機能主義とは

機能主義を思考実験からわかりやすく解説!

機能主義とは、は機能によって定義できると考える立場です。(続哲学用語図鑑参照)

心は脳の機能であると考えます。

今をときめく哲学者マルクス・ガブリエルは著書『「私」は脳ではない』で、私が脳であるという考えを否定しています。

機能主義の否定です。

しかし、今の科学の世の中では、私たちは気がつかないうちに私は脳であることを受け入れています。

機能主義を知ることで、その無意識に持っている思考を表面化していきましょう。

けう
無意識に自分を脳の機能だと思っている!? それは知りたくなるね。

機能主義とは

機能主義とは、は機能によって定義できると考える立場です

具体的に見ていきます。

こども
知覚
1+1を問題として出された!

まず五感で問題を知覚します。

すると、心は計算のやりかたという信念を生み出します。

こども
信念
この1とこの1が合わさる計算のやり方は正しい!
僕は計算ができるんだよ!

そして、この信念が正解をだしたい!という欲求に変わり、答えを出します。

その欲求が原因となって、回答するという行動を引き起こします。

こども
欲求→行為
(…正解を出したい)
先生!答えは2!

欲求から答えを言う行動が引き起こされました。

五感で知覚し、心は信念を生み、欲求に変わり、行動を引き起こす。

この一連の行動を引き起こさせる機能が心です。

これを図で書いてみます。

刺激(入力)→ 原因 → 結果(出力)

このような機能が心だと考えることを機能主義といいます

この機能主義はコンピューターになじむ私たちには理解しやすい発想です。

この構造をコンピューターで代用しても成り立ちます。

1+1を入力

ハードウェアがプログラムによって計算

2という解が出力

このハードウェアを脳、プログラムを心に置き換えます。

子どもが1+1を見て刺激をうける(入力)

脳が心によって計算のやり方を正しいと思って計算をする(原因)

2の数字だと言う行動(出力)
このように機能を人間の脳と対比させて考えます。
人間の脳を出力を引き出す機能だと捉えているのです。

では、心が脳の機能であるとはどのようなことでしょうか。

思考実験「水槽の脳」から考察してみましょう。

機能主義から「水槽の脳」を考察

機能主義を唱えた一人、ヒラリー・パトナム(1926~2016)は「水槽の脳」という思考実験を考えました

具体的にみていきます。

こども
科学者
僕はすごい装置を開発した!
ある天才科学者は、バーチャルリアリティーの中で生きられる水槽の装置を開発しました。
どのような装置か説明します。
まず、脳をこの水槽の中に入れます。
そこから電気信号を流していくのです。
電気信号が刺激(知覚)となって、信念や欲求や感情を引き起こします。
その結果がモニターに出てきます。
では、どのようなことが起こるのか見てみましょう。
「あなたは今ブログを読んでいますね。
私が電気信号で読む刺激をおくりました。
なので、あなたはブログを読みたくなったのです。
そして、行動として読んでいます。
ほら、あなたの脳は水槽の中にいるのかもしれない。
あなたはモニターの外は見ることができません。
でも、科学者の私からはモニターのあなたが見えているのです。」
モニターにはあなたが映し出され、その隣には水槽の中にあなたの脳があるだけです。
あなたが今ブログを読んでいるそのことが現実に起こっているのかどうか、それをどう見極めればいいのでしょうか。
これが「水槽の脳」の思考実験です。
 
脳の水槽は、モニターで見られている世界を生きています。

この映し出されたモニターが私の世界であるということを否定はできない、という思考実験です

機能主義によれば、あなたは水槽の中の脳でしかない、という可能性は否定できません。

この心の哲学はデカルトの「我思う、ゆえに我あり」から発生しています。

デカルトはあらゆるものを疑いました。

デカルトは「この世は夢かもしれない」とすべてを疑ってみたのです。

このすべてのものは疑えるという思考を、パトナムは脳の水槽で表しました

科学の発展により、このような思考実験が生み出されたのです。

水槽の脳は刺激を受けているという点で、脳だけは存在していると感じられます。

しかし、そこで見ている世界はコンピューターが水槽の脳へ送っている情報にすぎないのかもしれません。

この機能主義からは、脳をハードウェアに置き換えても機能すると考えます

水槽の脳をハードウェアに置き換えたとしても、それが脳なのかハードウェアなのか、わからないということです。

そして、心は人工的に作ることができると考えます

この機能主義について、マルクス・ガブリエルの論から否定してみましょう。

機能主義「水槽の脳」の否定とは

マルクス・ガブリエルは、私たちがもし水槽の中の脳だとしたらそれを知ることができる、と言いました。 (「私は脳ではない」参照)

つまり、本物と本物じゃないものに気がつくことができる、と。

ベンヤミンのオーラの説明でも扱いました。
>>オーラとは

なぜなら私たちは実際に水を知っているから水だとわかるのであり、もし水を知らなかったのなら水を触ったとしても水だとわからないのです。

もしずっと私が水槽の脳だとしたら、本物の水に触ったことがありません。

水を知っている⇨水を触ると水だと思う。
水を知らない⇨水を触るとこれはなんだ!?と思う。
ネコは小判をこれはなんだ!?と思うけれど、人はネコが小判を持っていたら驚くというようなものです。
もし私たちが初めから水槽の脳だとしたら、経験がありません。
なので、水槽の隣のモニターは私たちが経験しているものとは違うものが映し出される可能性が高いのです。
 
さらに、私たちは夢か現実なのか、その違いに気がつくことができます
理由が言えなくても、本物と本物じゃないものとに気がつくように。
気がつくから寝て起きるということができています。
そう考えていくと、私が脳の水槽であるのかないのか、という問いは実際にそうなったときにはわかりそうです。
私たちが夢の中で夢と気がつくように。
なので、私は脳の機能であるだけではない、ということができ、機能主義の否定ができるのです。
ここでは、水槽の脳を考察してきましたが、他の思考実験で機能主義を否定して見ましょう。

機能主義への反論

機能主義を批判する思考実験に「中国語の部屋」があります

アメリカの哲学者ジョン・サール(1932~)によって説かれました。

具体的にみていきます。

日本人
私は日本人で、中国語は読めないよ。
そんな彼女の前に一枚の紙を差し出します。
この部屋に入ってください。 〇〇と書かれていたら、▢▢という言葉を書いてください。
彼女は中国語で〇〇と書いてある事と□□と書いてある事の理解はできていません。
日本人
なになに。
中国語をこの通り書けって日本語で指示されてる。
真似るだけなら簡単!
彼女はそれを実行して紙に〇〇と書いたり□□と読めない中国語を書きました。
次に、この部屋には誰が入っているか、という質問を中国人に解いてもらいます。

この部屋の情報はなく、中で書かれた一枚の紙がヒントになります。

その紙には中国語を理解していると思われる文が書かれていました。

中国人「中の人は中国人だと思う!」

それを見た中国人は、部屋の中には中国人がいるだろうと推測します。

しかし、実際には日本人がいたのです。

この思考実験では、機械のハードウェアを部屋に例えました。

すると、機能主義のハードウェアの中身は、思考による理解はしていないという結論が下されました

一般的に言われている機能主義はコンピューター機能主義です。

コンピューター機能主義とは、脳の中身であるニューロンやシナプスなどを調べれば心の状態がわかるという説です。  

この実験は脳の機能を調べれば心の状態がわかるという説を否定しました。

いくら中国語で書かれた紙を調べても、中で日本人が書いているということはわからないからです。

 

ちなみに、この思考実験を考察しつつ、しかも脳は機能だという立場を主張するのがブラックボックス機能主義。

脳の働きはブラックボックス、つまり哲学ではわからないものとして扱うべきだという立場です

ブラックボックス機能主義者はブラックボックスの中身は神経科学に任せるという立場をとります。

機能主義を心の哲学の歴史から考察

デカルト以降、心の問題は心の哲学として主要なテーマになっています。

そして、ここには2つの立場があります。

・心は単なる物ではないという立場
・心は物質だという立場
機能主義は「心は物質だという立場」をとります。
私たちがなぜ「心は物質だという立場」を無意識にとるのかというと、私たちは自分自身の脳について機械のように扱いすぎているふしがあるからです。
それは人工知能の扱いについて、人間と同列に扱いすぎているのではないか、という批判からでてきます。
人工知能に支配されるだとか、頭の良さを抜かれるだとか、仕事を取られるだとか、そのようなイメージが蔓延しているからです。
私を脳という物質だと誤解するので、機械と人を同列に扱ってしまうのです。
道具というのは実際に使わないと意味がないというモノです。
人間は「実存→本質」
モノは「本質→存在」
このように述べたのはサルトルでした。
本質から存在というのは、モノは使用目的を考えてつくられているということです。
イスは座るために開発されて存在する。 それと同じく人工知能も人が使うために開発されて存在すると考えます。
機能主義に反論したマルクス・ガブリエルやサールは「心は単なる物ではないという立場」です。

前の記事で、クオリアについて扱いました。
>>クオリアとはー具体例からわかりやすく解説

この私の主観的な感じであるクオリアがでてきたのも、「心は単なる物ではないという立場」からです。

「心は単なる物ではないという立場」の流れが今の哲学では起きています。

こども
僕はドラえもんが大好き!
けう
愛着を持つと擬人化しやすいよね!

機能主義のまとめ

機能主義とは、心は機能によって定義できると考える立場です

刺激(入力)→ 原因 → 結果(出力)

この行動を起こさせる働きが心になります。

思考実験「水槽の脳」では、私を水槽の脳と区別する方法を探りました。

機能主義の立場に立つと私は水槽の脳なのか、そうではないのかがわかりません。

しかし、「水槽の脳の否定」がマルクス・ガブリエルからできました。

さらに、機能主義の否定も、思考実験「中国語の部屋」から考察することができたのです。

 

心の哲学では大きな立場が二つあります。
・心は単なる物ではないという立場
・心は物質だという立場
この二つです。
けう
心の哲学は思考実験がたくさんで面白いね!
機能主義とは
最新情報をチェックしよう!
>けうブログ

けうブログ

哲学を身近に