ソクラテス「無知の知」の意味は、自分の無知を知ることです。
ただし、この訳を「不知の自覚」にしたほうがよいのでは、という話もあります。
この「無知の知」の物語をたどると、現代の問題と重なるところがでてきます。
「無知の知」がでてきた物語を具体的に知ることから、「不知の自覚」と比べてみましょう。
(哲学と宗教全史 出口治明 2019 参照)
ソクラテス「無知の知」の意味
ソクラテスの言っていた言葉を「無知の知」と訳するならば、意味は自分の無知を知る事です。
ここでは、「無知の知」と扱っていますが、出口治明さんは「不知の自覚」と呼ぶべきだと主張していました。
「不知の自覚」の意味は、正確には何も知らないことを自覚することです。
どのように違うのか?
違いをみるために、「無知の知」の成り立ちを見ていきます。
「無知の知」の成り立ち
(哲学用語事典 田中正人 2015 参照)
ある日、アポロン神殿の巫女が「この世でソクラテスが一番賢い」と言いました。
それを聞いたソクラテスは、自分は何もしらないのになぜ巫女に賢いと言われたのか不思議に思います。
ソクラテスは賢者に善や正義の意味を聞きましたが、みんな知っていると思っているだけで答えられません。
ソクラテスは思います。
「そうか!自分のように『知らないことを知っている人』の方が賢いから巫女はそんなお告げをしたんだ!」
アポロン神殿の柱には「汝自身を知れ」という言葉が刻まれていました。
ソクラテスはこの言葉も参考に、自分が何も知らないことを自覚します。
この話を通じて、「無知の知」と名づけられました。
自分で自覚したわけではなく、巫女に言われて「無知の知」に気がついたのです。
「無知の知」というような自分の無知を知っているとしてしまうと、ここにその知識が発生するという矛盾が生じてしまいます。
物語でも巫女に促されて自覚するにいたり、知識になったとは言っていません。
なので、「正確には何も知らないことを自覚する」という表現があっていると思われます。
では、さらに「無知の知」が有名になった理由などを見ることで、「無知の知」の理解を深めていきましょう。
ソクラテス「無知の知」が批判した思想
ソクラテスの「無知の知」は当時の賢者たちを批判しました。
その批判を通して知られるようになった「無知の知」を見ていきます。
当時の賢者は「ソフィスト」と言われていました。
ソフィストとは
ソフィストとは、もとは「賢い人」ですが、後に職業牧師をさすようになりました。
>>哲学者とソフィストの違いとは、にはついてはこちら。
なぜ職業牧師なのか。
その物語から見ていきます。
当時のアテナイは市民が政治に参加できたので、市民は法律や掟に関心を抱いていました。
そこで、青年たちは高いお金を払って、政治家になるために必要な答弁術を哲学者に学ぼうとしたのです。
弁論術を教える哲学者をソフィストと言います。
お金と弁論がからんでいたので、職業牧師といわれたのです。
そして、ソフィストを代表する一人にプロタゴラスがいました。
彼の説いた相対主義を見ていきます。
プロタゴラスの相対主義
プロタゴラスはアテネで活躍したソフィストで、相対主義を唱えました。
プロタゴラスは言います。
「世の中には絶対的な『真理』なんてない! 人間は万物の尺度である。」
プロタゴラスによれば、個々の人間の判断があらゆるもの(万物)を決める基準であり、それぞれの判断を「真理」だと捉えます。
よって、普遍的な「真理」は存在しないと考えました。
例えば、ある人にとっては暑いけど、ある人にとっては寒い。
ある人にとってこの犬は可愛いけど、ある人にとっては怖い。
どちらの主張も本当のことになります。
一方は犬にトラウマがあったかもしれないけれど、一方は良い思いでしかないかもしれないのです。
このように個人によって違うと考えるならば、みんなに共通する「真理」は存在しません。
「普遍的な判断基準」はないとする考え方です。
ソクラテスはこの相対主義を批判しています。
では、どのように批判したのでしょうか。
相対主義が批判された理由
「絶対的『真理』は存在しない。あるのは、相対的な『真理』だけ」
この態度であれば、他人を批判することなく、受け入れることが可能にみえます。
では、どこが悪かったのでしょうか?
歴史をたどってみます。
ソクラテスが38歳の頃、アテナイとスパスタでペロポネソス戦争が勃発していました。
どちらがギリシャの覇権をとるのかで争っていたのです。
そして、相対主義ではこのような問いがうまれます。
「どうして戦争は悪いの? どうして人を殺してはいけないの?」
戦争の状況下では、このような問いが浮かんできます。
そして、問いがうまれることは、その問いを解決させる手段にもなります。
では、絶対的な「真理」がないとすればどうなるでしょうか。
「戦争は悪くも良くもないよ。」
「そっか、じゃあ人を殺してもいいのかぁ。」
答えが個々人だけに求められる場合、その個人にとって答えが違くなってしまいます。
戦争をすれば経済的利益が出るだとか、人間の歴史は戦争を通して発展してきたとも言われますが、それを良いものだと判断するにはリスクを負います。
現代社会は戦争を取りやめるように動いています。
しかし、相対主義により戦争はどちらでもいい、というような答えになれば、現代のような戦争禁止という活動がうまれていないのです。
私たちはこれは絶対的悪なのではないか?と考えるようなものごとがあります。
正当化はできないようなものごとです。
当時、ソフィスト達はそれぞれの立場から、自分たちを正当化しました。
相対主義での弁論によって、自分たちの私利私欲のためであってもそれを気がつかれないようにします。
そして、言いくるめた者が勝ちという風潮を作り上げました。
ソフィストの相対主義の使用例
では、実際にソフィストはどのように相対主義を使ったのでしょうか。
ソフィストは思想を政治の答弁に使います。
絶対的な「真理」が存在しないので、相対的に考えていけばどんなことでも法律や規則になってしまいます。
「ただ生きるということではなく、よく生きること」
ソクラテス「無知の知」における問答法のやり方
ソクラテスが「無知の知」を使ってどのように対話をしたのかを見ていきます。
ソクラテスの問答法
ソクラテスは、ソフィストのように相手を一方的に説得しようとはしませんでした。
ただ、ときにソクラテスは殴りかかられたり、蹴られたりしたそうです。
そんなとき彼はこう呟いたそうです。
もしロバが僕を蹴ったのだとしたら、僕はロバを相手に訴訟を起こすだろうか。
問答法を用いて失敗しても、そのように自分を納得させます。
問答法と「無知の知」の使用法を見てきました。
「無知の知」を実際に使う時は相手に「不知の自覚」を促しています。
ただ、ソフィストとソクラテスはお互いに議論をしているとも言えます。
こう思ったときに問いがでてきます。
ソクラテスは答弁として比較を使ってるように見えるけれど、それはソフィストとどのように違うのだろうか、と。
ソクラテスとソフィストの違い
問答術では、ソクラテスもソフィストなのではないか、という問いがでてきます。
ソフィストは元々は「賢い人」という意味でしたが、弁論術を有料で教えたことから、詭弁屋と呼ばれるようになりました。
詭弁を言うようになった理由は、お金を払ってくれた相手に論争で勝つテクニックを教えなければいけなかったからです。
私は報酬をもらわない。なので、詭弁を立てない。
むしろ、貧富の差別なく何人の質問にも応じる。
望む者には、私の考えを話そう。
じゃないと、生きられないよ。
ソクラテス「無知の知」まとめ
ソクラテスの「無知の知」は、 正確には何も知らないことを自覚することです。
ソフィストが使う相対主義は、答えが個々人によるので、危険をはらむ面があります。
その危険にたいして問答法でソフィストに「無知の知」を自覚させました。
いまだに相対主義と絶対主義の議論はつきません。