読んでない本について堂々と語る方法

読んでいない本について堂々と語る方法|本のレビュー

読んでいない本について堂々と語る方法」のレビューです。

2008年に刊行されたものが、2016年に文庫になって登場しました。

理由は、世界の読書家がこっそり読んでいる大ベストセラーであり、読み継がれているからです。

「読んでいない本」を語ることで、多くの読書ファンを敵にまわすのでは?

逆に受け入れられているのはどうして?

ブログではこの2点についてふれます

  • 読んでない本について堂々と語る方法
  • 本を読むとはどういうことか

この本の魅力を紹介していきます。

読んでいない本について堂々と語る方法

「読んでいない本について堂々と語る方法」は批評について論じています。

批評とは本を読んでからするものだと私たちは思い込みます。

しかし、本を読まなくても批評はできる、と筆者はいうのです。

しかも、読まない方が創造的な批評ができるのだ、と。

文学教授で精神分析医の筆者ピエール・バイヤール(1954~)は語ります。

筆者は図書館にある本をみて、このすべてを読むのは不可能だと思いました。

Googleが世界の本の総数を調べると、2010年の時点で1億3000冊ほど。

日本での2017年だけの総出版数は75,412冊。

一年で365冊読んでも、発行される部数の方が多いことがわかります。

1冊読むのに1日以上かかったりするのに…

筆者の気持ちとしては、本のすべてに敬意を示したい。

読むことは無理だとしても、その本を語ることはできないだろうか

ピエール・バイヤールは大学教授としても、読んでいない本についての批評を求められることが多いそうです。

「本を読んでないの?」という批評をうけないためにも、筆者はその方法を編み出しました。

未読の段階を4つに分ける

本のレビュー方法を紹介します。

まずは、未読の諸段階について4つに分類。

  1. まったく読んだことのない本
  2. 流し読みをしたことがある本
  3. 人から聞いたことがある本
  4. 読んだことはあるが忘れてしまった本

このように示されると、私が読んだ本、という認識が怪しくなります。

私たちは本を読んだとしても、すぐに忘れる。

しかも、きちんと読んだことと、流し読みをしたことの比較がわからなくなります。

実際、筆者はすべての本に関して①②③④に分類しました。

これは何を意味するのかと言うと、筆者の読書は未読だと公言していることになります。

筆者にとっての読書は、未読の状態。

それでも、筆者は本について詳しく語っていくのです。

①全体の見晴らしをつかむ。(完全未読の場合)

本のタイトルと目次で、その本がどんな傾向を帯びているのかをつかみます。

そして分類して位置付けるのです。

本は読まなくても分類する知識は必要とします。

例えば、教科書を思い浮かべてください。

科学関係、数学関係、哲学関係、心理学関係、などと分類していきます。

さらにその一つをピックアップして、哲学関係と分類したものの中からどの系統の哲学なのかを分けます。

科学哲学や、心の哲学、倫理など分けています。

そのようにして、全体の見晴らしをつかむことで、語ることができるのです

テクストの細部にひきずられて自分を見失うことなく、その書物の位置づけを大づかみに捉える力こそ、『教養』の正体なのだ

②10分で本の要点をつかむ。(流し読み)

10分で本から情報(材料)を手にいれると筆者は述べます。

10分程度で、パラパラと流し読み。

その情報から、自分で創作して批評します。

「自分の仕事を完璧ならしめるのに最良の材料が要るわけでもない。何でだって間に合わせるんだ。」

目の前にある、あり合わせで作り上げるというのはブリコラージュを思い起こさせます。

ブリコラージュ⇨時間と資源が限られた中、その場の工夫で切り抜けること。器用仕事。

さて、このブリコラージュという言葉を頼りに批評をしてみましょう。

ブリコラージュは構造主義を唱えた哲学者から出てきた言葉です。

構造主義者は文化の違いなどからは優劣をつけません。

優劣をつけないという思想は、文化すべてに敬意を払う見方でもあります

相対的な見方です。

例えば、ある人物について批評を悪く書く場合もあれば、それを好意的に書く場合もある、というエピソードを語ります。

観念は二元的だと登場人物に語らせるのです。。

そこから、良い書評と悪い書評を書くことで有名になった作家を登場させます。

  • 作家「悪い批評を書いたらそれが有名になった」
    編集者「もう悪い批評を書かないでくれ。本を出してあげるから!」
  • 作家「批評のおかげで本も出せたし本も売れた!」
    編集者「君は偉大な作家だよ。 なにせ、批評が良かった。」

作家は人々の評価により、急に良い本だと評価されました。

本の内容は変わらないのに評価だけが変わるのです

悪い思想であっても時代と共に良い思想になる。

つまり、本に対して立ち動く人々による社会的ポジションによって、作品の評価は変わり、その作家は有名になったと言うのです。

長所が短所に変わるのと同様に捉えます。

書物は固定したテクストではなく、変わりやすい対象だということを認めることは、たしかに人を不安にさせる。なぜなら、そう認めることでわれわれは、書物を鏡として、われわれ自身の不安定さ、つまりはわれわれの狂気と向き合うことになるからだ。」

書物の移り変わりと自分自身の移り変わりを筆者は論じています。

しかし、ここで疑問になります。

筆者ピエール・バイヤール自身は、どのように批評する本を決めるのか、と。

良い悪いがないなら、どんな基準で筆者は批評するんだろう…

相対的ならば、どんな本を批評してもよいのに、その本を批評することに決めたのはなぜ、と。

本から抜粋します。

批評家にとって文学や芸術の役目は、批評の対象となることではなく、批評家に書くことを促すことである。

つまり、評価は自分自身によっているのです。

自分が批評を書きたくなった本に対して、高評価をしていると考えられます

それは、無意識からくるものでもあり、なぜこの本が印象に残っているのかという疑問は、批評家に筆をとらせます。

③人から聞いたことがある本

人が本について語るのを聞いて推測します

本について語る人は、どれだけその内容に正確なことを言っているのかはわかりません。

しかし、それは自分にも当てはまるといいます。

人から聞いて推測するとはどういうことでしょうか。

筆者はあるストーリーを通じてやり方を紹介していました。

省略しつつ、紹介します。

ある一冊の本で殺人が発生した。

その本を読んでほしくない為に、修道士が何人も殺されたのだ。

主人公はなぜ殺人が起きたのかを推測していく。

この時代に公にしたくない思想とは何だ?

主人公は犯人を突き止める。

すると、犯人はその本を読め、という。

それは、アリストテレスの笑いについての分厚い本だった。

「分厚くてめくりずらいから、指でページをなめようかな。」
主人公はとっさに気がつく。

本には毒が塗ってあって、それを舐めると死にいたることを。

なので、本を読まずに犯人と対峙することにした。

犯人が気にしていること。

殺された人の思想。

アリストテレスについて語られている知識。

それらを総動員して犯人と対峙すると、犯人が殺人を犯した理由と一致した。

本を読まずに、犯人が隠したかった思想を発見したのだ。

以上が省略したストーリーです。

主人公は本全体については誤解があるかもしれないと言います。

犯人の思想とは重なっていない部分があるかもしれない、と。

その可能性を視野にいれても、主人公は犯人を納得させることができました。

自分にとっての解釈と、犯人との解釈が重なったことで、本の批評ができたというストーリーです

本の批評とは、誰かに伝えるためにあります。

その伝える相手と向き合ったときに、自分の批評が意味を持ちます

筆者はこんな体験をしているからです。

「自分の本について言われていることが、自分が書いたはずだと思っていることと呼応していないということに気づくという経験である。」

作家は自分が言いたかったことと他人が理解したことの違いに気がつきます。

自分の意味していることと、相手の意味の意味していることの違いです。

本を読まなくても対人関係の推測から批評ができる。

もっといえば、推測しなければ相手がどのように思っているのかわからないということです。

④読んだことはあるが忘れてしまった本

人は本の詳細を忘れます。

筆者は哲学者モンテーニュを例に出します。

モンテーニュは自分で書いたものすら忘れるといわれるほど忘れることで有名です。

モンテーニュは、読んだことを自分のものにしたからこそ本を急いで忘れようとするのである。

忘れるからこそ独自性がでる。

忘れたことに対して、独自性を主張できる

忘れちゃっても良い面がある!

自分も忘れるが相手も忘れるものだということを意識すると、自由に批評ができます

実際に筆者は本の中で他の本を紹介していました。

その説明に関して、すべてが本の内容について正しいわけではないことを述べています。

それでも、ベストセラーであっても読者は詳しく調べないと、その正しくない内容を見つけることができないのです。

本の未読の状態4つと、それによる批評の仕方を見ていきました。

次に、筆者は読書をどのように捉えているのか見ていきましょう。

本を読むとはどういうことか。

ピエール・バイヤールは哲学者モンテーニュについて語ります。

モンテーニュについて解説することで筆者の読書に対する考え方をみていきましょう。

モンテーニュについて

ミシェル・ド・モンテーニュ(1533~1592)はフランスの哲学者で、『エセー』を執筆しました。

今では随筆をエッセーといいますが、その生みの親です。

エッセーとは、自由な形式で書かれた、思索性をもつ散文だとにありました。

モンテーニュは記憶力がなかったとこの本で紹介しています。

「モンテーニュは、記憶がなくなり、そのために不愉快な思いをするとひっきりなしに嘆いている。」

「この問題は、ときとして、モンテーニュに自己の同一性を疑わしめるくらい深刻になる。」

そして、モンテーニュ自身もエッセーで述べます。

「人はよく私の書いたものを私に向かって引用するが、私自身はそれが自分のものであると気づかない」

このように忘れていくモンテーニュだったからこそ、エッセーの生みの親になれたのだと解釈ができます。

モンテーニュの有名な言葉。

我、何をか知る」(クセジュ

モンテーニュが忘れてしまうという特性を知った後では、この言葉は一層私たちを考えさせます。

すぐに忘れてしまうことは、何を知っていると考えたらいいのでしょうか。

この一文は、モンテーニュの素性を知るとさらに深い一文になります。

モンテーニュは読書家であり、それでも読んだことを忘れないように読書感想文を本の末尾に書くようにしていたそうです。

この記憶力が不得手であることは、解消できる問題なのかも疑問になります。

心理学で分かっている記憶のメカニズム少し見てみましょう。

記憶のメカニズムを知る。

記憶のメカニズムを羅列してみます。
(心理学用語大全)(なぜ人は学ぶのか)参照

  • 流動性知性結晶性知性
    イギリスの心理学者レイモンド・キャッテル(1905~1998)が唱えた。
  • 流動性知性とは、文化や教育の影響をあまり受けず、加齢とともに衰えていく知性のことです。 これには暗記力が含まれる
  • 結晶性知性はさまざまな経験が結晶した知能であり、加齢とともに上昇し続ける。 これには知識力が含まれます。
  • 加齢とともに暗記力は衰える
  • 加齢とともに知識力は上昇する
  • 暗記力には生まれつき、人の特性がある。
  • IQは遺伝と環境が半分ずつ作用する

生まれつき足が速くなる特性を持つ子がいるように、記憶力も特性によって決まってくるというのです。

もちろん、足の速さと同じように鍛えることはできますが、それと同じく限界があります。

いくら訓練しても、世界記録にまでは届かないと予想するようなもの。

これを単純に言えば、暗記力においては能力の差が生まれつきあることを示します

おそらく、モンテーニュは遺伝的に記憶力の制約を受けていたのだと推測できます。

しかし、彼はそれを利点に押し上げて、今でも主流のエッセーを生み出しました

テストで測る能力では劣っていると見られるものが、独自性や創造性を生み出したのです。

そして暗記力は、年齢とともに衰えていきます。

初めは特性として暗記力が優れていたとしても、衰えていくのです。

「読んだ本について堂々と語る方法」に戻りましょう。

本の抜粋。

私は、本を読む一方で、読んだことを忘れ始める。これは避けられないプロセスである。

ピエール・バイヤールはさらに、「読書は何かを得ることであるよりむしろ失うことである。」と言います。

失うことによって、モンテーニュのような創作活動になることを思えば、悲観することはありません。

そして、読書によって記憶を詰め込みすぎることは、アイデンティティーの喪失になることは念頭においておくべきだと続けます。

さらに、未読によっておこなう批評は芸術の域にいくと本では述べられていました。

ピエール・バイヤールの読書について

筆者はこの本で、いろいろなストーリーを取り上げています。

解説するのに、独自のストーリーを実感できる形で取り上げていくのです。

人に語る上でストーリーが大事だという本は多くあります。

筆者は自由な形式で書かれたストーリーを取り入れ、思索することによって、読者に考え方を知ってもらおうとしていました。

この本は批評を論じているのに物語としても楽しめます。

そのような印象に残る読書をピエール・バイヤールは読者に提供しています。

その提供しているものに即して、批評は彼独自のものになっています。

「読んでいない本について語る」ゴールは「彼自身について語ること」だと訳者あとがきで取り上げられていました。

読書を未読の状態にして、読者自身がみずから創作者になること。

そのことが批評だと彼は述べるのです。

「読んでいない本について堂々と語る方法」まとめ

「読んでいない本について堂々と語る方法」は批評について論じています。

本は読まなくても批評ができる

しかも、読まない方が創造的な批評ができるのだ、と。

彼は未読の状態を4つに分けます。

  1. 全体の見晴らしをつかむ。(完全未読の場合)
  2. 10分で本の要点をつかむ。(流し読み)
  3. 人との会話から推測する。(聞いた本)
  4. どんな人も本についての詳細を忘れる。(忘れた本)

筆者が読書をどのように捉えていたのかも探りました。

忘れやすいことがエッセーの元になったモンテーニュを例に出します。

読書を未読の状態にして、読者自身がみずから創作者になること。

ピエール・バイヤールはこの本に仕掛けをたくさんつくり、そのことを読者に実感してもらうように批評を書いています。

忘れることも肯定的に捉えられるね
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