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「天才と分裂病の進化論」天才と狂気、精神疾患との関係

おはようございます。けうです。

 

今kindleを書いていて、昨日の時点で半分くらい書き上げました。

偉人とか天才の脳とASDについて、を書いています。

 

よく天才と狂気は紙一重、といいますよね。

これをどう根拠をもって言うことができるか、考えていたんです。

そのときに、私が感銘を受けていてずっと一年半ぐらいずっとよんでいなかった本があるんですけど、もうそこに私が考えたいなと思っている内容がありました。

この本は、2002年刊行なんですが、もうグリア細胞についても述べられています。

確かこの本を知ったのは橘玲(あきら)さんか、安藤寿行さんが本の裏で参考文献に書き上げていたからなんですけど。「天才と分裂病の進化論」という本です。
(ラジオで名前の読み方を間違えています)

ASDとADHDの違いは?

2002年前までは、分裂病のことを統合失調症と言っていました。

さらにいえば、ASDという呼び方も最近のもので、「自閉症」も統合失調症の一つとして加えられていたことがあったんです。

 

では、どうして分裂病も自閉症も統合失調症となっていたかというと、患者さんの症状が多様で、一つにわけることができなかったんです。

今でこそ、その特徴で学習障害とかADHDとかASDとか分けていますけど、私はこの分け方に疑問があるときがあります。

例えば、集中力。

ADHDの人は集中力がない、とか言うんですよ。

でも、何かにこだわるとそのことしか見ない特性もある。

ある一面集中力があると書かれているんですよね。

 

例えば、授業中は眠そうにしていたり、マインドワンダリングといわれるような自分の妄想の世界とか考えの世界にふけることがある、と。

これは、他人からみれば集中力がない状態です。

他人の話を聞いてくれないからです。

でも、自分の中では一つのことに集中できているのかもしれないんですよね。

ADHDの人は作家さんに多いともいいます。

本や作品に取り組んでいるときは、驚異の集中力を見せている。

そうなったときに、病気で区切っている集中力という一つの言葉で表すのには限界があるのではないかと思ったんですよ。

 

そして、これはASDの特徴でもあるんですよね。

ASDの人もこだわりが強くて、集中することがある。

病気の一つ一つに重なる部分があるんです。

でも、その症状の全体自体は違かったりする。

 

ADHDはコミュニケーションに弊害をきたさない人も多いのだとか。

それは人の感情がわかることを反応しやすいという点でASDとADHDをわけることにもなります。

今の社会で困りやすいことがその症状を分けるのかもしれません。

 

では、どうしてこのように複合していることが起こるのか。

本では、精神病に長く携わっている人ほど病気の判定が難しくなると言います。

患者さん一人一人を見ると、ほんとに多様なので、わからなくなるんですよね。

分裂病とはある遺伝子の複合?

では、どうやって考えるのかと言うと本の中ではある遺伝子の複合がこの状況になっているんじゃないか、ということが描かれていました。

 

例えば、分裂病を発症する遺伝子がその本人に3個以上必要なのではないかと本では語られています。

 

精神疾患のある家庭では、精神疾患傾向のある人が生まれやすいといいます。

それは、その遺伝子をいくつか保有しているからではないかという話ですね。

 

でも、環境によって双子研究で一卵性双生児の場合、片方が分裂病になったときもう片方がなる確率が50%というので、単に遺伝だけではない。

良い育て方をしても発症したというので、おそらく食品、しかも「脂肪」がかかわるのではないか、という話もしていました。

 

驚くべきことに、分裂病の発生件数は他の国をみても1%のようです。

おそらく、遺伝子が集まって、そこから発生条件の食品もとって、となると1%ほどになるのかもしれません。

 

でも、今はASD患者さんが増えるのではないかと言う話があります。

分裂病、統合失調症、アスペルガー症候群、自閉症スペクトラムというように病名が変わるごとに定義が少し変わっていくんですよね。

それで、分裂病ではない広義の意味が自閉症スペクトラムには込められるようになっています。

そもそもの分裂病は幻影をみたり、声を聞いたり、どこか違う世界に飛んでしまったり、死にたくなる衝動が抑えきれなくなったりと、いつも死と向かい合わせにあるようなエピソードが語られていました。

 

そして、この分裂病になるかならないのかというのも約35歳までに発症したり、似たような症状の片鱗がなければ、分裂病になる確率はかなり低いと言われています。

おそらく、その気質があったとしても遺伝子が3個4個そろうだとか、食品をとるだとか、そのようなことを満たさないのでそういう現象が起きないのだと考えられます。

 

なので、私のいうASD傾向、ASD特性という言い方でもいいのではないかと思いました。

障がいとか病気の定義って、本人か社会かその両方かが困っているからつけられる、という考え方を私はします。

天才と狂気が神一重と言われる理由

そして、話は天才と狂気の話にもどります。

天才と言われる人の家系には、重度の精神障がいの患者さんがおおいそうなんです。

だから、そのひらめきだったり、集中だったりというものは負の遺伝面も持ちつつ、逆に正の働きもする、ということが考えられます。

この遺伝子が3個以上必要という話になると、ほんとに狂気と天才は紙一重という話になるんですよね。

そして、哲学者フーコーは時代によって狂気の定義がかわるといいます。

知の移り変わり(エピステーメー)によって、今まで狂人だと見なされていた人が、そうではなくなる。

社会情勢で変わっていくとも言えます。

これは病気の診断も変わると言う点からも言えます。

1つ追加なんですが、今はもしかしたらこの発生率が上がるかもしれないと考えられています。

困るという定義もなんですが、発生する条件に脂肪が関わっていると言う見解がこの本です。

それで、脂肪にも種類があります。

その中のいわゆる悪い油といわれるような飽和脂肪酸はありすぎると分裂病の症状を促しやすいのではないかと言っていました。

だから、気分が載らない時には加工品とか固形の油を食べない方がいいということにもなるそうです。

魚の油とか、必須脂肪酸を推奨していました。

 

まず私に遺伝子がある。

で、遺伝子があって、さらに脳の構造がそれに似たようなものにもなる。

そして、脳の構造の違いによっても症状はばらばらだし、さらに脳細胞の要因でグリア細胞なんかは人の価値観によって伸ばそうとする得意分野を拡張していく。

だから、物理的にも私を知る、と言うのは一生かかるのかもしれませんね。

 

では、今日もお聞きいただいてありがとうございました。

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