社会契約説ホッブズ

ホッブズと社会契約説|高校倫理1章3節1

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第1章
「現代に生きる人間の倫理」
第3節「民主社会と自由の実現」
1.ホッブズと社会契約説
を扱っていきます。
ヨーロッパの人々は、ルネサンス宗教改革を経て、人間の自由や平等を自覚するようになりました。
宗教改革では多くの人が聖書を手にできるようになって、自分たちで意味を解釈できるようになった
そこから、自由や平等を人間の権利と考えて、社会をとらえなおそうとする動きがでてきます。
そこで社会契約説が唱えられました。
社会契約説⇒社会(国家)が個人の契約にもとづくという考え方
旧約聖書と新約聖書の「約」は、契約の意味。
今までは神と人が契約をしてた
社会契約説の代表的な思想家は、ホッブズ(1588-1679)、ロック(1632-1704)、ルソー(1712-1778)です。
まずはホッブズの思想を中心に紹介します。
ブログ構成
  • ホッブズと社会契約説
  • ホッブズの自然のとらえ方
  • ホッブズの自然法

参考文献 「近代政治哲学」國分功一朗著「ホッブズ リヴァイアサンの哲学者」田中浩「新しく学ぶ西洋哲学史」「リヴァイアサン1」 角田安正

ホッブズと社会契約説

社会契約説が出てくる以前の社会制度をまずは追っていきます。(近代政治哲学 参照)

古い社会制度は「封建国家(ほうけんこっか)」と呼ばれるものでした。

封建国家⇒多数の独立権力が、国王を最高封主とする封建的主従関係の網の目を通じて組織化されている国家
国王は神秘的な扱いをうけていて、権威の持ち主だった。
権威と権力は異なっていて、権威は崇める存在なんだけど、従う存在ではなかった
日本でいえば、「御恩と奉公」的な見方。
天皇が権威としているけれど、実質的権力は将軍にあって、武士は将軍に仕えるというような。
ご褒美をもらう代わりに命をかけて戦う!
話を西洋に戻して多数の独立権力とは、例えば聖職者、戦士、農民といった区分けの中でお互いに契約を結んで生活をしている状態。
  • 君主(封主)は家臣(封臣)にたいして土地や管職、金銭や徴収権などの封を授与し、その保護や養育を約束
  • 家臣(封臣)は主君を裏切らないことや軍事的奉仕などを約束
今はみんなが社会と契約しているんだけど、以前は個人同士が契約していたんだね
個人同士の契約だから、家臣は複数の君主と契約してもよかった。
バイトを掛け持ちする感覚かな
封建国家では、宗教改革において困ったことがでてきました。
「中世ヨーロッパにおけるキリスト教(権威)は、規範の拠り所」
規範の拠り所(秩序)について、争うことになってきたのです。
僕の封主はプロテスタント派とカトリック派の両方がいる。
どっちにつこうかな…
こっちについたけど、封主によってルールがまったく違う!
何を規範にしたらいいのかわからない…
秩序が崩れることによって、争いは混乱。
いつどんな理由によって反逆者にされるかわからないような、不安な状態に人々は身を置くことになりました。
ホッブズが出てくる以前、ジャン・ボダン(1530-96)は社会には秩序が必要だと説きました。
彼はユグノー(プロテスタントの蔑称)たちの抵抗理論や革命運動をその主要な標的とし、政治的な統一と平和を回復するためには、強力な君主制こそが唯一可能なる手段であると主張した。(近代政治哲学p28)
つまり、混乱していた秩序を一つに返そうと試みた。
日々、何が正しいのか不安に思うよりも、正しいものが定まっていた方が生活が安定する
ボダンの秩序が大事という絶対主義擁護の論から「主権」の概念がでてきました。
ボダンが残した有名な主権概念の定義とは、「公共社会の市民と臣民に対して最も高く、絶対的で、永続的な権力」というものである。
(近代政治哲学p30)
そして、この主権の概念から、ボダンは主権が被治者にたいして持つ優越性を実現していきます。
手段として、立法が考え出されました。
主権者は臣民全体にその同意なしに法律を与えることができる、としたのです。
どう従えばいいのかわかってくるね。
うそをついてはダメ、とか、盗みはダメとか
ボダンは主権を絶対的な君主に返すべきだとしました。
しかし、この考え方だと、この時代において上に立つものが(例えば、プロテスタント派やカトリック派など)が完全に勝利しないといけなくなります。
「(主権は)君主に対するあらゆる反抗を上から押さえつける機能だった」(p32)からです。
争いは終わらない…
この時代背景にホッブズが出てきます。

ホッブズと社会契約説

ホッブズが生きた時代は宗教戦争が絶えない時代でした。

彼は争いをどうにかしようとして、政治を個人単位で見ることにしたのです。

絶対王政時代に主権の最高権力性を最初に唱えたボダン(や、他の政治哲学者)はすべて、政治を考える基本を「ポリス」や「家族」としていたから、「人間」(個人)を基本単位とする政治学体系を構想することはできなかった。

この体系の構想は、市民革命によって近代民主国家が誕生した時代を経験したホッブズによってはじめて可能だったのである。(ホッブズp v)

ホッブズは、チャールズ一世の斬首(1647年)により王政が廃止され、クロムウェルの勝利が明確になったときに、主著『リヴァイアサン』を書きました。

主権の概念を王の時代にも、クロムウェル統治下の共和国の時代にも適応できるものとして書いたのです。
共和制⇒共和国とは王や王女でなく大統領(国民から選挙)が長となる国家
ホッブズは著書を王とか、君主とか、主権を担う立場の人々に提出していた
ホッブズの考えにそって、以前の封建国家を考えていくと、ナンセンスなことがおこってきます。
よーし、がんばったからご褒美もらった!
でも、また命をかけて戦いにでなきゃ…。
せっかくもらったご褒美が維持できない…
社会が成立していないと、土地を所有する、というような永続的に所有している方が望ましいものの維持ができません。
例えば、戦地に出かけていくと、その土地を守る人はそれをもらった本人以外の人に任されます。
ご褒美の管理は家族や部族などに任されるのです。
以前は、個人視点ではなかったから、自己犠牲があっても家が安定していればよかった
ホッブズは個人視点で考えました。
ホッブズは倫理に関しても、意志とは人間の自然的な欲望のことに他ならず、善とは快であり悪とは不快であると断定する。
(西洋哲学史p148)
もらったご褒美は僕の家族がもらうけれど、僕は戦地に行く。
ご褒美をもらってるようでいて使えないから、個人的には不快かも…

ホッブズと自然のとらえ方

ホッブズの偉業の一つは、自然状態の考え方の理論化です。

自然状態とは何か?

これはいかなる決まりも、いかなる権威もない状態、人間が素のままで自然の中に放り込まれている、そういう状態のことである。
(近代政治哲学p42)

ホッブズは自然状態について、最初に人間の平等を指摘しました。

ホッブズが自然状態について最初に指摘するのは、人間の平等である。

ただし注意が必要である。

これは、「人間には平等な権利がある」とか「人間は差別なく等しく扱われねばならない」といった意味で言われているのではない。

そうではなくて、「人間など、どれもたいして変わらない」ということだ。
(近代政治哲学p43)

あれ?平等って尊くなかったっけ?
ホッブズは人間の能力差など「どんぐりの背比べ」だと考えました。
例えば、「あの人が持っているものを私が望んでも良いはず」とみんなが思います。
結果、戦争状態に突入。
万人の万人に対する戦い」がおこってしまうのです。
「人間は人間にとって狼である」
逆に能力に差を認めると、嫉まないのかも
デカルトの定理のように、ホッブズの自然状態も定理のように表せます。
「我々は平等である、故に我々は争う」
(近代政治哲学p68)
ホッブズを政治哲学の出発点にみるなら、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」みたいに言ってもいいかも

『リヴァイアサン』

「我々は平等である、ゆえに我々は争う」のだとすれば、争いを抑える根拠が必要になります。

ホッブズは主著『リヴァイアサン』でその根拠を説明しました。

『リヴァイアサン』の最大の功績は、「生命の安全」(自己保存)を達成するための「社会契約論」を構築したことにある。
(ホッブズp88)

人間にとっての最高の価値は、人びとの「生命の安全」(自己保存)にあると主張したのです。

封建社会だと、ご褒美をもらっても自分が使えないから、自分個人にとっては不快だった
なんで自分が使えないかと言えば、自分が命をかけてご褒美をもらってるから
では、どうすれば「生命の安全」を得られるのか。
ホッブズはみんながお互いに争わないように契約すればよい、と考えたのです。
みんなが同じ契約をするには、みんなが同じ封主につく必要がある
ホッブズは『リヴァイアサン』という恐ろしい海獣をみんなのトップに想定して、みんながそれに絶対服従するように説きました。
リヴァイアサン
リヴァイアサンは聖書にでてくる海獣ですが、ホッブズは巨大な人造人間を想定しています。
>>ホッブズのリヴァイアサンをわかりやすく
ホッブズ
だれもを畏怖させるような共通の権力を欠いたまま生活している限り、人間は、戦争と呼ばれる状態、すなわち万人が万人を敵とする闘争状態から抜け出せない。
(リヴァイアサンp161)
あれ?これってボダンの絶対主義擁護の論と似てるよね?
みんな海獣に逆らわないし

ホッブズの誤解される点

ホッブズは「リヴァイアサン」で「主権者に強い力を与えよ」と述べています。

この「主権者に強い力を与えよ」というホッブズのことばをとらえて、かれは絶対君主の擁護者だと批判されることもあるが、ホッブズのばあい、主権者は全人民の代表そのものであることを忘れてはならない。

代表(主権者)に「強い力」を与えるのは、あくまでも全人民の生命と安全を守るためなのである。

ホッブズの「社会契約」の理論によって、はじめて「人民主権」「国民主権」の近代政治原理が組み立てられた。
(ホッブズp70)

ホッブズの生きた時代背景には、王党派と議会派が争っていました。

彼は王党派のあまりにも強力な(命をおびやかす)権力を批判し、さらには議会派のあまりに自由な状態(自然状態、万人の戦い)も批判したのです。

ホッブズの目的は「人間尊重の思想」だったんだね。
それを達成する手段は、どちらの派でも適応されることができた
それでもリヴァイアサン(海獣)は恐怖の対象を想定している、という指摘はあって、それは後の哲学者に受け継がれた

ホッブズはさらに、無神論者として非難されることもありました。

ホッブズは聖書を用いて、各国における「教会」の地位と役割を定め、「国家・教会」ひいては「国家と宗教」の分離と共存の論理を展開し、近代政治思想の構築をはかっている。
(ホッブズp104)

例えば、あの世とこの世をわける。
そして、この世では「『リヴァイアサン』をキリスト再臨までの、人間の政治社会の最良なマニュアル」とホッブズは考えていた
ホッブズは「カトリック教会」や「教皇」を批判し、「国家を宗教(の脅威)から解放」を試みていました。
そして、人間が自己保存を基礎においていることそのものは、「神」から与えられている人の性質の一つだとして、ホッブズは「神」と聖書を重要視しています。

ホッブズの自然法

ホッブズのいう自然状態、自然権、自然法の意味は違います。

一つづつ簡易版によって整頓していきます。

まず自然状態。

ホッブズの自然状態

ホッブズの自然状態⇒「我々は平等である、ゆえに我々は争う」

人間は能力的に「どんぐりの背比べ」であり、他人が持っているものを私も持てるはずだという妬みなどによって、「万人の万人に対する戦い」がおこります。

ホッブズはこの状態にあるのは、人間が自然権を持っているからだとしました。

次に、自然権。

ホッブズの自然権

ホッブズの自然権⇒自分の力を自分のために好き勝手に用いる自由
(簡単版、近代政治哲学p47)
「自然権とは、自分の安全のために何をしてもよいという自由の事実」(近代政治哲学p58)
したがって自然権という際の「権利」とは、その語感が与える印象とは異なり、一つの事実を指していることが分かる。
自然状態において、人は単に自由であって何でもしたいことができる。
その自由という事実そのものを自然権と呼ぶのである。
(近代政治哲学p49)
当たり前の事柄もいろんな視点から説明されるとしっくりくるね

ホッブズの自然法

ホッブズの自然法⇒人間の自然本性にある「平和への志向」。
お互いに争わないようにする契約。

ホッブズの自然法は、各自の欲望でもある自然権を制限する法です。

しかしそれは、封建主義的な権力による支配の奴隷状態を脱して、自力で自由に生きる個人の権利を獲得したときに近代人が支払わねばならない代償でもある。
(西洋哲学史)p148

僕たちは自由!(自然権)
でも、その自由は所有するのに争わなきゃいけないし、安心や安全がない。
(自然権の制限による利益を説く自然法)
ホッブズが『法の原理』第一部において提起したのは、次のことであった。
すなわち、人間が「生命の安全」(自己保存)をはかるためには、国や政府や法のない自然状態においては自分で自分を守る権利(自然権)をもっているが、それでは「自己保存」が保証されないので、自然権を放棄するようにすすめる自然法に従って契約(社会契約)を結んで「力を合成」し、「共通権力」(全員の力)を形成したうえで、多数決によって代表を選んでコモンウェルスを形成し、人びとが「代表」の作る法律や命令を守る「平和な国家」や「政治社会」を作る。
(ホッブズp46)
つまり、「生命の安全」を保障できる主権に従うというきわめて現実的な考え方。
自然状態が本能的なものだとしたら、自然法は理性によって求められるもの
この思想は、例えば、現代社会で一番に実現させたい理想状態と言えるのかもしれません。
戦争がおこらないように武器を持たなければいいよ!
各国が武器を放棄しよう!
人は闘争本能(武器)を放棄できるのかな…
自然法についての捕捉。

自然法

社会契約説は自然法という考え方を前提にしています。

自然法⇒人間が制定する実定法に対して、自然のうちに存在する法。
近代では、人間の自然な本性である理性が見いだすものとされた。
近代の自然法は法学者グロティウス(1583-1645)による「理性の法」が有名で、彼は近代自然法の父とよばれている
今回はホッブズと社会契約説についてやりました。
次回は、ロックの思想について取り扱います。
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