よく天才は理解されないと言われ、変人に見られたりします。
その理由を、一般の人の理解を超えるからだと以前書きました。
>>天才と変人は紙一重の理由「残酷すぎる成功法則から」から
それを今回はクーンのパラダイムシフトという用語から天才にせまります。
まずはパラダイムシフトを詳しく解説します。
パラダイムシフトとは
まずパラダイムとは、一時代の支配的な物の見方や時代に共通の思考の枠組みのことです。
このパラダイムが変換されることをパラダイムシフトと言います。(広辞苑 参照)
科学哲学教授トマス・クーン(1922~1996)の議論から普及しました。
科学的なパラダイムシフト
科学における歴史の見方からパラダイムシフトを見ていきます。
科学的な歴史の見方は2つあります。(続哲学用語図鑑 参照)
一つはクーンが述べる以前の従来の見方。
①科学は「曖昧な真実」を「確実な真実」にしようと進歩している
例えば、この病気の原因はなんだろう?というような「曖昧な真実」から研究をしていきます。
すると、その研究の結果、この病気の原因はこれだったんだ!というように「確実な真実」に至ると考えます。
これが従来の見方です。
次にクーンの唱えた科学の考え方をみていきます。
②科学は「曖昧な真実」から進歩するのではなく、「まったく新しい曖昧な真実」に変換される
クーンは、科学は断続的に「曖昧な真実」の解釈が転換されると唱えました。
また後で詳しく述べていきますが、上の例を引用して比較してみます。
例えば、この病気の原因はなんだろう?というような「曖昧な真実」から、そもそもこれは病気なのか?という見解にいくことが一つです。
歴史によって病気とされてしまっていたけれど、これはそもそも病気ではないという認識にいたります。
性同一性障害や色覚異常など、今ではそのようには呼ばれていません。
性別違和といったり、色覚多様性と呼び方も変わっています。
パラダイムシフトは何度も起きる可能性があります。
けれど、宇宙そのものは変化しているわけではありません。
私たちの解釈がかわっているだけなのです。
ここから、科学は事実と無関係に存在しているとクーンは考えました。
つまり、科学は相対的なものであると考えたのです。
では、どのようなパラダイムシフトの歴史があったのでしょうか。
歴史におけるパラダイムシフトの具体例を見てみましょう。
歴史的なパラダイムシフトの具体例
パラダイムシフトの例をあげます。
天動説⇨地動説
ニュートンの万有引力の法則 (地球の引力が、宇宙ならばどこでも働いているという着想)
アインシュタインの相対性理論 (人によって時間が相対的だという理論)
例はまだまだありますが、クーンはこのような科学の大発見についてパラダイムシフトで説明しました。
では、具体的に科学的なパラダイムシフトが起こる過程を見ていきます。
天動説から地動説へのパラダイムシフトを取り上げます。
天動説に合わせて計算をしていた科学者は悩みます。
このようにして科学的なパラダイムシフトは起こると考えます。
つじつまが合うから変更するのであって、これに対してどっち劣っている、勝っているという発想はしません。
知識の基盤がまったく違うので、優劣の比較のしようがないのです。(通約不可能性)
たとえば、物差し自体のメモリが違っているようなものです。
この歴史が進歩していると捉えないことが、天才が理解されない理由になるのではないかと私は推測します。
パラダイムシフトから見る認知バイアス
パラダイムシフトでは、あるとき急に断続的に思考が変化します。
前と後で切断するように、パラダイムの土台をまるっきり変えてしまうのです。
ジャンプして他の土台に移るかのように移動します。
従来の歴史の見方、進化や進歩していると考えた場合をみていきましょう。
「曖昧な真実」を「確実な真実」にしようと進歩していけば、理解されます。
私たちは何か目的を持って歩んでいると思うことができ、前進していることで評価をもらえます。
前に進んでいると思えば受け入れやすくなります。
わからない謎を追い求め、その謎が解決できたとすれば達成感を味わうでしょう。
もし努力して0点のテストが80点になったり、泳げる距離が増えたりしたら、その人は成長を褒められます。
しかし、パラダイムシフトは相対的という考え方です。
つじつまが合うからこっちにしようと言われる場合を想像します。
その物事を追い求めて謎を解決しようと目標を持っている人が、相対的なつじつまの合うまるっきり違う回答を得ます。
例えば、泳げる距離が伸びたけれどそれは船に乗ったから、といった場面自体の移り変わりです。
こんなとき、人はその発想を理解のできないものだと受け取ってしまいがちです。
進歩しているわけではないのに、180度発想を変えてしまう知識の枠組みを差し出されるからです。
心理学の認知バイアスでも説明がつきます。(図解 心理学用語大全 参照)
認知バイアスは論理的に思える推論のほとんどは、個人的な思い込みから生まれているという人が陥りやすい思考のエラーです。
・変化によって得るよりも、失うものの方が大きいと考える。(現状維持バイアス)
・多数の人が正しいと考えることを正しいと判断してしまう。(バンドワゴン効果)
・自分の考えと行動に矛盾が生じた場合、人は不快になる。(認知的不協和)
・自分が信じていることに都合の良い情報を集め、都合の悪い情報を無視する。(確証バイアス)
などなど、心理学でみても一つのパラダイム内でパラダイムシフトを起こす発想が生まれるとき、人はその人を理解しない傾向にあります。
しかし、歴史を振り返ると、パラダイムシフトを起こした発想をした人物は天才扱いされています。
当時理解されていなかったとしても、新しいパラダイムという土台をつくり上げます。
そのパラダイムに身を置く人は、その発想に馴染むので、発案者を天才だと考えるのです。
現在使われているパラダイムシフト
パラダイムシフトは哲学用語としてではなく、一般的にも使われます。
ビジネスでは「発想の転換」「常識を覆す」「固定概念を捨てる」などがパラダイムシフトとして使われています。(Weblio辞書)
広い意味で使われているのですが、広い意味を理解するにはまずは今まで述べてきた哲学的な使用例を見ていきます。
狭義のパラダイムは科学者集団が共有している理論的な枠組みのことをいいます。
すると、疑問に思うかもしれません。
なぜ、パラダイムはただのその時代の常識とだけでは表せないのか。
なぜ科学者集団が共有するという前書きが必要なのか、という意味です。
それは、私たちは科学に興味を持たなければ科学的な常識を知らないからです。
科学的なパラダイムにいるというのは、そのことに詳しいということ。
みんながコペルニクスの地動説や相対性理論に詳しいわけではありません。
それを拡大解釈していくと、物事に精通している集団の一時代の常識と言えます。
私たちは何かを学ぶときに、まず教科書や詳しい人に教わります。
その教わるときの時代を支配する思考の枠組みがパラダイムです。
そのパラダイムが変わることをパラダイムシフトと言います。
例えば、
この男の子はスマートフォンに詳しいから、スマホで常識的なことを知っていました。
スマホのパラダイムにいたことになります。
そのパラダイムにいなければ、パラダイムシフトを体感することはありません。
なので、よくパラダイムシフトの波に乗れというような表現もされます。
スマホに劇的な180度変わるような変化があればパラダイムシフトです。
スマホが5Gになると言われています。
男の子はスマホに慣れ親しんでいるので、パラダイムシフトを味わうことができるかもしれません。
解釈を広げて使われるパラダイムシフトの例を哲学であげます。
カントの認識論(コペルニクス的転回)
ウィトゲンシュタインの言語論的転回
人類学の存在論的転回
などなど、転回とつく用語は今までのその常識を180度変えることで使われる用語です。
現代の使われ方は幅が広くなっていますが、その時代のパラダイムにいる人が体験できるのがパラダイムシフトです。
では、パラダイムによって天才と変人が紙一重の具体例をみていきましょう。
パラダイムシフトによる視点の変化
パラダイムシフトの有名な説は、天動説から地動説への移行です。
歴史をおって、天動説から地動説への移行を見ていきます。
元祖、地動説を唱えたアリスタルコス
天動説がパラダイムだった頃、地動説を唱えた人への扱いです。
元祖、地動説を考えたのはアリスタルコスです。
アリスタルコスは古代ギリシャの天文学者。(眠れなくなる宇宙のはなし 参照)
コペルニクスより1800年も前に、太陽中心説を唱えました。
地球が中心に天が回っているのではなく、太陽を中心に地球が動いていると言ったのです。
これにより彼は不敬の罪で、告訴されそうになりました。
なのでこう言います。
「数学的には地動説という考えもありえるが、実際にはそんなはずはない」
アリスタルコスは告訴されなかった代わりに、のちの人々から無視されました。
当時の人々の理解を得るかわりに、歴史では埋もれてしまいました。
地動説のパラダイムにいたので、みんなに理解されませんでした。
しかも、自分ですら当時の知の枠組みに従ってしまったと言えます。
地動説を出版したコペルニクス
コペルニクスはアリスタルコスの文献を再発見します。
そして地動説があると、当時の複雑すぎる理論を簡単に説明できることを知りました。
地球は回っていると唱えたコペルニクスは、その本の出版を死の直前に発表しました。
1540年頃です。
彼は司祭であったので、教会が公認する天動説を否定するのがはばかられました。
地動説は彼の死後、一時期において閲覧禁止になっています。
コペルニクスは自分の考えを言うことが、人々を混乱させることがわかっていました。
そして、死後にしばらくは閲覧禁止になっていたので当時の人々には理解されていません。
死後、数年の時が経ってからコペルニクスも天才だったのだと次のパラダイムで評価されています。
地動説を唱えたガリレオ・ガリレイ
コペルニクスの死後から約70年。
地動説を唱えたのがガリレオ・ガリレイです。
ガリレオは太陽を見すぎて目が失明状態になってしまうほど研究しました。
しかし、宗教裁判で異端者のレッテルを張られたのです。
破門が解かれたのは1992年。
350年間、ガリレオは破門されていました。
あるパラダイムにいる人にとって、次のパラダイムに移るまでには何年もかかるという例になります。
パラダイムシフト以後とそれ以前
あるパラダイムにいる人は、自分が立つパラダイムの発想を作った人を天才だとみなします。
仮にまた次のパラダイムにいて、今ではその発想が受け入れられていなくても、一時代のパラダイムを作ったという事実が彼らを天才にします。
例えば、天動説を唱えたのはアリストテレスやプトレマイオスです。
歴史の教科書にも出てきます。
彼らが間違っていたからと、歴史の教科書から消そうとする人はいないでしょう。
これらの例から見ても、天才と変人は紙一重だと言うことができます。
私たちがあるパラダイムにいて、そのパラダイムに反する受け入れられないことを言う人を、私たちは変人と見なすからです。
その変人は私たちが他のパラダイムに移ることで天才と見なされるのかもしれません。
では、パラダイムシフトと間違えやすいエピステーメーも見ていきます。
パラダイムシフトとエピステーメーの違い
エピステーメーとは、時代ごとに異なる知の枠組みです。
ミシェル・フーコー(1926~1984)によって唱えられました。
>>フーコーのエピステーメーとは
パラダイムシフトとの違いは、一般的な全体を取り扱った思考がエピステーメーだということです。
ある事柄に詳しくなくても、その時代に生きている人が受け入れやすい各時代に特有な知の枠組みです。
エピステーメーの発想も知の枠組みを相対的だとみています。
パラダイムシフトは急激に変化するのですが、エピステーメーではゆっくりとその時代に浸透します。
エピステーメーでは、例えば気がつくと昔の本が読みにくいことなどです。
それは、今と昔で使われている言葉の意味が違ってきたり、文体も違ってきたりするからです。
このエピステーメーからも天才を見ていきましょう。
例えば、今の時代に取り扱われることが多いショーペンハウアーです。
ショーペンハウアーは歴史は進歩しているわけではないと唱えました。
彼は当時、歴史は進歩していると唱えたヘーゲルと同じ大学の教授でした。
当時、ヘーゲルの講義はとても人気があり、講堂が埋まるほどでした。
それに引き換え、ショーペンハウアーの講義は指で数えられる人数だったといいます。
ショーペンハウアーはその事実に、時代が私に追いついていないと言いました。
今現在でみると、歴史は進歩しているわけではないという思想がより取りざたされています。
ただどちらがいい、悪いという意味ではなく、時代によって評価されたりされなかったりしているのです。
天才を広辞苑でひくと、「生まれつきそなわったすぐれた才能」です。
すぐれた才能を何に対してみるのか、人によって違ってきます。
天才という評価自体が相対的なものとなってきます。
パラダイムシフトとはーまとめ
パラダイムシフトとはパラダイムが変換されることを言います。
パラダイムとは、一時代の支配的な物の見方や時代に共通の思考の枠組みのことです。
科学革命についてのトマス・クーンの議論からパラダイムと言う用語が有名になりました。
狭義のパラダイムは、科学者集団が共有している理論的な枠組みのことです。
それが時代と共に広い意味を持ち、ビジネスでは「発想の転換」「常識を覆す」「固定概念を捨てる」などがパラダイムシフトとして使われています。
パラダイムシフトは進歩ではなく相対的に物事をみます。
そこから、心理学的に見てもパラダイムシフトが理解されにくいことを見てきました。
1つのパラダイムの時代から、パラダイムシフトを起こした天才たちの扱われ方を見ました。
死後に評価されることが多くあるようです。
パラダイムシフトとエピステーメーの違いも見てきました。
この違いを意識することで、それぞれの言葉の意味をとらえやすくなります。
エピステーメーも、時代と共に変わる知の枠組みで相対的です。
ここからも天才と変人が紙一重の理由を見ることができます。