このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
今回は
高校倫理第2章「人間としての自覚」
第1節「ギリシア思想」 ①自然哲学とソフィスト
を扱っていきます。
倫理は自分の生き方を学ぶ学問でもあります。
今回からギリシア思想と哲学を扱っていきます。
哲学とは何でしょうか?
日本語訳からみる哲学の由来は、知を愛すること。
ギリシア語のフィロソフィア(知を愛する)という意味を明治初年に西周(にしあまね)が哲学と名付けました。
古代ギリシアは哲学発症の有力な地なのです。
ギリシア思想家のタレスが哲学の祖と言われています。
哲学史は人間の思想を扱っています。
ドイツの哲学者ヤスパースは前800年から前200年までを枢軸時代と呼びました。
枢軸時代⇒人類のこんにちにいたるまでの精神的な基礎で、世界規模な『知の爆発』が生じた時代
ブログの構成
- 神話的世界観
- 自然哲学の発生と現代との関わり
- 自然哲学者の紹介
ギリシア思想と神話的世界観
ギリシアでは紀元前8世紀に各地にポリス(都市国家)が成立しました。
水辺が多い地域で平らな広い土地が少なかったので、小規模な共同体です。
ポリスのアクロポリス(城砦)
しかし、小規模とはいっても高度な文明や戦争、身分階層などがありました。
この頃、古代ギリシア人の教養は神話(ミュトス)です。
神話は様々ありますが、実際の戦争などを神々の物語にして伝えやすい形にしたものが有名。
- ホメロスの二大叙事詩
「イリアス」
「オデュッセイア」(イリアスの続編)
トロイア戦争のことなどを語り、英雄たちとともに、神々の活躍を描いている
- ヘシオドスの叙事詩
「神統記」
もろもろの神々の誕生と系譜、ゼウスの物語など
この頃は本がなかったので、口承で伝えられました。
インパクトがあって、覚えやすい詩の形をとっていたんだね
神話を当時の人々は教養としていました。
実際の出来事などを神話という物語形式で伝えていたので、それを事実だと思っていたのです。
世界は神が作ったと固く信じ、また、神話は人々の道徳もかたちづくっていたのです。
例えば、傲慢(ごうまん)をヒュブリスと言い、神に対する無礼な行為などは厳しく罰せられました。
ものごとが神々の働きによってもたらされるとする考え方を神話的世界観と言います。
ギリシア思想と自然哲学の発生
紀元前6世紀の初頭になると、哲学がうまれます。
神話的世界観ではなく、自然の世界を人間の観察と思考によってとらえはじめたのです。
秩序の根拠も神話ではなく、人間のロゴス(理性)によってわかると考えました。
合理的世界観⇒世界は人間の理性によって認識されうる
人間を理性的存在とみる理性的人間観が関係しています。
ここまでは主に歴史と世界観をみてきました。
次に自然哲学を紹介。
昔の哲学者の言うことなんて役に立つの?
そんな声が聞こえてきそうなので、現代とつなげて学ぶ意味を見ていきます。
自然哲学と現代哲学(教科書には載っていない個所です)
現代の哲学はほぼ脳科学や遺伝学、進化生物学などの自然科学にとって代わられようとしています。
自然科学⇒自然に属しているあらゆる対象を取り扱い、その法則性を明らかにする学問
近代的な自然科学が成立すると、自然哲学という用語はあまり使われなくなっていきました。
科学の進化によって「自然哲学⇒自然科学」というようになった、とも言えるのです。
自然哲学が自然科学にかわったとして、哲学全般は自然科学にとってかわられることはあるのでしょうか?
もし哲学が自然科学にかわったとしたら、その弊害はなんでしょうか?
その危機を説く現代の哲学者の一人はマルクス・ガブリエル。
これから取り扱う自然哲学を、現代の自然科学のようなものだと思ってください。
自然哲学の批判はどのようになされてきたのか。
視点を増やすことは、現代においても「人間」を考えていくうえで役に立ちます。
現代哲学は行き詰ってしまって、哲学発生の地点(ギリシア思想)からまた考察していこうという流れもあるよ!
マルクス・ガブリエルは対話の重要性を説きました。
また他にも日本哲学者の國分功一郎は、古代ギリシアにあった中動態に注目しています。
受動態でも能動態でもないものが中動態で、私が考えている状態などを指します。
私が問いをもって考えている状態って能動態でも受動態でもない状態
古代ギリシアには「意志」という概念がなく、代わりに中動態であらわされていたのです。
では、教科書に戻って自然哲学者はどのように考えたのかを見てみましょう。
ギリシア思想と自然哲学者
哲学の祖はタレスと一説に言われています。
万物の根源(アルケー)を求めて
タレスは「万物の根源は水である」と言いました。
タレスの凄いところは、「万物の根源(アルケー)とは何か?」という問いを発したこと。
現象の原因を神様以外のものに求めました。
そして、水とは言っていますが、現在の化学が対象とする水という物質とは少し違います。
タレスが水と考えた背景には、ミソポタミアに伝えられる天地創造の物語(神話)の中心に「水」があることを知っていた影響なのではないか、と言われているからです。
神話の影響も受けているから「水」がでてきたんだね!
タレスは多才な人で、天文学から皆既日食を当てたり、数学の「タレスの定理」を説いたりしました。
民衆の「哲学なんて役立たない!」と言う考え方。
それに対し、タレスはオリーブの豊作を考えてオリーブ圧縮機を独占しておいたところ、予想が当たり莫大な利益を稼ぎました。
自然哲学は役に立つと実証したのです。
タレス自身がとても有名人で天才なので、当時の人にとっては神話的な予言者が現実に出てきたと思ったのかもしれません。
神話よりも実際にいるタレスが信仰の対象になったのかも
その後、多くの自然哲学者によってアルケーが考え出されました。
- アナクシメネス「アルケーは空気」
- デモクリトス「アルケーは原子(アトム)」
- ピュタゴラス「アルケーは数」
- ヘラクレイトス「アルケーは火」
- エンペドクレス「アルケーは火・空気・水・土の四元」
万物の元を述べたことで有名ですが、彼らがその名言を残すという背景には今日の科学や哲学の発展に欠かせない要素がたくさん含まれています。
古代ギリシャでは「コスモス(今でいう宇宙観)」という言葉は、調和がとれていたり秩序がある状態を表現する言葉です。
神の否定
「アルケーは原子(アトム)」だと言ったデモクリトス。
彼の説は現代の原子論とは違うのですが、似たところがあります。
しかし、当時デモクリトスはあまり支持されていませんでした。
アリストテレスが完成させた四大元素説が有名だったからです。
デモクリトスは言います。
「人間の魂は、人間の体をつくっている原子がばらばらになってしまえば、なくなる。
つまり、神はいないのだ」
(世界史は化学でできている 参照)
デモクリトスは神をないがしろにした態度(ヒュブリス)のため、当時の支配層などから攻撃をうけ、書物の多くを燃やされてしまいました。
デモクリトスはソクラテスより後の生まれで、そのころには本が登場!
他にも、クセノファネスは擬人的神話観を否定。
擬人的神話観⇒神々は人間に似た姿をし、人間と同様の思考や行動をするという伝統的な神々のとらえ方
哲学の面白いところは、論に対してその批判をしていくことです。
アルケーを探し求める大切さを説いたタレスに対して、パルメニデスは新しい論を展開していきます。
パルメニデスの師はクセノファネス!
神話観を否定すると、どんな世界が開けてくるんだろう…
彼は前475年ごろの人物ですが、「地球が球体」だという説を最初に唱えた人物ともいわれています。
思想が難解すぎて、解釈がわかれることもあったみたい
パルメニデスは「あるもの」の特徴は思考されうること。
存在しないものは、思考の対象にはなりえない、と述べました。
つまり、目に見える世界にアルケーを求めたタレスと対立するものです。
例えば、あの人はどうして怒っているんだろう?と、あなたが思ったとしてこの感覚の正誤は問えません。
怒った原因は多数あるかもしれないし、そもそも怒って見えただけかもしれない。
人間の感覚なんて当てにならない!
わかるものを追求しよう!
パルメニデスは存在の有無を見た目よりも理性で捉えたので、合理主義の祖とされています。
ちなみに、神はいないと説いたデモクリトスですが、原子論からすれば「ないものは、ある」という考えです。
哲学は場面分けをして考えるといいね!
・想像上の神はいない
・何もない空間に原子はあり、空虚がある
ギリシア思想と自然哲学を取り扱いました。
これらの自然哲学はどのように発展していったのでしょうか?