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武器になる『法学』講座-日本国憲法の考え方

おはようございます。けうです。

 

はじめて学ぶ人でも深くわかる武器になる「法学」講座を読んでいます。

法と哲学が密接なつながりがある、というのは哲学を学んでいて思っていました。

でも、難しいイメージが法学にはあったんです。

そんな中、立ち読みしていたこの本がわかりやすいな、と思ったので購入して見ました。

 

その中身を紹介していきたいと思います。

「これまで『とっつきにくい』と思われていた『法学』について、あなたの「ものの見方」に大きな変化が生じれば、日常的に「社会をみる目」にも「おおきな変革」が起きるはずです。」

最近の哲学や倫理も視点をたくさん持つことが良いとされているので、その傾向は似ていると思いました。

社会生活で役立つことが多いのが法学なので、学んでいきましょう。

日本国憲法と法体系

なぜ法体系という言葉があるのか?

まず序章ではこのように語ります。

法にはさまざまな種類があって、そのトップには日本国憲法(以下、憲法)が君臨しています。

憲法をトップにおく考え方を法の支配というそうです。

「国会などでつくられる法律を含めたすべての『ルール」である法が、頂点に君臨する憲法に拘束を受ける考え方」

これをまずは法の支配といいます。

 

では、そのトップの憲法は何を目的にしているんだろう?

という問いになります。

私たちはそれに当たり前に従っているのだから、その目的はなんだろう、と。

当たり前に接している憲法ですが、私はその目的が言えませんでした。

それでも、考え方としてその目的に従っているのをみんなが納得しているからそれを許しているんだろう、と考えてみます。

日本国憲法の目的は人権保障を目的としています。

このように述べられていました。

自分の憲法の基本原則は「国民主権」「平和主義」「人権尊重主義」の3つです。

私が大事にされていて、かつ平和、というのなら憲法にしたがってもいいかな、と思えますね。

ちなみに戦争以前は天皇主権や帝国主義や法律留保主義で、主権が国にあったようです。

この流れはホッブズ・ロック・ルソーを思い出します。

>>ホッブズが国民主権を説く
>>ロックが国民の抵抗権を認める
>>ルソーの国民主権、抵抗権を認めるが革命のきっかけを起こす

 

この流れがあって、日本でも1947年に国民主権の憲法が試行されました。

フランス革命よりはだいぶ後にはなってきます。

社会契約論の成り立ち

もう少し詳しく説明すると、ホッブズは当時、神様と王様の権限が結びついていたのを否定します。

王様に権利があるんじゃなくて、国民にあるんだ!と考えます。

でも、国民は一人一人が狼だから、ほっておいたら闘争状態になっちゃう。

だから、法で縛ろう、という考え方をします。

性悪説のような人は元々悪(狼)だという考え方ですね。

次にロックはそれに対してだと、性善説に立ちます。

いや、国民は神様によって作られた作品なんだから、そもそも良いんだよ!って。

それで、そのまま国民に権利を写すし、そんな神様に作られたと言う人権なんだから、不備があったらそれに抵抗できるよ、と考えます。

そして、ルソーはそれをもっと後押しして革命家の原動力の思想になる、という考え方です。

 

ちなみにフランス人権宣言では、人権保障と権力分立をもたない憲法は、「憲法」ではない、というそうです。

この考え方を「立憲主義」だと述べていました。

 

日本国憲法は日本帝国憲法から大幅に変わっていて別なものというイメージがあるのですが、国家の連続性をしめすために「新憲法の制定」と考えたそうです。

ちなみにこれを八月革命説といいます。

日本国憲法から違憲が初めて成立したのは1973年

憲法の内容は以前の日本帝国憲法から変わっていたのですが、それでも戦後にはじめて「法律が違憲」とされたのは1973年だったそうです。

では、何が変わったのかというと、「尊属殺人(そんぞくさつじん)」だといいます。

尊属殺人とは、子どもからみた両親や祖父母を殺してしまうこと。

それまで親を殺したとされる殺人は死刑又は無期懲役しかなかったそうです。

これは、フランス刑法からという説と、中国の律令からの儒教的道徳観から制定されたとする説があるそうです。

これが初めて死刑か無期懲役しかないのは違憲!となったのが法規定から数年後というのはびっくりしますよね。

今では殺人の内容を私たちは見ますが、当時は親を殺すのは恩義に反する、というような価値観だったということです。

この意見にまで持ち込まれた事例は、実父からの長年の性的虐待に堪えかねて殺害に及んだ事案だそうです。

 

法が変わっても、それに従う私たちは自分の価値観を変えていくのに時間がかかるのかなと思いました。

哲学用語でもあって、ある時点で価値観ががらっと変わることをパラダイムシフトといいます。
>>パラダイムシフト

憲法は変わっていく過程(エピステーメー)はゆっくりではあっても、それがあるとき突然規定される(パラダイムシフト)。

哲学用語との類似点を見つけていくのも興味深いなと思いました。

 

さらに1973年に違憲とされても、違憲を扱う法律のリニューアルを試みる1995年まで削除されずに残っていたそうです。

実際に使われなくなっていたけど、文章としては「死んだ条文」として残っていたということです。

近年では対応が早くなってきたと述べられていました。

法律を変える時の法律

それでも法律を変えるのは大変なようです。

法が変わった!となったときに、判決が昨日でていたけどその法に合わせると違くなる、ということがありますよね。

そういう事例事例に合わせた対処も必要なようです。

これを法的安全性といいます。

国際情勢の変化や、社会環境の変化に合わせて法が変わっていきます。

今検討されているのが、事実婚と法律婚なのだとか。

 

実例を紐解いていくと、ぐっと法学というのが身近になってきた気がします。

今日は本の中の序章を紹介していきました。

私は国民主権というのは当たり前にだと思っていましたが、歴史を見ていくとそこまでの長い歴史だったというわけではないんだなと思いました。

その時代に生きていると、その成立を考えなければそれを当たり前だと思っていますよね。

だから、学ぶことが必要だし、他の人の視点にたつことが学びを深める、としみじみを思いました。

では、お聞きいただいてありがとうございました。

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