「現代に生きる人間の倫理」
第3節「民主社会と自由の実現」
1.ホッブズと社会契約説
>>1.科学革命とは何か
>>2.哲学者フランシス・ベーコンと「知は力なり」
>>3.デカルトと「考えるわたし」
>>4.イギリス経験論と大陸合理論
今までは神と人が契約をしてた
- ホッブズと社会契約説
- ホッブズの自然のとらえ方
- ホッブズの自然法
参考文献 「近代政治哲学」國分功一朗著、「ホッブズ リヴァイアサンの哲学者」田中浩、「新しく学ぶ西洋哲学史」、「リヴァイアサン1」 角田安正
ホッブズと社会契約説
社会契約説が出てくる以前の社会制度をまずは追っていきます。(近代政治哲学 参照)
古い社会制度は「封建国家(ほうけんこっか)」と呼ばれるものでした。
権威と権力は異なっていて、権威は崇める存在なんだけど、従う存在ではなかった
- 君主(封主)は家臣(封臣)にたいして土地や管職、金銭や徴収権などの封を授与し、その保護や養育を約束
- 家臣(封臣)は主君を裏切らないことや軍事的奉仕などを約束
バイトを掛け持ちする感覚かな
どっちにつこうかな…
何を規範にしたらいいのかわからない…
彼はユグノー(プロテスタントの蔑称)たちの抵抗理論や革命運動をその主要な標的とし、政治的な統一と平和を回復するためには、強力な君主制こそが唯一可能なる手段であると主張した。(近代政治哲学p28)
日々、何が正しいのか不安に思うよりも、正しいものが定まっていた方が生活が安定する
ボダンが残した有名な主権概念の定義とは、「公共社会の市民と臣民に対して最も高く、絶対的で、永続的な権力」というものである。
(近代政治哲学p30)
うそをついてはダメ、とか、盗みはダメとか
ホッブズと社会契約説
ホッブズが生きた時代は宗教戦争が絶えない時代でした。
彼は争いをどうにかしようとして、政治を個人単位で見ることにしたのです。
絶対王政時代に主権の最高権力性を最初に唱えたボダン(や、他の政治哲学者)はすべて、政治を考える基本を「ポリス」や「家族」としていたから、「人間」(個人)を基本単位とする政治学体系を構想することはできなかった。
この体系の構想は、市民革命によって近代民主国家が誕生した時代を経験したホッブズによってはじめて可能だったのである。(ホッブズp v)
ホッブズは、チャールズ一世の斬首(1647年)により王政が廃止され、クロムウェルの勝利が明確になったときに、主著『リヴァイアサン』を書きました。
せっかくもらったご褒美が維持できない…
ホッブズは倫理に関しても、意志とは人間の自然的な欲望のことに他ならず、善とは快であり悪とは不快であると断定する。
(西洋哲学史p148)
ご褒美をもらってるようでいて使えないから、個人的には不快かも…
ホッブズと自然のとらえ方
ホッブズの偉業の一つは、自然状態の考え方の理論化です。
自然状態とは何か?
これはいかなる決まりも、いかなる権威もない状態、人間が素のままで自然の中に放り込まれている、そういう状態のことである。
(近代政治哲学p42)
ホッブズは自然状態について、最初に人間の平等を指摘しました。
ホッブズが自然状態について最初に指摘するのは、人間の平等である。
ただし注意が必要である。
これは、「人間には平等な権利がある」とか「人間は差別なく等しく扱われねばならない」といった意味で言われているのではない。
そうではなくて、「人間など、どれもたいして変わらない」ということだ。
(近代政治哲学p43)
「我々は平等である、故に我々は争う」
(近代政治哲学p68)
『リヴァイアサン』
「我々は平等である、ゆえに我々は争う」のだとすれば、争いを抑える根拠が必要になります。
ホッブズは主著『リヴァイアサン』でその根拠を説明しました。
『リヴァイアサン』の最大の功績は、「生命の安全」(自己保存)を達成するための「社会契約論」を構築したことにある。
(ホッブズp88)
人間にとっての最高の価値は、人びとの「生命の安全」(自己保存)にあると主張したのです。
>>ホッブズのリヴァイアサンをわかりやすく
だれもを畏怖させるような共通の権力を欠いたまま生活している限り、人間は、戦争と呼ばれる状態、すなわち万人が万人を敵とする闘争状態から抜け出せない。
(リヴァイアサンp161)
みんな海獣に逆らわないし
ホッブズの誤解される点
ホッブズは「リヴァイアサン」で「主権者に強い力を与えよ」と述べています。
この「主権者に強い力を与えよ」というホッブズのことばをとらえて、かれは絶対君主の擁護者だと批判されることもあるが、ホッブズのばあい、主権者は全人民の代表そのものであることを忘れてはならない。
代表(主権者)に「強い力」を与えるのは、あくまでも全人民の生命と安全を守るためなのである。
ホッブズの「社会契約」の理論によって、はじめて「人民主権」「国民主権」の近代政治原理が組み立てられた。
(ホッブズp70)
ホッブズの生きた時代背景には、王党派と議会派が争っていました。
彼は王党派のあまりにも強力な(命をおびやかす)権力を批判し、さらには議会派のあまりに自由な状態(自然状態、万人の戦い)も批判したのです。
それを達成する手段は、どちらの派でも適応されることができた
ホッブズはさらに、無神論者として非難されることもありました。
ホッブズは聖書を用いて、各国における「教会」の地位と役割を定め、「国家・教会」ひいては「国家と宗教」の分離と共存の論理を展開し、近代政治思想の構築をはかっている。
(ホッブズp104)
そして、この世では「『リヴァイアサン』をキリスト再臨までの、人間の政治社会の最良なマニュアル」とホッブズは考えていた
ホッブズの自然法
ホッブズのいう自然状態、自然権、自然法の意味は違います。
一つづつ簡易版によって整頓していきます。
まず自然状態。
ホッブズの自然状態
ホッブズの自然状態⇒「我々は平等である、ゆえに我々は争う」
人間は能力的に「どんぐりの背比べ」であり、他人が持っているものを私も持てるはずだという妬みなどによって、「万人の万人に対する戦い」がおこります。
ホッブズはこの状態にあるのは、人間が自然権を持っているからだとしました。
次に、自然権。
ホッブズの自然権
(簡単版、近代政治哲学p47)
したがって自然権という際の「権利」とは、その語感が与える印象とは異なり、一つの事実を指していることが分かる。自然状態において、人は単に自由であって何でもしたいことができる。その自由という事実そのものを自然権と呼ぶのである。
(近代政治哲学p49)
ホッブズの自然法
ホッブズの自然法⇒人間の自然本性にある「平和への志向」。
お互いに争わないようにする契約。
ホッブズの自然法は、各自の欲望でもある自然権を制限する法です。
しかしそれは、封建主義的な権力による支配の奴隷状態を脱して、自力で自由に生きる個人の権利を獲得したときに近代人が支払わねばならない代償でもある。
(西洋哲学史)p148
(自然権の制限による利益を説く自然法)
ホッブズが『法の原理』第一部において提起したのは、次のことであった。すなわち、人間が「生命の安全」(自己保存)をはかるためには、国や政府や法のない自然状態においては自分で自分を守る権利(自然権)をもっているが、それでは「自己保存」が保証されないので、自然権を放棄するようにすすめる自然法に従って契約(社会契約)を結んで「力を合成」し、「共通権力」(全員の力)を形成したうえで、多数決によって代表を選んでコモンウェルスを形成し、人びとが「代表」の作る法律や命令を守る「平和な国家」や「政治社会」を作る。
(ホッブズp46)
各国が武器を放棄しよう!
自然法
社会契約説は自然法という考え方を前提にしています。
近代では、人間の自然な本性である理性が見いだすものとされた。
近代の自然法は法学者グロティウス(1583-1645)による「理性の法」が有名で、彼は近代自然法の父とよばれている