ロールズと正義論

ロールズと正義論|高校倫理1章6節3

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
(高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第1章
「現代に生きる人間の倫理」
第6節「社会参加と幸福」
3.ロールズと正義論
を扱っていきます。
1、2では20世紀になって深刻化した戦争や貧困や差別に立ち向かった、生命への畏敬と非暴力の思想を見てきました。
今回は、自由な経済活動によって引き起こされてきた格差や不平等に立ち向かう対策を考えたロールズ(1921-2002)を紹介します。
ロールズは公正としての正義をとなえました。
しかし、一言にいっても正義というのは様々な思想があり、混乱しやすい傾向にあります。
今回は、思考実験からロールズの正義論を捉えていきます。
ブログ内容
  • ロールズの正義論とは
  • ロールスの正義論

参考文献 「ジョン・ロールズ 社会正義の探究者」斎藤純一・田中将人著、「現代文明論講義 ニヒリズムをめぐる京大生との対話」佐伯啓思、「正義の教室」飲茶

ロールズの正義論とは

まずこのような状況を考えてみてください。

「犠牲の状況」(ジャン=ピエール・デュピュイの思考実験)

舩が難破して11人が海に投げ出されている。

目の前には10人乗りの救命ボートがあり、それに乗れば助かる。

ただ、1人だけは乗れない。

1人には死んでもらうしかない。

11人のうち、1人は将来有望な政治家で、1人は元殺人犯で、他の9人は普通の市民(老若男女)。

さて、この状況であなたはどうしますか?(現代文明論講義 参照)

おそらくこんな意見がでてきます。

  • くじ引き
  • 悪い人
  • 優先する人から決めていく
  • 11人でボートに乗ってみる
  • 1人ずつ交代して泳ぐ
  • 争う
自分もその中に含まれていると考えてみてね

このような意見の傾向を4つの立場で考えてみます。

  1. リバタリアニズム⇒争う。
    平等な自由だけが人間の基本的原則だから、自由競争によって争う。
    力のないものがボートからはみ出す。
  2. リベラリズム⇒全員死ぬしかない。
    全員の生命・自由に対する権利を平等に保障する。
    よって誰が死ぬのか決定できないので、平等に全員が死ぬ。
  3. 功利主義⇒特定の人が死ぬ。
    個人の利益よりも、社会全体の利益のほうを重要視する。
    最大多数の最大幸福。
    犯罪者や弱い者といった人が犠牲になる。
  4. ポストモダニズム⇒くじ引き。
    人生には必然的な意味はなく、すべて偶然で動く。
    理由なき偶然に結果のすべてを委ねる。

また、意見には入らないのですが、道徳的直観によって決まるという直観主義もあります。

直観は話し合うと直観とは言えないという点がある。
宗教的に神の啓示があったから、というような理由で決まったりする
これらの意見には、生命尊重や自由、相互性、社会的秩序、贖罪意識からの宗教的理由、などの要素がからみ合っています。
ボートでは具体的な行動がおのずと取られるでしょう。
けれど、これを話し合ってみんなで納得してみよう、という立場がロールズの正義論。
この例で言えば、➁のリベラリズムがロールズの立場になります。
具体例で考えるとこうなるから、リベラリズムはしばしば理想論とも呼ばれる
では、ロールズが正義論で説いたリベラリズムとは何か、に移っていきます。
(ちなみに、自由を最大限に尊重するリバタリアニズムはアメリカの哲学者ノージック(1938-2002)が有名。
国家による所得の再配分を批判しました。)

ロールズの正義論

正義論というのは、ある特定の状況下からうまれます。

ロールズ(1921-2002)はアメリカ合衆国で第一次大戦後に生まれました。

そして、第二次世界大戦(1939-1945)が勃発したとき、ロールズは18歳。

戦争の悲惨さの影響を受けた世界は、改めて「正義とは何か」ということを問いだしたのです。

ロールズが参考にしたのは社会契約説

ホッブズは「万人の万人に対する戦い」をベースに理論を組み立てましたが、ロールズの世代にとってのベースは違いました。

ロールズは「立憲デモクラシーの擁護」を前提に、正義論を組み立てようとしたのです。

「立憲デモクラシーが歴史的に生き残ることに、私は関心があるのです。」

リベラルな立憲デモクラシーとは、すべての市民が自由かつ平等であり、基本的権利および自由を保障されている状態を確実にするものを指します」
(ジョン・ロールズp7ロールズの言葉)

ホッブズの思考実験の前提のように、ロールズは自由・平等・権利を前提にすることで正義の原理を導いた
では、どうすれば正義の原理を前提に話し合いができるのでしょうか。

原初状態(無知のベール)

ロールズは原初状態(無知のベール)という思考実験を提唱しました。

この無知のベールをかぶった人間は、自分のことがわからなくなります。

  • 人種
  • ジェンダー
  • 家庭の貧富
  • 生まれつきの才能や障害
  • どんな時代にいるのか

などです。

例えば、記憶喪失になって体を縛られて、真っ暗闇に放り込まれている状態を想像してください。(正義の教室 参照)

その状態から、社会がどうあるべきか、というのを話し合います。

さっきのボートでいえば、自分は元殺人犯や弱者かもしれない
何者なのかをわからなくした状態で、社会に適応されるルールを決定します。
ロールズは、原初状態(無知のベール)になるべきだという主張ではなく、そういう前提でないと話し合いができない、ということを主張します。
原初状態になった上で「それぞれ異なった仕方で生きている私たちが、互いを自由かつ平等な存在とみなすなら、社会の制度やルールはいかなるものであるべきか。」を問うのです。(ジョン・ロールズp3)

科学としての倫理学

ロールズは当時主流だった功利主義や直観主義を批判します。

  • 功利主義の難点は、多数決になるので弱者が損をしやすい構造になっている。
  • 直観主義の難点は、直観的に理解するしかないので話し合いができない。

ロールズは「人びとがもつ健全な常識やコミュニケーション能力の延長線上に、客観的な道徳を位置づけられるような倫理学」を目ざしたのです。

それは「科学としての倫理学」とも呼ばれました。

ロールズの倫理学⇒「人々が一般的に抱いている常識から出発し、さらにそれらを共有可能な枠組みを用いて一つひとつ分節化していくこと」
(ジョン・ロールズp34)
ポイントは常識から出発すること。
そこからみんなで熟慮したうえでその妥当性が認められるようにすることが目的
「ライオンが話すことができても、人間にはライオンのことが理解できない」
このスタンスに立つから、常識は重要視される
例えば、自分のことを火星人だとか、異邦人、観察者だと思っている人がいたとしましょう。
しかし、人間には二つの視点があります。
基準を共有しない外的視点を持っていたとしても、もし「赤信号では止まる」というルールを知ったとすればそれに従う。
このルールに従うという視点、基準を共有する内的視点(使うべき生活様式を共有しているメンバーや当事者の視点)を人間は持つにいたるのです。
人間の二つの視点
  • 基準を共有しない外的視点
  • 基準を共有する内的視点
ロールズは常識というような内的視点から、正義のルールを考察しました。
では、この常識をさらに探っていきます。

ロールズと人格

この常識というのは、無知のベールをかぶったときにでてくるものでした。

なので、この常識は公正であり、ある2つの道徳的な能力を備えた人格です。

  1. 合理的な能力
    自分自身の「善の構想」(自分の生に中心的な価値を与えると各人が考えるもの)を合理的に追求する能力。
    人格的自律(カントの自律)の能力
  2. 理にかなった能力
    自分と他人との関係のあり方を規制する社会正義を理解し、それにもとづいて振る舞う能力。
    正義感覚をもつ能力

ロールズは「合理的な能力」と「理にかなった能力」を備えた人格が、正義について決めることができると考えたのです。

みんなは常識を作りだしていて、それには二つの能力が必要になっている。
例えば、算数の問題を解いたり、最適解を出すのが合理性。
みんながそれが良いと思うものに従うのが理にかなった能力。
ロールズは「理にかなったもの」>「合理的なもの」として、優先順位を決めました。
あらゆる地域的制限にたった上で、それぞれの合理的な目的追及ができるようにすることを考えたのです。
また一定の前提から導かれた「原理」(立憲デモクラシー)と「熟慮された判断」を相互に照らし合わせるという「反照的均衡」という方法も大事にしました。
常識から熟慮された判断がでて、また原理によってふたたび考えるという反照的均衡をまた考える。
考え方を何重にもとっているんだね
そして、このような能力や熟考を持ってすれば、無知のベールをはがしたときに、もっとも不利な立場になっていても受容できると考えます。
(マキシミン・ルール⇒諸々の選択肢の最小値のなかでもっともましなものを選択する)(ジョン・ロールズp69)
うーん、それでも理にかなった多元性(いろんな人がいる)という事実から出発すると、どうしても相互に理解することが難しい気がする…
次はこの問題について考えていきます。

政治的考察

ロールズは多様性を尊重しました。

そこで問題になるのが、ロールズが頼っている哲学と常識との関係です。

ロールズは正義の公共的構想は、論争的な哲学的・宗教的教説から可能なかぎり自立しているべきだと考えました。

哲学にはそこまで頼らないということ

包括的教説が哲学的・宗教的で形而上学的な学説だとして、正義の公共的構想は政治的なものでなければならないとしています。

これを公正としての正義と呼びました。(包括的教説<政治的構想)

  • 包括的教説
    宗教の教えや哲学の学説に代表される。
    この世界を意味づけようとする教説のことで、いわゆる「世界観」のことを指す。
  • 政治的構想
    政治社会の基本的なあり方という対象のために用いられる、限定された考えのこと。
    「信教の自由」「自己決定権」「生命の尊重」といった複数の政治的価値をうまく結び合わせたとき、一つの政治的構想が成立する。

なぜなら、哲学の歴史においてはいずれもが論争的な価値観であり、政治に直接もちこまれると必ず争いや不和を招く、とロールズは考えたからです。

包括的価値と政治的価値を区別することが、政治的リベラリズムの大前提となる、と主張しました。

哲学って終わりがないし、終わらないことを目指してもいるから…
またロールズは「政治哲学の目的はそれが問いを投げかける社会によって定まる」とも考えました。(ジョン・ロールズp132)
例えば、こんな仮想事例で考えてみます。
同性婚の事例
架空の社会では、同性婚が認められていなかったが認められた。
このとき、判事たちは次のような倫理学者の主張を理由づけに用いる。
「二者間の継続する親密な関係こそは、性的指向にかかわりなくもっとも卓越した価値の一つである。
なので、万人にとっても法的に利用可能なものにされなければならない。」
同意する人もいるだろう。
しかし、この理由付けは論争的な(包括的説教)に基づいている
なぜなら、結婚することに比べて独り身でいることが劣った人生だとは断言できないはずだからだ。
なので、公共的理性のあり方からすれば、判事はこのような論争的な理由づけを避けなければならない。
この事例はまた、いわゆる進歩的な価値観と政治的リベラリズムが必ずしも一致しないことを示している。
この判決を妥当なものとするには、その社会に即して、その社会の市民に共通する観点から受け入れられるかを判断する必要があります。
ただし、それならなぜここで包括的価値を出すのでしょうか。
その例として「正と善」に例えてみます。
正(政治的構想)と善(哲学的・宗教的な包括的価値)。
この場合、正と善が合致する可能性を無視はできないからです。(重なり合うコンセンサス)
市民に包括的価値によって善が納得されるとすれば、それが正に重なる可能性はあります。
「(重なり合うコンセンサス(正と善の合致)を論じるにあたり)政治的構想は実行可能なものであって、可能性の技術(アート)の領分に属するものでなければならないということに同意しよう。」
(ジョン・ロールズp149ロールズの言葉)
ロールズの含意からすれば、政治的構想がより優先されるべきであっても、両者の関係性は考えていくべきであると読みとれます。
ロールズはソクラテスアリストテレスカントの哲学に親近性をもっていました。

巨悪

例に出したボートのように、いつまでも決着がつかずに全員死ぬことがリベラリズムかと言うと、そうとは限りません。

ロールズは「よりましな悪」ではなく、「巨悪」を考えました。

  • 奴隷制度
    「奴隷制が悪でなければ、悪いものは何もない」(リンカーンの言葉の引用)
  • ホロコースト
  • 原爆投下

社会や戦争の原則、法律に即して、それでも巨悪と言えるものがあるとロールズは主張したのです。

それは戦争にまつわる二種類のニヒリズムを退けるためです。

  1. 「戦争は地獄なのだから、終結のためにはいかなる手段も正当化される」という論法を退ける
  2. 「戦争になった時点で私たちはみな汚れているのだから、誰も他人(他国)を非難できない」という主張を退ける
    (ジョン・ロールズp179)

われわれは諦め(どうにもならない現実)があるからといって思考を放棄する理由にはならないとロールズは考えたのです。

ロールズはこのことを問い続けました。

「人類が、救い難いまでに自己中心的とまではいかないにせよ、総じて没道徳的(アモラル)だとすれば、カントとともに次のように問うことが許されるだろう。

人類はこの地上に生きるに値するのか」

人間本性が正義と親和的であることの弁証こそは、カントに倣って、ロールズがつねに意識していたテーマであった。
(ジョン・ロールズp204)

ロールズは自由であるがゆえに多元的な社会を維持しようとし、「全方向的な対話」を重ね、相互に向けた正当化を根気強く行っていった人物でした。

ロールズをやりました。

次回は経済学者センについて取り扱います。

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