国学⇒外来思想を受け入れる以前の古代日本に理想的な日本固有の道があったとする、江戸時代中期におこった学問
国学は日本人を発見する学問でもあります。
例えば、あなたは道を歩いていると、目の前の人がスマホを落としました。
「オーマイガー」
これを聞いたあなたは、まず違和感を感じるはずです。
思考にも国民性が現れることを意識します。
私たちは気が付かなくても、国民として思考していたり、そのような行動様式をとっているのです。
本居宣長は、「やまとことば」を35年かけて抽出しました。
やまとことばに含まれる「もののあわれ」に日本人の人情を見たのです。
ここまでのポイント。
- 小林秀雄の批評はアイデンティティ・クライシス(自己同一性の喪失や精神崩壊、ニヒリズムなど)から人々を救う意味があった
- 「意匠」は西洋的な主義・主張であり、虚無主義におちいってしまう
- 小林秀雄は批評によって、意見そのものの肯定をした
- 肯定をすることとは、ある意見を肯定することであり、ある意見があること(虚無脱出)を示す
- 小林秀雄の批評は「直観」によって成り立っていて、それはみんなにもあるもの(信じられるもの)だと説いた
- その「直観」は伝統や常識にあると小林秀雄は考え、11年かけて『本居宣長』を書いた
多くの人がそれに共感した
>>内村鑑三と二つのJ
でも、それがわかることで、「伝統的直観」がそのような役割を果たすのではないかと考えた
小林秀雄と「直観」を信じるということ
小林秀雄の「直観」を扱いましたが、ここで読者に一抹の不安が出てきます。
私には「伝統的直観」があるのだろうか。
私は日本人なのだろうか。
今の日本は西洋思想も多いし、私は宇宙人的感覚なのではないだろうか。
そのような「直観」への不安です。
ここで著者浜崎洋介は、小林秀雄が注目していた柳田國男の「山の人生」を引用します。
>>柳田國男の民俗学
「小林秀雄の『人生』論」p203
- 親を想う子どもの気持ちに感動する
- 男に知恵があったら、飢えなかったかもしれないという後悔
- 福祉制度があったならば、これほど困らなかっただろうという推測
- 飢えていると頭が回らなくなる
- 男は飢える日常よりも極楽を意識したのかもしれない
- 子どもがかわいそう
- 社会をなんとかしたいという気持ち
- 死ぬことが出来ないという心情
などなど、あげればあげるほどいろいろな思いがでてくるからです。
小林秀雄はこれに心を動かされるということが日本人的だ、ということを指摘しました。
遠い昔の人の心から、感動は伝わって来るようだ。
それを私たちが感受し、これに心を動かされているなら、私たちは、それとは気づかないが、心の奥底に、古人の心を、現に持っているという事にならないか。
そうとしか考えようがないのではなかろうか。
「小林秀雄の『人生』論」小林秀雄の解説からp204
小林秀雄の常識論
また小林秀雄は言葉の移り変わりに敏感な人でもありました。
「和魂」という言葉が古くなってしまったから、人々は和魂を問わなくなったということでもあります。
今日、大衆(道徳、常識、和魂など)という言葉は、意味あり気に使われ過ぎた為に、中身が空っぽになって了ったのである。中身を取り返さねばならぬ。取返して、中身は確かに得体の知れぬものともう一度合点し直した方がよかろうと思うのである。一歩踏み出すとは、いつもそういう事だ。
「考えるヒント」p81
「デカルトは、常識を持っている事は、心が健康状態にあるのと同じ事と考えていた。」
考えるヒントp337
「言葉を代えれば、デカルトは、誰も驚かない、余りに当たり前な事柄に、深く驚く事の出来た人だとも言えるでしょう。」
考えるヒントp353
「常識という言葉は、どうやら定義を拒絶しているようだ」
考えるヒントp364
「私たちが常識という言葉を作った以前、私達は、これに相当するどういう言葉を使っていたかというと‐『中庸』という言葉だったろうと思う。」
考えるヒントp365