天才とは、生まれつき具わった優れた才能をもつ人物を指します。
かえって、変人とは言動や性格が普通の人とは変わったところのある人物を指します。
なぜ天才と変人は紙一重と言われているのでしょうか。
その理由を「残酷すぎる成功法則」(エリック・バーカー著2017)から推測していきます。
「残酷すぎる成功法則」から、天才に関するストーリーがでてきます。
それを物語形式で紹介していきます。
1997年。
「コンピューターと人間で賢いのはどちらか」
それを調べるために、チェスの元世界チャンピオン王者カスパロフがコンピューター「ディープ・ブルー」と対戦しました。
カスパロフは12年間も世界チャンピオンに君臨していたチェスの王者。
天才とは何か
このストーリーから、天才とは何かを推測していきます。
カスパロフは第1,2戦目で、コンピューターの理解できない手によって不安にさせられました。
そして、コンピューターは自分を超える天才なのではないか?と思い始めたのです。
この流れから、人が人を天才だと思うのは自分の理解を超えるから、と読み取れます。
周囲からチェスの天才だと思われているカスパロフ。
そんな彼が自分を超えていると認めた相手は天才だと言えるでしょう。
誰よりもチェスに詳しい世界王者が、コンピューターをチェスの天才だと言えば、誰もそれを否定できません。
逆に周囲の人々は、天才と言われているカスパロフが天才と言うので、コンピューターを天才だと認めます。
チェスに詳しくない人がカスパロフを天才扱いしたり、コンピューターを天才と言うのには疑いが出てきます。
どうやってその才能がわかったのかが、わからないからです。
その道に精通している人が、自分の理解を超えるときに天才と考えはじめます。
例えば、あなたがチェスに詳しくなったとします。
その後、どうしても勝てない相手に出会ったとき、あなたは相手を天才と見なします。
練習を積んでも何か才能が違っていて勝てそうにない。
その何かが理解できない。
そんな理解を超えるところに天才という言葉がでてきます。
チェスでなくても、絵に詳しくなったけれど、どうしてもこんな絵が描けない。
文章を習ったけれど、こんな文は書ける気がしない。
そんな時に人は始めて天才を意識しだします。
そして、このように天才を捉えると、天才というのは相対的な評価であることがわかります。
自分や相手と比べることによって、天才と思うことができるのです。
カスパロフはコンピューターを天才と捉えていました。
実際のデータでは誤作動だったのにもかかわらず。
ここに天才と変人が紙一重の理由が隠れています。
天才と変人の比較
天才と変人が紙一重の理由として、実は天才が変人だった、ということがあります。
今回の例ではそうです。
カスパロフはコンピューターを天才と見なしましたが、実際は誤作動だったのです。
天才と言うのは相対的な判断。
何か普通とは違う動きがある。
それを天才なのか、変人なのかと思うのはその人によるということです。
カスパロフはコンピューターを天才。
開発者はコンピューターを誤作動の変わった動き、と見るように。
天才という判断は、絶対的ではないということです。
変人にも天才にもなるということです。
天才と変人が紙一重の理由、まとめ
天才や変人だと人が感じるのは、自分の理解を超えるから。
その道に通じている人が感じるのは天才。
その道に疎い人が感じるのは変人。
天才と変人は見る人によって違ってきます。
他者の評価によって決まる、相対的な判断です。
なので、自分一人で自分の可能性を決めつけるのは難しいという話になってきます。
まずはそれに精通する。
そして、その道に詳しい人の意見から、やっと天才と判断されます。