ムハンマド

ムハンマドの物語|高校倫理2章3節イスラーム①

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
今回は
高校倫理第2章
「人間としての自覚」
第3節「イスラーム
イスラームの起源ムハンマドの物語
を扱っていきます。
キリスト教と同じ神ヤハウェ(アッラー)を出発点とするイスラームとは、どのような違いがあるのでしょうか。
なぜイスラム教ではなくイスラームになったかというと、イスラームは宗教に限定されるものじゃなくて、文化や政治とか生活全般と一体化してるから
ブログの構成
  • ムハンマドの出てきた背景
  • ムハンマドの聖遷(せいせん)
  • クルアーンについて

(太字は倫理の教科書でも重要な言葉です。
マホメット」「イスラーム文化」(井筒俊彦)、「世界史劇場 イスラーム世界の起源」(神野正史)を参考にしています。本によっては違う書かれ方がしてあります。)

ムハンマドからイスラームが誕生

時代背景から見ていきましょう。

ムハンマドが出てくる前の時代は、ジャーヒリーヤ(光がない時代という意味、暗黒時代)と呼ばれています。

暗黒時代

ムハンマドがでてきたメッカやアラビア半島周辺は、もともとは砂漠の民である遊牧民が暮らしていました。

砂漠地帯って発展するのに大変なはず…
厳しい気候にそった独自の文化が発達します。

特にアラビア砂漠の民においては部族が大事にされていました。

血のつながりが大事にされ、部族的血縁関係がないものには厳しい態度がとられていたのです。

例えばこの詩。

「敵にあだされても彼らは怒らない、悪意に報いるに善意を以てする。」
(「マホメット」井筒俊彦 p42)

つまり、彼らは敵に殴られても怒りません。

彼らは善い人そうだよね!
敵に悪いことされても許せるってすごい!(イエスの教え
しかし、これと同じ言葉は砂漠の民(ベドウィン詩人)には軽蔑にしかならないのです。
やられっぱなしなんて軟弱もの!(砂漠の教え)
「悪には悪を」という風習がありました。
そんな砂漠地帯に、ある経済発展のチャンスがやってきます。

商人の出現

572年から50年以上にわたって「ビザンツ-ササン戦争」が繰り広げられました。

その戦線はちょうどシルクロード(有名な貿易陸路)を立ち塞がるようになっていたのです。

商人は困りました。

戦争の地域を避けるのには、海路を渡っていかなければいけません。

けれど、かなりの遠回りになるし、海には海賊もでます。

僕たちが運んであげるよ!
そんな中にでてきたのがクライシュ族。
クライシュ族は中継貿易をして、かなりの財力を手に入れるようになりました。
ムハンマドはクライシュ族で、若い頃は商人です。
辺境の地でも発展した理由は戦争だったんだね!
それでも、ムハンマド自身は親が早くに亡くなっちゃって、いろいろな親族に預けられてたから裕福ではなかったみたい
ムハンマドが25歳の頃は、どこにでもいる普通の商人でした。
そんなムハンマドは15歳年上のハディージャ(豪商未亡人)に見初められて結婚します。
結婚後、ムハンマドはふもとの洞窟にこもるようになりました。
自宅と洞窟の間を行き来する生活を15年も行います。
妻と仲は良かったとハディース(ムハンマドの言行録)にあるよ。
何か思うところがあったのか、お金と暇ができたからなのか…

ムハンマド預言者になる

瞑想生活15年目。

ムハンマドが40歳のころ、いつものように瞑想していると、突然目の前が明るくなりました。

アッラーの大天使ジブリール(ガブリエル)が立っていたのです。

ムハンマドは大天使に「読め」といわれてお告げ(啓示)を受けます。

ホンモノの大天使?!
戸惑うムハンマドに対して、妻が信じてあげて最初の信者(ムスリム)になったんだって
啓示を受けて最初のムスリム(妻)ができた一連の出来事(610年)が「イスラームの開教」となりました。
イスラームの開教から数年は身内だけで信仰が起きていただけです。
2番目のムスリムは幼馴染の「アリー」、3番目は奴隷だった「ザイド」。
信者が3人の状態で、開教から3年経っていたみたい
4番目は「アブー=バクル」、5番目は「アーイシャ(アブー=バクルの娘)」。
アブー=バクルの娘(アーイシャ)が生まれた頃、ようやくムハンマドは街に出て辻説法を行うようになります。
(ここで出てきた人物は次回に書きますが、今のシーア派、スンニ派ができるきっかけです。)

ムハンマドの聖遷

クライシュ族は中継貿易でも富を築きましたが、他にもメッカでカーバ神殿の経営を行っていました。

カーバ神殿には360柱もの先祖伝来の神々の像があります。

崇拝者が集まることで商売が成りたっていました。

これなら戦争が終わっても商売ができる
ところが、ムハンマドは説法でカーバの神々を否定しました。
「神は一つなり」と、偶像礼拝を非難したのです。
あれ?親族を裏切ったことになる?!
歯には歯を…
だって、預言だし…
 ムハンマドの伯父アブー=ラハブ(クライシュ族)は激怒しました。
初めは嫌がらせだけだったのですが、ムハンマドが説法を続けていくことで、殺意まで抱くようになります。
ラハブはムハンマドに問答をしかけます。
ラハブ「お前は預言者だそうだが、40年前に亡くなった我が父(ムハンマドが孤児の頃に引き取ってくれた恩人)は今どこにいる?」
大恩人だから、天国っていうのかな?
ムハンマド「彼は今ごろ地獄の業火にやかれているでしょう」
!!
ムハンマドによれば、神のお告げに従わない者は地獄に落ちているのです。
つまり、暗黒時代というのはお告げがないので光がない時代。
多くの人々が多神教で偶像礼拝をしていて、部族間抗争が絶えず、強者が弱者をしいたげる時代をあらわします。
この言葉にラハブは、ムハンマドを一族追放する口実を得ます。
一族追放は死刑宣告。
ムハンマドと信者はメッカから400㎞離れた町「メディナ」に移住することにしました。
ムハンマドは懸賞金(ラクダ100頭)までかけられてた!
622年、メディナに移住したことを聖遷(ヒジュラ)と言います。

聖遷(ヒジュラ)⇒ムハンマドとムスリムがメッカからメディナへ移住した出来事

なぜ聖遷(ヒジュラ)は重要なのか

メディナへの聖遷によってイスラーム共同体であるウンマが形成されました。

イスラーム共同体は一つの社会を表します。

後のイスラーム社会や国家の原型なのです。

後にヒジュラ暦の起源にもなるよ

ムハンマドは宗教上のリーダーだけでなく、政治上のリーダーにもなりました。

ウンマは初め小国家。

メッカvsメディナの戦いに発展します。(624年バドルの戦い)

  • メッカ⇒クライシュ族率いる約1000人
  • メディナ⇒ムハンマドを受け入れたメディナ側約300人

メッカからメディナは経済封鎖をしかけられるのですが、ムハンマドは軍を編成してメッカの隊商を襲撃。

ムハンマドには統率者としての才能もあった!

ムハンマドはメッカの井戸を抑えたり、軍の団結を強くしてメッカとの戦いに勝利します。

ポイント

預言者にはよく奇跡がおこります。

小さな戦力で大軍に勝つのも、神のお告げがあってこそ。

勝てば官軍という言葉どおりに、神から選ばれたので勝ったということになります。

他の奇跡としては、聖遷の途中。

ムハンマドが洞窟に隠れているところが見つかりそうになる、絶体絶命のエピソードがあります。

敵が洞窟を発見したのですが、入り口には蜘蛛の巣と、卵を温めている鳩がいました。

敵はここに人が入った形跡がないとして中を調べなかったので、ムハンマドは難を逃れました。

メッカを征服

630年には完全にメッカを征服。

そのときに、カーバ神殿にある360柱の神像が破壊されました。

偶像崇拝の禁止

後に、メッカとメディナは二大聖地になります。

エルサレムは第三の聖地。
ムハンマドがお告げで聞いた岩を囲った「岩のドーム」が後に建てられたよ
ムハンマドの軍が強かった理由にジハードがあります。
ジハード⇒イスラーム共同体を防衛・拡大するためにたたかうこと
(もとは「神の道における努力」を意味する)
ジハードは信者の義務とされました。
ジハードはアラビア語で、日本語だと聖戦と訳されます。
イスラームの征服戦争は聖戦と呼ばれるよ。
聖戦で戦死すれば、天国に行けると言われてる
この頃、ムハンマドは還暦を超えています。
寿命が尽きる最後までムハンマドは征服を広め、わずか2年でアラビア半島の大半を平らげました。

イスラームはムハンマドの頃にすでに政治とくっついています。

国策によってイスラームになれば税金を払わなくてよい、ということもあり、信者が増えていく一因にもなりました。

ムハンマドはアラブ人の土地所有を禁止にしていたよ!
支配が厳しくなかったことも広がる要因になった

ムハンマドのイスラームにおける意味

ムハンマドが当時イスラームの教えを唱えた背景に、暗黒時代との意味転換があります。

  • 暗黒時代⇒身内に甘く、他部族に厳しい
  • ムハンマド⇒神のまえではみんなが平等
しかし、このムハンマドの教えは砂漠の民にとってはとんでもないもの!
メディナ市民と手を結んだときに、クライシュ族の有識者はこのように言ったそうです。
「わが部族の中でかつてこれほど賤劣なことをあえてした者はなかった。
われらの中でこれほど血のつながりを無残にも断ち切った男はなかった」
(「マホメット」p30)
同じページにあるムハンマドのそれに対する考え方はこちら。
人間の高貴さは生れや血統から来るものではなく、ただひとえに敬神の念の深さによって計られる
(「マホメット」p30)
神のまえでは信者はみな平等だから、神父や聖職者も存在しない
その頃、部族間の経済格差も広がっていました。
商売をしていなかった遊牧民との間の格差です。
ムハンマドの言葉は、メディナの人々には受け入れやすいものでした。
イスラームになると仲間内で助け合いがしやすくなる。
入ると何をするんだろう?

イスラームで守るべきクルアーン(コーラン)

イスラームになるには、クルアーン(コーラン)に書かれている具体的な生活上の指示を守ります。

クルアーン⇒ムハンマドに20年以上にわたって断続的にくだされた啓示を記した啓典
イスラームでは、信仰のみを強調しても、弱い人間は具体的に何をすべきか迷うのではと考えたのです。
アラビア砂漠では論理的な証明よりも、感覚が優先されました。
クルアーンが文字にされたのは633年で、ムハンマドが亡くなった後。
読まなくても実行できる教え
具体的な生活の指針としてのシャーリア(イスラーム法)
  • クルアーンにおける食・結婚・離婚・相続・利子の禁止などの定め
  • ムハンマドの模範的慣行(スンナ)
  • 共同体の取り決め

そうした中でもっとも基本になるのが六信五行です。

  • 六信は「アッラー、天使、啓典、使徒(預言者)、来世、予定(定命)」を信じること。(信仰上の義務)
  • 五行は「信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼」(行為上の義務)

イスラームでは平等と同胞愛が重要です。

貧しい人のために喜捨(ザカート)をおこない、飢える人の気持ちがわかるために断食(サウム)をおこないます。

また、イスラームではモーセや旧約聖書の預言者たち、さらにイエスをもすぐれた預言者として認めています。
その上で、ムハンマドは最大にして最後の預言者です。
イスラームでは、ユダヤ教徒もキリスト教徒も啓典の民とよぶよ
今回はムハンマドについてやりました。
次回はイスラームの発展について扱っていきます。
ムハンマド
最新情報をチェックしよう!
>けうブログ

けうブログ

哲学を身近に