老子の教え

老子の教えとは|高校倫理2章5節中国思想④

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第2章
「人間としての自覚」
第5節「中国思想」
④老子の教え
を扱っていきます。
①孔子の教えから、③朱子学と陽明学までやりました。
>>①孔子の教え
>>②孟子と荀子「性善説と性悪説」
>>③朱子学と陽明学
④老子の教え(今回)
老子の教えは儒教を批判したと言われています。
儒教の根本思想である仁義をまずは批判。
老子「大道廃れて仁義あり」
「根本的な道徳が廃れると、仁義というような道徳が主張される」という意味。
どうして人を殺してはいけないの?
人は仁義を理想とするからかな、みたいに理由づけが必要
人はその昔に道(タオ)に従って生きてきたけれど、文明の進歩の途中で道を見失ってしまった。
そこで、仁や義で人を規制して、秩序を保とうとしたのが儒教だと老子は批判します。
仁・礼・仁義など(儒教のメインとなる教え)は自由で生き生きとした本来の人間性を奪っていくと老子は考えたのです。
では、老子の教えから見ていきましょう。
ブログ構成
  • 老子の教え
  • 老子の無為自然
  • 老子の小国寡民
  • 道家とは

参考文献 続・哲学用語図鑑(田中正人、斎藤哲也)

老子の教え

老子は生没念不明です。

ですが、孔子(前551頃-前479)との対話があるので、その頃の人だとされています。

老子は不老不死の秘術を得たとかで、200歳くらいの老子っぽい人がいただとか

老子は若いころは周の役人だったのですが、その地を去ることにしました。

去るときに、他の役人に「教えだけでも授けてほしい」といわれて『老子道徳経』(上下2編、約5000語)だけを残します。

老子って有名なのに、5000語しか残ってないんだね!
短いのですが、エッセンスが詰まっています。

老子の道(タオ)

「大道廃れて仁義あり」と述べたときの、道(タオ)とはどのような意味かをまずは扱っていきます。
老子の言う道(タオ)とは、万物をうみだす根源、あらゆる現象を成立させる原理です。
儒教だとが万物の原理だったけど、理みたいなもの?
老子は原理を考えたんだけど、特定できないから仮に道(タオ)って呼んどいて、名前は(名前はつけられない)って言ってた
道(無)は天地ができる前から存在し、有を生みだし続ける混沌だと老子は考えました。
万物は道(無)から生じて、常に変化し、また道(無)に帰っていきます。
例えば、芽が出て、木になって、枯れてきて、チリになって、なくなる、という過程です。
これを老子は道徳や文化にも応用しました。

老子の教え|無為自然

賢明な生き方をしたければ、道に従えばよいと老子は言いました。

これを無為自然と言います。

無為自然⇒作為のないあるがままの自然な生き方

作為とは人が意図して作り出した道徳や文化のこと。

例えば、礼儀、名誉、財産、文明、知識などです。

作為によってつくられたものも道の法則に従って変化消滅します。

リストラ、痴ほう症、災害…
うっ、儒教文化によって作られた社会には重い言葉…
老子は既存の価値観にとらわれずに生きれば、苦しむことはないとしたのです。
そのような価値観に縛られるから、失くしたときに苦しみが伴うと考えました。
では、無為自然とは具体的にはどのようなあり方なのでしょうか。
  • 上善は水のごとし
  • 柔弱謙下
  • 学を経てば憂いなし
  • 知足
  • 無欲恬淡

上善は水のごとし

賢明に生きるためには、水の性質を見習うべきだと老子は考えました。

老子「上善は水のごとし」

最上の善は水のようなものだ、という意味。

水の性質

  • 水はこだわりなく形を変え、争うことはない
    (例えば素直な人のこと)
  • 水は人の嫌がる低い方に流れ、そこにとどまる
    (例えば人の嫌がる仕事を進んでやる人)
  • 水は弱くて柔和だけれど、攻撃されても堪えない
    (例えば脅しても平気な人)
  • 水は人の役に立っているけれど、おごることなく謙虚
    (例えばボランティア活動を利益なく行う人)
  • 水は静かで何も語らない
    (例えば功績があったのにそれを語らない人)

老子は水こそ最も道(タオ)に近いと考えました。

水のように生きれば人生の幸せは大きいみたい

柔弱謙下(じゅうじゃくけんげ)

柔弱謙下(じゅうじゃくけんげ)とは柔和でへりくだった心をもつことです。

自然を観察すると、作用は反作用をうむことがわかります。

例えば、川の流木は流れに抵抗せずに流れに任せることで遠くまで行くことができ、反対に抵抗すると遠くまで行くことはできません。

柔弱謙下ができていない例

  • 尖っている山は削られる
  • 立派な竹だと出来の悪い竹よりも切られてしまう
  • 立派な牛だと儀式に使われて寿命が短い
  • 出る杭は打たれる

作用は反作用を生むという法則。

この法則を重視して、老子は他者とは争わずに柔弱なことは結局は硬く強くあるのだと説きました。

能ある鷹は爪を隠す
「実力のある者ほど、それを表面に表さない」だから、そんな感じだね!
ただし、このことわざは日本の戦国時代のことわざみたい

学を絶てば憂いなし

学を絶てば憂いなし

 唯(い)と阿(あ)と相い去ることいくばくぞ

善と悪とは、相い去ることいかん

「学を絶てば憂いなし」は、中途半端な知識は持たない方が迷いがなくなる。

「いとあと相い去ることいくばくぞ」は、「はい(い)」と答えても、「うん(あ)」と答えても、大した違いはない。

「善と悪とは、相い去ることいかん」は、善と悪にどれほどの違いがあるのか、と問いかけています。

儒教の性善説や性悪説批判にもつながる

善悪の知識は時代や立場によって変わります。

道はこういうものだ!と老子が言葉で表現できないと言った理由にもなるね

儒教の批判例(教科書外)

例えば、孟子は性善説の根拠である仁の端を、忍びざる心で説明しています。
>>孟子の思想
目があってそのものをほっておけなくなった心の動き(忍びざる心)に、性善説の根拠があるとしたのです。
ある王様は生贄の牛の目を直接見て可哀そうに思って(忍びざる心)、生贄を羊に換えた
しかし、これは考えてみれば人間特有と言うわけではありません。
マウスが子を助けるような行動を分析した結果、そのようなホルモンがあることがわかったそうです。
マウスが子を助けるためには、ホルモンを増やせばよくて、教育が必要なわけではないんだね
人間の場合は教育がホルモンを増やす役割になってると儒教では考えるということかな。
かえって、老子だと自然にのびのびしてたほうが、身体機能的にも正常で人間的だと考えている、とか
ホルモン説によれば、子が井戸に落ちそうになるのを助けようとする仁の発揮は、学問や教育といった礼を通さずに実行できることになります。
老子はかえって礼儀に縛られることで、本質(助ける、利他など)を見失うと説くのです。
例えば、現代哲学でも利他は無意識や不確かさを含むと言われている
>>利他はどこからやってくるのか
教科書に戻ります。

知足

老子は、足るを知る(知足、満足することを知る)ことが大切だといいます。

何事に対しても「満足する」という意識を持つことで、精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていけると説くのです。

例えば、刀を研ぎすぎれば脆くなって折れてしまうし、あふれるほどコップに水を注げばこぼれてしまいます。

次は一位を取りたい!!
一位は妬みをうむし、失いやすいよ(老子)
(うーん、でも老子は時代や環境に合わせることも重要と言ってて、資本主義社会ではここはがんばれと言った方がいいのかな…)
また老子は「知足安分(ちそくあんぶん)」(足ることを知ってむさぼらず、自分の実のほどに安んじること)の重要性も説いています。

無欲恬淡(むよくてんたん)

無欲恬淡(むよくてんたん)は欲望を抑え、執着を捨てること。

この言葉には無欲とありますが、老子は欲そのものを否定しているわけではありません。

「無為にして為さざるは無し」のように、無為こそできないことはない、無為だからこそなんでもできる、というとらえ方でもあります。

「中国哲学史」(p140)で面白かったのが、「言は象を明らかにする手段であって、象を得れば言を忘れる。象は意をとらえる手段であって、意を得れば象を忘れる」という言葉
「あらかじめ言語を忘却することではじめて言いたいことを得ることができる」という意味にもつながる。
つまり、忘れてる(無)な人の方がそれを体得している(有)ってことだね
無が有に、有が無に転じる思想は、後の哲学者もよく解釈を繰り返しています。
老子の言葉を解釈するときに、無が付いている言葉には、言葉だけでは表せない何かを表している可能性があるのです。
無為自然について扱いました。

老子は政治についても述べています。

老子の教え|小国寡民(しょうこくかみん)

老子の生きたとされるのは春秋戦国時代。

王たちが領土拡大のために戦争をしている時代にもかかわらず、老子は小さな面積で少ない人口の小国寡民の国の方が幸せだと主張しました。

小国寡民⇒人々が素朴で質素な生活に自足する小規模な共同体
小国寡民の国では、厳しい規則や残酷な刑罰がありません。
理想の君子が道の働きにまかせた無為の政治をおこなっているからです。
仁義を必要としない社会。
その国の人々は足るを知り、その地から移動しようとは思わないほど満たされている幸せな社会です。
老子が周を去った原因も小国寡民の思想から見えてくるかも

老子の教えと道家

老子を祖とする思想は道家思想とも呼ばれます。

道家思想は後に仏教や五陽五行説(陰陽家の思想)と合わさって、民間信仰である道教を生みました。

道教は仙人を目指す宗教です。

道教は道家の思想から生まれましたが、老子や荘子の思想とは別物とされています。

始皇帝は儒教を弾圧して、不老不死の薬を求めたといわれているよ。
道家や道教の思想に影響をうけていそうだね
今回は老子の教えについてやりました。
次回は、荘子の教えについて取り扱います。
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