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多面性とは。-kindle本で酷評をもらったことについて考察

おはようございます。けうです。

 

Kindle本「天才脳の秘密」が発売中です。

価格は99円。

内容はとても短いのですが、私はこの脳の見方を元に歴史や多様性の見方をした本について続編として出す予定です。

 

レビューを書いてくださった方がいて、手厳しい内容になっていました。

脳の専門性がない、と。

お金を出す価値はないと、言われてしまいました。

こういった☆1という書評がついた場合、他の人の感想も聞きたいなとも思ってしまうのですが、もし、あ、どんな最低な内容なんだろう!

というような興味ででも読んでいただけたら嬉しいです。

って、99円はそのままなんですけどね。

 

では、これと関連づけて、まずは本質がある、ないという議論を展開して、その次にまた書評についての考えを書きたいと思います。

 

絶対主義と相対主義

今日は本質があるとする見解と、本質がないとする見解。

ソクラテスとソフィストから続く絶対主義と相対主義の関係を考えたので、よかったらお聞きください。

 

物事の本質なんてない。

というのは相対主義的な考え方です。

最近の哲学では「真理」なんてない、というのが一般的になってきました。

それは、自分の目で見られるのは自分の目でしかない、という現象学から言われます。

 

ただ、そうした場合に本質とか絶対がないということはどういう意味を持ちうるのか、を考察してみました。

 

多くの場合は死刑についてとか、殺人についてとか、法律についてとか、私たちが社会生活を営む上でそれが絶対的にないと困る、というような事柄に向くのかな、と。

 

人が死んでしまうような劇薬をまいたとして、それはいけない!

このように指摘できなければいけないんですよね。

でも、絶対というものがないとすれば、そのことの悪を問うことができなくなる。

それをどうしよう、というのが絶対がないことの懸念です。

他にも哲学は「真理」なんてないといいつつ、「真理」を追い求めていく学問でもあります。

そうなると、哲学をしている自分は何なんだろう。

だから、哲学って役に立たないと言われてしまうよね、というような論になってしまいます。

相対主義について

それでも、ウィトゲンシュタインやマルクス・ガブリエルは真なんてないという見解ですが、主張をしていますよね。

とくにマルクス・ガブリエルは倫理を強く説いています。

倫理資本主義などは、倫理学者を集めてこれをやれば世界が貧困になっていくからすべきではない!などを話し合うべきだ、と言っています。

では、ここで話し合ってやるべきではない、とした事柄をどう捉えればいいのか、と。

 

その場合、マルクス・ガブリエルさんで言えば、絶対はないけれど、そのものはあるんです。

世界と言う絶対的な枠組みはないけれど、私たちがあると思っている事柄は存在している。

ということは、倫理は存在しているんですよね。

これは倫理だ!と確定している枠組みはないけれど、倫理は存在している。

だから、私たちは倫理を共有して話すことができます。

だから、まず話し合いがあるんですよね。

さまざまな方面から倫理を多面的に浮かび上がらせて、人々に納得してもらう。

そして、倫理はあるのだから、ということはルールはあるのだから、ということになる。

私たちは何かをするときに、ルールは破れるけれど、ルールを破らない前提としてそのゲームを営んでいる。

 

そう考えていくと、絶対はないけれど、従うべきものはある、という考え方です。

そのものがあるとすれば、話し合う必要性がでてくるし、それに納得して従ってもらう場合もでてくる。

ただ、従ってもらうというのがネガティブなイメージを帯びるので、その元になるものについては多面的に見る必要がある。

多面的に見ることで自分に従う

そこに多面的な見方が加わることで従っていると言っても自分の納得した事柄に従っていると言う、自分に従うということになる。

自分に従うということはある面で自由と言えます。

 

だから、最近の哲学では多面的に見るとか、多様性がとりざたされています。

絶対はないけれど、物事はあって、その物事の多面性はある。

平面だったものを、立体にして浮かび上がらせることが哲学だともいえるかもしれません。

 

私たちは自分の見方しかできないから、どうしても偏見を持ってしまう。

一つの見方に捉われるならば、他の面は見えない。

 

私はkindleで酷評をもらった。

それは脳の専門家からしてみたら、これは他の本の真似でしかないものだ、と。

この一面はあるんだろうなと思いました。

私の視点がおよんでいない点ですね。

ただ、私は脳は一つとして、他の点も見ていた。

脳から浮かび上がってくるその人となり。

脳はその人の結果でしかないという面がある。

アインシュタインはこんな人物だったんだよ、という人に共感をもってもらえるような側面も多いかなと思っています。

 

ただ酷評をもらってちょっと良かったなと思ったのは、その人にとって私の本は酷評を書くくらいにはなにかを受け取ってもらえたということですね。

 

そして、私は本のあり方について考えさせられました。

私の本は考えてもらいたい本です。

なので、酷評がある。

ならば、あなたはどう思うだろう。

私ならばその通りのことを思うのだろうか。

本と言うカタチは専門性をもった人が受け入れてもらう教科書的な役割しかもたらさないのだろうか。

本の可能性は、特にkindleという形でだされた本には、人に考えさせると言う材料を与えるのではないか、と思いました。

私は哲学をしていて、人に影響を与えたり、人に触発させたりすることが多いのですが、それでもいいのではないか、と思う面があります。

 

考えるという側面から、よかったら手にとってみて下さい。

>>「天才脳の秘密」はこちら

 

では、お聞きいただいてありがとうございました。

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