「現代に生きる人間の倫理」
第6節「社会参加と幸福」
3.ロールズと正義論
- ロールズの正義論とは
- ロールスの正義論
参考文献 「ジョン・ロールズ 社会正義の探究者」斎藤純一・田中将人著、「現代文明論講義 ニヒリズムをめぐる京大生との対話」佐伯啓思、「正義の教室」飲茶
ロールズの正義論とは
まずこのような状況を考えてみてください。
「犠牲の状況」(ジャン=ピエール・デュピュイの思考実験)
舩が難破して11人が海に投げ出されている。
目の前には10人乗りの救命ボートがあり、それに乗れば助かる。
ただ、1人だけは乗れない。
1人には死んでもらうしかない。
11人のうち、1人は将来有望な政治家で、1人は元殺人犯で、他の9人は普通の市民(老若男女)。
さて、この状況であなたはどうしますか?(現代文明論講義 参照)
おそらくこんな意見がでてきます。
- くじ引き
- 悪い人
- 優先する人から決めていく
- 11人でボートに乗ってみる
- 1人ずつ交代して泳ぐ
- 争う
このような意見の傾向を4つの立場で考えてみます。
- リバタリアニズム⇒争う。
平等な自由だけが人間の基本的原則だから、自由競争によって争う。
力のないものがボートからはみ出す。 - リベラリズム⇒全員死ぬしかない。
全員の生命・自由に対する権利を平等に保障する。
よって誰が死ぬのか決定できないので、平等に全員が死ぬ。 - 功利主義⇒特定の人が死ぬ。
個人の利益よりも、社会全体の利益のほうを重要視する。
最大多数の最大幸福。
犯罪者や弱い者といった人が犠牲になる。 - ポストモダニズム⇒くじ引き。
人生には必然的な意味はなく、すべて偶然で動く。
理由なき偶然に結果のすべてを委ねる。
また、意見には入らないのですが、道徳的直観によって決まるという直観主義もあります。
宗教的に神の啓示があったから、というような理由で決まったりする
国家による所得の再配分を批判しました。)
ロールズの正義論
正義論というのは、ある特定の状況下からうまれます。
ロールズ(1921-2002)はアメリカ合衆国で第一次大戦後に生まれました。
そして、第二次世界大戦(1939-1945)が勃発したとき、ロールズは18歳。
戦争の悲惨さの影響を受けた世界は、改めて「正義とは何か」ということを問いだしたのです。
ロールズが参考にしたのは社会契約説。
ホッブズは「万人の万人に対する戦い」をベースに理論を組み立てましたが、ロールズの世代にとってのベースは違いました。
ロールズは「立憲デモクラシーの擁護」を前提に、正義論を組み立てようとしたのです。
「立憲デモクラシーが歴史的に生き残ることに、私は関心があるのです。」
「リベラルな立憲デモクラシーとは、すべての市民が自由かつ平等であり、基本的権利および自由を保障されている状態を確実にするものを指します」
(ジョン・ロールズp7ロールズの言葉)
原初状態(無知のベール)
ロールズは原初状態(無知のベール)という思考実験を提唱しました。
この無知のベールをかぶった人間は、自分のことがわからなくなります。
- 人種
- ジェンダー
- 家庭の貧富
- 生まれつきの才能や障害
- どんな時代にいるのか
などです。
例えば、記憶喪失になって体を縛られて、真っ暗闇に放り込まれている状態を想像してください。(正義の教室 参照)
その状態から、社会がどうあるべきか、というのを話し合います。
科学としての倫理学
ロールズは当時主流だった功利主義や直観主義を批判します。
- 功利主義の難点は、多数決になるので弱者が損をしやすい構造になっている。
- 直観主義の難点は、直観的に理解するしかないので話し合いができない。
ロールズは「人びとがもつ健全な常識やコミュニケーション能力の延長線上に、客観的な道徳を位置づけられるような倫理学」を目ざしたのです。
それは「科学としての倫理学」とも呼ばれました。
(ジョン・ロールズp34)
そこからみんなで熟慮したうえでその妥当性が認められるようにすることが目的
このスタンスに立つから、常識は重要視される
- 基準を共有しない外的視点
- 基準を共有する内的視点
ロールズと人格
この常識というのは、無知のベールをかぶったときにでてくるものでした。
なので、この常識は公正であり、ある2つの道徳的な能力を備えた人格です。
- 合理的な能力
自分自身の「善の構想」(自分の生に中心的な価値を与えると各人が考えるもの)を合理的に追求する能力。
人格的自律(カントの自律)の能力 - 理にかなった能力
自分と他人との関係のあり方を規制する社会正義を理解し、それにもとづいて振る舞う能力。
正義感覚をもつ能力
ロールズは「合理的な能力」と「理にかなった能力」を備えた人格が、正義について決めることができると考えたのです。
例えば、算数の問題を解いたり、最適解を出すのが合理性。
みんながそれが良いと思うものに従うのが理にかなった能力。
考え方を何重にもとっているんだね
(マキシミン・ルール⇒諸々の選択肢の最小値のなかでもっともましなものを選択する)(ジョン・ロールズp69)
政治的考察
ロールズは多様性を尊重しました。
そこで問題になるのが、ロールズが頼っている哲学と常識との関係です。
ロールズは正義の公共的構想は、論争的な哲学的・宗教的教説から可能なかぎり自立しているべきだと考えました。
包括的教説が哲学的・宗教的で形而上学的な学説だとして、正義の公共的構想は政治的なものでなければならないとしています。
これを公正としての正義と呼びました。(包括的教説<政治的構想)
- 包括的教説
宗教の教えや哲学の学説に代表される。
この世界を意味づけようとする教説のことで、いわゆる「世界観」のことを指す。 - 政治的構想
政治社会の基本的なあり方という対象のために用いられる、限定された考えのこと。
「信教の自由」「自己決定権」「生命の尊重」といった複数の政治的価値をうまく結び合わせたとき、一つの政治的構想が成立する。
なぜなら、哲学の歴史においてはいずれもが論争的な価値観であり、政治に直接もちこまれると必ず争いや不和を招く、とロールズは考えたからです。
包括的価値と政治的価値を区別することが、政治的リベラリズムの大前提となる、と主張しました。
「(重なり合うコンセンサス(正と善の合致)を論じるにあたり)政治的構想は実行可能なものであって、可能性の技術(アート)の領分に属するものでなければならないということに同意しよう。」
(ジョン・ロールズp149ロールズの言葉)
巨悪
例に出したボートのように、いつまでも決着がつかずに全員死ぬことがリベラリズムかと言うと、そうとは限りません。
ロールズは「よりましな悪」ではなく、「巨悪」を考えました。
- 奴隷制度
「奴隷制が悪でなければ、悪いものは何もない」(リンカーンの言葉の引用) - ホロコースト
- 原爆投下
社会や戦争の原則、法律に即して、それでも巨悪と言えるものがあるとロールズは主張したのです。
それは戦争にまつわる二種類のニヒリズムを退けるためです。
- 「戦争は地獄なのだから、終結のためにはいかなる手段も正当化される」という論法を退ける
- 「戦争になった時点で私たちはみな汚れているのだから、誰も他人(他国)を非難できない」という主張を退ける
(ジョン・ロールズp179)
われわれは諦め(どうにもならない現実)があるからといって思考を放棄する理由にはならないとロールズは考えたのです。
ロールズはこのことを問い続けました。
「人類が、救い難いまでに自己中心的とまではいかないにせよ、総じて没道徳的(アモラル)だとすれば、カントとともに次のように問うことが許されるだろう。
人類はこの地上に生きるに値するのか」
人間本性が正義と親和的であることの弁証こそは、カントに倣って、ロールズがつねに意識していたテーマであった。
(ジョン・ロールズp204)
ロールズは自由であるがゆえに多元的な社会を維持しようとし、「全方向的な対話」を重ね、相互に向けた正当化を根気強く行っていった人物でした。
ロールズをやりました。
次回は経済学者センについて取り扱います。