言語論的転回とは、独断的、主観的だった哲学を客観的な言語の問題に転回することです。(哲学用語図鑑 参照)
たびたび哲学者が議論するときに、「哲学は科学である」と言います。
科学とは一定領域の対象を客観的な方法で系統的に研究する活動。
今まで目に見えないものを取り扱ってきた哲学を客観的に把握できるようにしたのが、言語論的転回です。
今をときめくマルクス・ガブリエルも、人間を物として扱う自然科学を批判しつつも、哲学は科学であると述べます。
では、詳しく見ていきます。
言語論的転回とは
哲学が科学的に捉えられる理由を、言語論的転回から詳しく見ていきます。
言語論的転回とは、主観的だった哲学を客観的な言語の問題に転回することです。
転回とは見方を変えることです。
例えば、昔からの哲学の名言を見ていきます。
「神は死んだ」(ニーチェ)
ここで出てくる「神」。
これに対して転回前は「神とは何か?」と説いていました。
転回後は「神」は何を意味しているのか、を分析します。
ニーチェはどの文脈で「神」を使っているのかを分析。
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転回後:言葉の意味の分析から探る
自分の頭の中のイメージを客観的に表すには、言語しかできません。
言語の意味を分析する哲学を分析哲学と言います。
では、さらにこの名言を詳しく見ていきましょう。
言語論的転回から「神は死んだ」を分析する
「神とは何か?」
という問いは多くの答えを含みますし、個々人によってさまざまなイメージがあります。
しかし、私たちはそれを他人に伝えようとするとき言語を使用します。
言語を通じてしか客観的にイメージを伝えることが難しいのです。
言葉を使わないとすると、ジェスチャーなどになるので、答えがばらばらになってしまいます。
言語論的転回により、哲学が客観的な学問となりえました。
では、ニーチェの「神は死んだ」という言語を分析してみましょう。
ニーチェの「神は死んだ」
ニーチェは論理的に「神は死んだ」と言っています。
どのような意味から言っているのかを簡単に見ていきます。
例えば、「神」を広辞苑で引いてみましょう。
「人間を超越した威力を持つ、かくれた存在。」
「人知ではかることのできない能力を持ち、人類に禍福を降すと考えられる威霊。」
「キリスト教やイスラム教などの一神教で、宇宙と人類を創造して世界の運行を司る、全知全能の絶対者。」
まだ他に意味がありましたが、ニーチェの言う「神」を文脈から見てみるとこのような意味だと推測できます。
これらをまとめて、神を神秘的な意味で使っていると分析していきます。
さらに、ニーチェは、「神は死んだ」ということで神を否定しました。
神秘性の否定です。
つまり、この名言自体が言語論的転回の意味を含んでいます。
客観的な科学を重視して、主観的な信仰を批判しました。
主観的な意味でとると理解できなかったことが、文脈や意味を調べることで名言自体が客観的に分析できました。
言葉の意味を文脈から読み取ることによって、その意味することがわかってくるのです。
もし、主観的な意味でとっていたら、
「神様は死んでしまったから世の中は私に酷いことをするのだ。
この世は神様なんていないくらいにひどい世の中だ。」
というような解釈になるかもしれません。
ここまで言語論的転回を説明して、ふと疑問が浮かんだかもしれません。
言語はどのくらい信用できるのか、と。
私たちは辞書や広辞苑をひいて意味を調べます。
では、言語の歴史も少しみていきましょう。
言語の歴史
まずは広辞苑の歴史に触れます。
広辞苑は1935年に初版が発行されました。
哲学で議論する場合に、言葉の意味を広辞苑から引用できるようになりました。
分析哲学の創始者の一人はバートランド・ラッセル(1872~1970)だと言われています。
広辞苑の初刊が1935年なので、その頃から言語分析が進んだと考えられます。
私たちは言語の元を広辞苑から調べられますが、それ以前は広辞苑が存在しませんでした。
そうなると、どうして主観的な側面に頼らざるをえないところがあります。
私たちは学校で国語を習います。
なので、論理的思考が自然に出来ていると気がつかない事かもしれません。
歴史としては、哲学が独断的、主観的なものから客観的な言語の問題に変わっています。
ちなみに、20世紀以降の分析的な形而上学は分析学的形而上学と呼ばれています。
近代言語哲学の流れ
近代言語学の祖はソシュール(1857-1913)と言われています。
言語をラングとパロールという二つの側面にしました。
>>ラングとパロールの違い
さらに、ソシュールは言葉を記号だと考えました。
>>シニフィアンとシニフィエの違い
言語は思考を決定する原因という解釈は構造主義の発生要因になります。
そして、言語論的転回が唱えられるようになりました。
分析哲学で有名なのがウィトゲンシュタイン(1889-1951)です。
言語論的転回後、哲学が科学と言われるようになりました。
ところが、ここでまた新たな問いがうまれます。
言語の発生は日常のやりとりの中で生まれている。
もしかしたら、分析をしても「本当」の意味解釈はできないかもしれない、と。
例えば、一例でいえばクワインの「翻訳の不確定性」です。
>>翻訳の不確定性とは
そもそも言語を分析しようとしても、その言語がその本人にとっての意味だけしかない、ということもありうるのです。
「哲学は科学」と断定的にきっぱりと言えない理由は、人それぞれの言葉に持つイメージが多面性をおびるから、と言えそうです。
言語論的転回とは-まとめ
「哲学は科学」
そのように言われる理由は、言語論的転回にあります。
言語論的転回とは、独断的、主観的だった哲学を客観的な言語の問題に転回することです。
これにより、目に見えないものも言語として理解されうるようになりました。
文章を読み込んだり、言葉の意味を捉えることで客観的に分析できるようになったのです。
ニーチェの「神は死んだ」の一文も、言語論的転回の意味を含んでいます。
言葉の意味を分析する分析哲学は今の哲学においてかかせません。