「現代に生きる人間の倫理」
第4節「社会と個人」
1.アダム=スミスと「見えざる手」
人間が素のままだと「万人の万人に対する戦い」状態がホッブズの考えた自然状態で、そこをベースに各哲学者が社会秩序を議論していった
日常じゃないよね?
「社会的な秩序を導く人間本性は何か」という問題に対するスミスの説明は次のように要約できる。スミスは、人間は他人の感情や行為に関心をもち、それに同感する能力をもつという仮説から出発する。-(仮説から言えば、人間の)法と義務の感覚によって社会秩序が実現する。
「アダム・スミス」p75
欲望だけだとそもそも発展はできない、と
- アダム=スミスの「見えざる手」
- アダム=スミスの共感論
参考文献 「アダム・スミス」『道徳感情論』と『国富論』の世界(堂目卓生著)、「アダム・スミスの誤算」(佐伯啓思著)、「共感の哲学」(中山元著)、「近代政治哲学」(國分功一朗)
アダム=スミスの「見えざる手」
アダム=スミスが生まれた時代、十八世紀のイギリスは光と闇の両面をもっていたと言われています。
光の部分
- 政治の民主化
- 大西洋貿易システムの確立など、経済の発展
- 生産技術の革新
- 啓蒙の世紀
国王は「君臨すれども統治せず」という体制で議会での言論の自由が保障されていたり、出版物の数が激増したり、産業革命のただ中にあったりした時代。
イギリスは文明の光に満ちあふれているように見えていたのです。
一方、闇の部分。
闇の部分
- 国内における格差と貧困
- 財政難
- アメリカ植民地問題
イギリスはフランスとの戦争に勝ったものの、その戦争の費用を調達するために多額の国債を発行。
またその財政を当時植民地だったアメリカから補おうとして反発にあい、かえって国債を増やしてしまいました。
重商主義批判
アダム=スミスは『国富論』で、当時の政府が押していた重商主義を批判しました。
このように、重商主義政策は、一国の豊かさの増進という視点から見て得策とはいえない。さらに、人類全体の繁栄という視点から見れば、人間労働が必需品や便益品の生産に向かうのではなく、交換媒体にすぎない金や銀の発掘、あるいは奪い合いに向かうのは、まったく愚かなことだといわなければならない。
「アダム・スミス」p174
貨幣よりも土地の方が基盤としてしっかりしている、と考えた
二人とも農業を大事にしていた
そんな武士階級は道徳的存在として位置していた
「見えざる手」
アダム=スミスが批判したにもかかわらず、当時のイギリス政府は重商主義でした。
財政難だったので、貨幣を国内に集めようとしたのです。
例えば、その一つがアメリカに課した「1765年印紙税」。
あらゆる印紙、例えばトランプのカード一枚一枚にまで印紙を貼りつけることを強要した税です。
これらアメリカから税を徴収しようとしたことが発端となり、アメリカとイギリスは独立戦争に突入します。
スミスにとって、諸規制のもとで既得権益を享受している人びと以上に危険なのは、人びとの感情を考慮することなく自分が信じる理想の体系に向かって急激な社会改革を進めようとする人‐「体系の人」‐であった。
「アダム・スミス」p270
自然的自由の体系が確立された社会では、労働と資本の使い方は、所有者個人にゆだねられる。個人は、自分の労働や資本をどこに向けるべきかについて、政府よりも多くの注意を払い、労働と資本を自分にとって最も有利な方法で用いるであろう。個人が正義の諸法を守って行動するかぎり、このような個人の行動は、「見えざる手」に導かれて社会に最大の利益をもたらすであろう。こうして、政府による優遇・抑制政策がなくても、というよりもむしろ政府による優遇・抑制政策がなければ、労働と資本は、社会にとって最も有利になるように、緒産業に分配されるであろう。
「アダム・スミスp234」
アダム=スミスの共感論
アダム=スミスは時代の流れであった社会契約という「契約」という視点を批判しました。
道徳や倫理は、プロテスタンティズムの場合のように、神と個人の間の孤独な契約ではなく、人と人の間の関係を秩序づける自然の業(わざ)の作用にほかならないのだ。
「アダム・スミスの誤算」p58
つまり、理性的に契約するのではなく、情念や他者にたいする情緒が人間社会をかたちづくっていくと考えたのです。
『道徳感情論』においてスミスが試みたことは、一言でいえば、道徳性の基礎を、人間の自然な感情から導き出すことであった。
「アダム・スミスの誤算」p60
感情といっても、理性的な面が論じられている
私が、その行為を対象化して「想像の上で他者の境遇に身をおく」ときには、この「わたし」は、欲望に突き動かされて相手に働きかける「わたし」ではない。ここで「わたし」は、行為する「わたし」をいわば観察しているのである。
「アダム・スミスの誤算」p62
とすれば、いちいち他人によって「観察」され「是認」をもらわなくとも、自らの内にこの観察者をもっているものである。しかも、この良心とでもいうべき内部の観察者は、われわれが教育を受け、育つ社会の中で自然に身につけてゆくものであろう。-つまり、われわれは、多くの場合、「われわれ自身をできるだけ遠くから、他の人々の目をもって見るよう努力する」ものである。
「アダム・スミスの誤算」p65
- 世間
- 胸中の公平(中立的)な観察者
そして世間は人間の「弱さ」に対応し、公平な観察者は「賢明さ」に対応すると説きました。
それなのに、経済は自由放任していていいの?ってならないのかな
人間の「弱さ」と「賢明さ」
アダム=スミスは人間の「弱さ」と「賢明さ」の両方の面を認めていました。
しかし、だからこそ人間社会の秩序と繁栄がなされるのだと説きます。
すなわち、「賢明さ」には社会の秩序をもたらす役割が、「弱さ」には社会の繁栄をもたらす役割が与えられている。
特に、「弱さ」は一見すると悪徳なのであるが、そのような「弱さ」も、「見えざる手」に導かれて、繁栄という目的の実現に貢献するのである。
しかしながら、「見えざる手」が十分機能するためには、「弱さ」は放任されるのではなく、「賢明さ」によって制御されなければならない。
「アダム・スミス」p111
でも、感情とすることによって「弱さ」も含むんだね
個人は‐見えざる手に導かれて、自分の意図の中にはまったくなかった目的を推進するのである。‐自分自身の利益を追求することによって、個人はしばしば、社会の利益を、実際にそれを促進しようと意図する場合よりも効果的に推進するのである。
「アダム・スミス」p170国富論からの抜粋
アダム・スミスと「心の平静」
貨幣経済による金や銀は腐りません。
なので、貯めておくことができます。
この場合、自分の得だけを目指してた場合に、分配が起こらない、という事態がおきてくるのです。
ここで必要になってくるのが「賢明さ」。
スミスは『道徳感情論』において、人の道徳心におけるもっとも善いものは昔も今もそう変わるものではないと主張します。
ここでスミスが引用したのはストア派の「魂の平静」。
スミスは、真の幸福は心が平静であることだと信じた。
そして、人間が真の幸福を得るためには、それほど多くのものを必要としないと考えた。
「アダム・スミス」p276
例えば、王様が他国を支配したいという欲望を家臣に語っていきます。
すると、家臣はその支配を達成した後で、何をしたいか王様に聞きました。
王様は「ゆっくりお酒でも飲んで家臣たちと語り合いたい」と答えたのです。
つまり、今ある状況と欲望を達成した後の状態とは、あまり違いがなかったという話。
諸個人の間に分配される幸福と不運は、人間の力の及ぶ事柄ではない。‐そうであるならば、私たちは、幸福の中で傲慢になることなく、また不運の中で絶望することなく、自分を平静な状態に引き戻してくれる強さが自分の中にあることを信じて生きていかなければならない。
「アダム・スミス」p277
このまなざし(観察者のまなざし)を体現した人間は、他者を害する不正を犯した場合には、自分で自分に共感できず、他者の共感も期待できず、自分の共感も他者の共感も期待もすべて不正を犯された人に向けられるという悲惨な状況を想定しなければならなくなる。このような人は自ら行動する前に、それが正義の規範に適合した道徳的な行為であるかどうかを点検することになるだろう。
「共感の哲学」p62
徳の衰退も同感によって捉える社会、というのはスミスの誤算だった