アルチュセールは認識論的切断という思想から、人がどのように考えていくのかを考えました。
認識論的切断と漢字が並んでいるので、難しい印象を受けますが半分は文字通りです。
認識を切断するような問いの変化が、個人の頭の中に起こることを言います。
私たちは考える生き物です。
その考えるを具体的に考えてみましょう。
では、アルチュセールの認識論的切断を見ていきます。
アルチュセールの認識論的切断とは
アルチュセールの認識論的切断とは、思考の進化は断続的なことを表します。(続哲学用語図鑑 参照)
ある問題をずっと考え続けていくと、あるとき高度な発想が突然やってきます。
それは始めの問題とは断続的になっていて、急に初めの問題が新しい問題として浮上してくると言うのです。
従来の思考の考え方は、進歩するようにだんだんと問題が解決していくと考えられていました。
けれど、彼は思考には急な切断があり、それによって進化すると考えたのです。
以前パラダイムシフトを取り扱いました。
パラダイムシフトとは思考の枠組みが変換されることです。
>>パラダイムシフトとはー天才と変人は紙一重
アルチュセールはパラダイムシフトと認識論的切断を結び付けて考えました。
個人の頭の中にパラダイムシフトが起きることを認識論的切断だと言います。
アルチュセールの言葉を抜粋します。
「歴史上の科学革命と哲学革命との間に明白な関連がある。圧縮していえば、哲学革命は必ず科学革命の結果である。その逆はない。」(Aozora Gakuen 参照)
パラダイムシフトは、狭義の意味では科学革命について語られています。
つまり、科学革命があると哲学革命がある、ということです。
アルチュセールは科学革命が起こることと、哲学革命が起こることに関係性を見つけているのです。
世界の考え方の枠組みが変われば、それに伴ってその枠組みの中にある思考も変わるというのは考えうることです。
「ギリシア数学の後にはプラトンの哲学が出現し、ガリレイの科学の後にデカルトの哲学が、ニュートンの科学の後にはカントの哲学が、数学論理学の後にはフッサールの哲学が、結果として出現する。」
パラダイムシフトが現実に起こり、その後に個人の頭の中で認識論的切断が起こっているとアルチュセールは言います。
アルチュセールが発見した経緯を具体的に見ていきます。
アルチュセールが認識論的切断を発見した経緯
ルイ・アルチュセール(1918~1990)はフランスの哲学者で、マルクス主義者です。
マルクスの思想を読んでいた時に、あるときマルクスの視点が急に進化したことを彼は発見しました。
「労働者はかわいそうで、資本家が悪い奴だ!」
⇩
後期のマルクス
「資本主義というシステムが貧富の差を生んでいる!」
このような思考の断絶を発見したのです。
世の中を考えている点は一緒なのですが、視点が変わっています。
前期のマルクスはヒューマニズムの視点。
後期のマルクスは科学者の視点になっていることを発見しました。
初めの問題意識が進化して、高次元な問題意識に移ったとアルチュセールは考えたのです。
歴史的なフランス革命や産業革命について考えていたマルクスは、その革命が起きた事実やその革命を起こした啓蒙思想に影響を受けて考えが変わったと考えられます。
認識論的切断がパラダイムシフトと違う点は、個人の頭の中で起こり、より高次元な考えに進化するという点です。
パラダイムシフトは相対的なので、問題が進化したとは捉えません。
どうして見方が違うのでしょうか。
認識論的切断とパラダイムシフトとの違い
パラダイムシフトとはいわば、天動説が地動説にかわる変化。
ある日突然地デジになった!というような変化のことです。
まずはパラダイムシフトが進化ではない理由を見ていきます。
パラダイムシフトは進化ではない理由
アルチュセールの思想は構造主義と言われています。
構造主義とは、人間の言動はその人間が属する社会や文化の構造によって規定されていると考える思想です。
その思想自体において相対的な視点を持ちます。
なので、まずはアルチュセール的にもパラダイムシフトは進化ではないと考えています。
パラダイムシフトを唱えたトマス・クーン(1922-1996)とアルチュセール(1918-1990)は同世代です。
文化的にいえば、未開社会であっても発展した社会との優劣はないと考えます。
未開社会には未開社会なりの人類共通の構造を見るからです。
未開の社会の限られた中で「科学を知らない人たちの科学」がそこにあり、その発想に優劣はないと考えます。
優劣がないことを歴史に当てはめます。
すると、クーンがパラダイムシフトは進化ではないといった理由が見えてきます。
①パラダイムシフトが進化だと捉えると、未開社会が劣っていることになる。
構造主義はそれを否定します。
パラダイムシフトが起こっても、宇宙の構造は変わりません。
宇宙という実際にある世界が変わるわけではなく、人の認知の仕方が変わるだけなのです。
②パラダイム前の理論のほうが日常生活では適応していることがある。
前のパラダイムもその一部だけが間違っているだけで、全体として前のパラダイムが通用することがあります。
例えば、質量保存の法則は実生活では法則が崩れません。
前のパラダイムから何らかの利益を受けることもあるのです。
③新しいパラダイムにも間違いの可能性がある。
パラダイムシフトは科学者たちがたてた理論ではつじつまが合わなくなったから、前の理論を変更すると考えます。
何を間違えと捉えるのかは多くの議論を必要としますが、パラダイムシフトは何度も起こるとクーンは言います。
①②③の理由からパラダイムシフトは進化ではないと考えます。
では、認識論的切断は進化だとアルチュセールが考える理由を見ていきます。
認識論的切断が高次元な考えに進化する理由
先ほどの①②③を対比させて見ていきます。
①認識論的切断は文化や歴史の比較ではありません。
個人の頭の中で起こるので、頭の中に未開社会の考え方があっても、発展社会の考え方があっても問題はありません。
2つの考え方が混ざっている可能性もあります。
②頭の中の認識論的切断は、自分が納得しなければ起こりません。
前の理論で適応していない点を乗り越えるための新たな視点に移ります。
③パラダイムシフトが間違っていても、自分なりの成長を実感するからこそ、認識論的切断が起こるのです。
中学生が受験する漫画「二月の勝者」で、塾講師の主人公は受験生が急激に伸びることがあると言っていました。
受験生は基礎を学び終えると急激に指数関数的に偏差値がぐっと伸びることがあるのだとか。
これは漫画の話ではなく実際に起こるそうです。
人間の成長は一定ではなく、ずっと停滞していると思ったら急激に成長する。
この成長は認識論的切断とも言えます。
では、アルチュセールの認識論的切断が起こるためには何が必要なのかを、彼の思想から見ていきましょう。
重層的決定による認識論的切断までの道のり
アルチュセールは歴史や社会の変化は、一つの原因ではなくいろいろな要因が複雑に絡み合って起こると言いました。
これを重層的決定と言います。
重層的決定を見ていくにあたって、まずは重層ではない単一の因果関係を見ていきましょう。
科学の考え方では原因があって結果があります。
例えば、水が溶けるのは熱が原因。
血液からDNAがわかってその人物を特定する。
物が落下したのは、重力があるから。
などなど、単一の原因から結果が起こることを単一の因果関係と言います。
アルチュセールはマルクスを読み解いたときに疑問が浮かびます。
フランス革命が経済構造の矛盾から起きたものだと、単一の因果関係で見ていいのだろうか?と。
フランス革命の原因は、コレラの流行や王室の財政難、貧困、啓蒙思想家の活躍など、様々な原因があるとアルチュセールは考えました。
なので、複雑な原因があって、ある物事が決定されることを重層的決定と彼は名づけたのです。
重層的決定は、考え続けていく過程で生まれます。
頭の中に問題があり、なんでもその問題に結び付けて考えることで、あるとき急に認識論的切断が起こるのです。
マルクスはフランス革命を単一の因果関係として見ていますが、そのフランス革命を一つの考えとして資本主義での出来事を重層的に見ていたから考え方が変わっていったのかもしれません。
アルチュセールは哲学について考えたと言われています。
つまり、考えることを考えました。
認識論的切断は考えることについて考えたからこそ出てきた発想とも捉えることができます。
重層的決定も、その物事についてなんでも結び付けて考えてきたから生み出された発想だと捉えられるのです。
哲学とは問いの枠組みを生産し構成する理論そのものであると彼は言います。
実際のパラダイムシフトによって新しい認識の仕方や、考える材料を手にすることができるので新たな問いに発展します。
認識論的切断は、ずっと持っていた問題に対して新しい問いを投げかけます。
では、同じく思索について考えたショーペンハウアーの「読書について」から、思索をみていきましょう。
思索を思索していた同士の比較を通して、理解を深めていく試みです。
ショーペンハウアーの思索と認識論的切断の比較
ショーペンハウアーは思索について考えました。
本文を引用します。
「すなわち思想と人間とは同じようなもので、かってに呼びにやったところで来るとは限らず、その到来を辛抱強く待つほかない。」
「思索がこのように意思とは関係がないということは、我々の個人的問題を考える場合に照らしてさえも明らかに説明される。」
「読書とは思索の代用品で、精神に材料を補給してはくれるが、そのばあい、他人が我々の代理人として、とは言ってもつねに我々と違った方式で考えることになる。」
このショーペンハウアーの思索に関する考え方を認識論的切断に置き換えます。
すると、思索が意思とは関係がなく、突然とわいてくると言います。
何かを思いつくとき、ひらめいた、と言います。
ひらめきは一瞬するどく光ることを指すので、継続的ではなく断続的です。
そして、読書は精神に材料を提供するものだといいます。
材料を得るためには多読をすすめています。
すすめるのですが、彼は自分で考える時間をもたないと、人間はしだいに自分でものを考える力を失っていくと述べていました。
読書は他人の頭で考えたことであり、読書は知識の材料だと捉えるべきだとショーペンハウアーはます。
多量の材料からは、重層的決定の観点がみられます。
ショーペンハウアーは徹底的に古典をすすめるのですが、この点からは、歴史が進歩していないという点が見えます。
構造主義につながる考え方です。
さらに、アルチュセールのイデオロギーの観点からも、彼の思想を見ていきます。
認識論的切断とイデオロギー
人間の意思は、社会構造によって形成されているとアルチュセールは考えました。
この考え方も構造主義になります。
人間に主体性はなく、人間は無意識に社会の構造によって形成されてしまうといいます。
これだけ個人を考えて、認識論的切断まで発見した彼は、なぜ人間の意思は社会構造によって形成されると言うのでしょうか。
彼はマルクスのイデオロギーという考え方に影響を受けています。
イデオロギーとは
マルクスのイデオロギーは歴史的・社会的に制約された偏った観念形成の意です。
この意味では疑似意識と訳されます。
自分の考えは自分で生み出したわけではなく、社会的な条件によって決定されているという考え方です。
具体的に見ていきましょう。
このおもちゃは一番大切じゃないの?
求められている答えを答えるのも大事。
>>間柄的存在(あいだがらてきそんざい)とは
自分が生きている時代の思想傾向を意識しないまま、自分だけの考えだと主張することを、マルクスは疑似意識と呼んで批難しました。
アルチュセールは新たな問題に移ることが認識論的切断だと言います。
問題が解決するわけではなく、新たな問題に移るのです。
問いが移っただけであり、まだ問題解決はしていません。
自分の考えも考えるからこそ、問題を考え続けて疑似意識と戦ったのかもしれません。
自分がイデオロギーに支配されないために、問題を持ち続けます。
イデオロギーとショーペンハウアーからみる社会構造
同じ問いをショーペンハウアーに見てみます。
彼は、人間は存在したいという生への意思で成り立っていると見ています。
個人では思索について考えているのですが、その中で自分の意思が存在したいという盲目的な意思に支配されていると気がついたのです。
気がついたらイデオロギー(疑似意識)の中にいたと考えることと似ています。
その中でショーペンハウアーもずっと考えを続けます。
支配されているものがあると意識するからこそ、そこに問題意識を持ち続けて哲学したと私は考えます。
そんな彼だからこそ自分の考えを大事にしています。
ショーペンハウアーの文を引用します。
「だれでも次のような悔いに悩まされたことがあるかもしれない。それはすなわちせっかく自ら思索を続け、その結果を次第にまとめてようやく探り出した一つの真理、一つの洞察も、他人の著した本をのぞきさえすれば、みごとに完成した形でその中におさめられていたかもしれないという悔いである。」
けれど、ショーペンハウアーは悔いだけでは終わらせません。
結果的には自分の考えと他者の本との一致があるおかげでより真実に近づけていることを喜んでいます。
ショーペンハウアーは続けて、思想家はただ客観的に把握したこと以外は言葉として表わさないので、彼らの誰もが同じことを口にする場合があると言います。
客観的に表される自分の思想と、自分だけにある考えを分けて考えていると捉えられます。
本質主義と相対主義
本質主義と相対主義という哲学の問題は、哲学誕生のときからいまだ問題として残ります。
現代は構造主義が主流なのですが、人間に変化しない本質があるという「本質主義」との決着はつくのかわかりません。
ソクラテスの問答法からもその問題が見られます。
>>ソクラテス「無知の知」のストーリーをたどる
普遍性を追い求めて定義していくと、結果として人間の主体性を否定しているように見えるのかもしれません。
答えが相対的で多様になるにもかかわらず、人間の本質が否定されているように感じるというのも不思議な点です。
アルチュセールもイデオロギーに支配されているという事実を認めながらも、問題を常に抱えていました。
認識論的切断が起こっても、新たな問いの中にいるというのはいつも問題の中にいるということ。
彼は若いころから躁うつ病に悩まされました。
1980年に妻と無理心中を図ります。
その後、彼は精神病院に収容され、退院してから執筆活動を続けました。
アルチュセールの認識論的切断-まとめ
アルチュセールの認識論的切断とは、思考の進化は断続的なことを表します。
アルチュセールはパラダイムシフトと認識論的切断を結び付けて考えました。
パラダイムシフトが個人の頭の中に起こることが認識論的切断だと言います。
ただ、パラダイムシフトと違って、認識論的切断は高次元な考え方に進化すると考えました。
その高次元な考え方に移るには、重層的決定な要因をみていきます。
ショーペンハウアーの思索の考え方とも比較しました。
アルチュセールはマルクスのイデオロギーの考え方にも影響を受けています。
イデオロギーに支配されていることを認識しつつも、新たな問いの中にいました。