孟子と荀子

孟子と荀子「性善説と性悪説」|高校倫理2章5節中国思想②

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第2章
「人間としての自覚」
第5節「中国思想」
孟子と荀子「性善説と性悪説」
を扱っていきます。
前回は孔子の教えについてやりました。
>>①孔子の教え
よく人の本性は善なのか、悪なのか、というのは議論されています。
歴史的には性悪説が有利にたつことで、法が治める社会ができあがりました。
>>ホッブズの社会契約説
西洋でもそうですが、中国においても性悪説(荀子)に基づいて法治主義がでてきます。
今は多くの国々が法治国家であり、そうでない国は非難されているのが通常。
しかし、政治から一歩外れてみると、性善説というのは否定できないものを持っています。
性善説を説いた孟子の思想、それに対して反論した荀子の思想を見ていきましょう。

孟子(前4世紀ごろ)は、戦国時代の儒家

孟子は儒教を広めようと諸国を遊説しましたが、孔子と同じくあまり成果がありませんでした。

しかし、儒教は前漢時代(紀元前206年-8年)に国家の教学となり、20世紀にいたる中国漢民族文化を代表する思想となりました。

宋代(960-1279)以降に四書(「論語」「孟子」「大学」「中庸」)が重視されて、孟子は有名になったんだね

孟子の性善説

孟子は孔子のの教えを受け継いで、人間の本性(うまれながらの素質)は善であるとする性善説を唱えました。

なぜかといえば、性善説でなければ仁が説明できないからです。
孟子「幼児が井戸に落ちかけているのをみれば、だれでもその子を助けようとするだろう」
あっ!危ない!!
これを孟子は仁の元だって解釈したんだね
このように誰でもうまれつき惻隠の心(そくいんのこころ、憐れみいたむ心)を持っているとしたのです。
でもこれってその場にいないとわからないよね?
僕が何も感じなかったらどうしよう…
その場合は「人でなし」っていう、人間的じゃないっていう解釈かな。
本来のあり方ではない何かがあったって考えるんだね
孟子の惻隠の心というのは端緒(芽ばえ)のこと。
その場に居合わせたときに何かを感じ、そこから努力によって仁が実現されると考えます。
東洋と西洋は人間のとらえ方も違う傾向があった
>>自己愛とは

孟子の四端説

孟子は惻隠の心の他にも端緒(芽ばえ)を唱えました。

人には4つの端緒(四端の心)があります。

四端をつねに意識することで四端を伸ばすと、誰でも四徳を習得できると説いたのです。

  1. 惻隠(そくいん)の心
    「人の不幸を見過ごせない心」
  2. 羞悪(しゅうお)の心
    「悪を恥じる心」
  3. 辞譲(じじょう)の心
    「お互いに譲り合う心」
  4. 是非(ぜひ)の心
    「善悪を見分ける心」

人が生まれながらに持っている善の心(四端)をのばすと四徳(仁・義・礼・智)になります。

四徳の完成を自覚すると、悪に屈しない毅然とした勇気である浩然の気が根底から湧きおこるそうです。

浩然の気を身につけた人物を孟子は大丈夫と呼んで理想としました。

僕は大丈夫!
いま使っている大丈夫は仏教用語の由来の方かも

孟子の王道政治

孟子は四徳の中でも特に大事だと考えたのが仁と義(仁義)。

孟子は王のとは仁義のことだと述べ、孔子の徳治主義をひきつぎます。

王の仁義に基づく民衆本位の王道政治を理想としてかかげました。

民衆本位というのは、徳治主義ではでてこなかったから孟子特有
王道政治と対になるのは覇道政治。
  • 王道政治⇒仁義に基づく民衆本位の政治
  • 覇道政治⇒王の利益のために武力で民衆を治める政治

孟子は覇道政治を批判しました。

覇は春秋時代に各地を統制した実力者のこと。
孟子が王道の反対概念として覇道をおいたよ
民衆がメインになるという考え方は孟子の易姓革命論にもあります。
今までの考え方では、天命によって悪い王から善い王に変わると考えられてきました。
孟子はここに民衆を挟みます。
天の意思は民衆の声に反映される。
つまり、徳(仁義)のない王は民衆によって打倒される、と孟子は解釈したのです。
易姓革命
  • 孟子以前
    天命によって悪い王から善い王に変わる
  • 孟子後
    天の意思は民衆の声に反映⇒悪い王は民衆に打倒される
国民に抵抗権を与えたジョン・ロックを思い起こさせる…
>>ジョン・ロックの思想
「日本の天皇家に姓がないのは、姓がなければそもそも易姓革命が起こりえないと考えたから」
哲学と宗教 全史」p166

孟子の五倫五常

孔子は仁と礼が大事だといいましたが、孟子は特に仁の考え方を発展させました。

孟子の説く四徳。

それに漢代の儒学者である董仲舒(とうちゅうじょ)が、四徳にを加えて道徳の五常と呼びました。

五常⇒仁・義・礼・智・信
董仲舒は陰陽家
万物は木・火・土・金・水の5つからなっているとしたから、五常も5つが良いとされた

さらに、孟子は人間関係には5つの関係があり、そこに5つの倫理があると説きました。

  1. 親⇒親子関係、親愛の情
  2. 義⇒上下関係、君臣の礼儀
  3. 別⇒夫婦関係、男女のけじめ
  4. 序⇒兄弟関係、兄弟の序列
  5. 信⇒友人関係、友人の信頼

のちの時代に五倫五常が儒教道徳の基本となりました。

孟子は五倫の有無が人間社会と動物社会の違いだと考えます。

孟子への批判として荀子の「性悪説」

仁の考えを発展させていった孟子に対して、荀子(じゅんし)の考えを発展させていきました。

孟子の性善説を否定して、性悪説の立場をとったのです。

  • 仁⇒性善説⇒孟子
  • 礼⇒性悪説⇒荀子

対立してみえる考え方ですが、これは両方ともが教育が大事ということを述べています。

荀子は人の本性は悪なので、それを規制するための社会システムとして教育の場の制度化が必要だと考えました。

一方、孟子は人には端があるけれど、それを伸ばすには努力(教育)が大事だと述べています。

強い規律(荀子)か、弱い規律(孟子)かで考えるといいかも
荀子は放っておいたら私利私欲に走るので社会規範としてのを学ぶことを推奨し、孟子は本当の自分をつねに意識すれば徳(仁義)が見につくと教えます。
例えばこのような格言。
荀子「青はこれを藍より取れども藍よりも青く」
「顔料の青は植物の藍からとるが、藍よりも青くて美しくなる」という意味。
努力によって修養を高めることができ、それは教わった師を超えるほどすぐれた人物になることもできる、と言います。
例えば、美しい人を見て「生まれつきだから」と思うのではなくて「頑張ってるんだな」と思うこと

荀子の礼治主義

「人は先天的に善の心を授かってはいない」という荀子の性悪説は、天(神)の力の否定につながります。

天は自然現象であり、人間社会の法則とは関係がないと荀子は断言しました(天人の分)。

今では当たり前だけど、この頃からすれば斬新な考え方!
それ以前は人々の心持が悪いから社会が安定しないって考えてた
荀子にとって、人々の精神的拠りどころとしてに代わるものが礼(規範)でした。
人に対する気持ちをつねに礼で表せば、争いのない安定した社会になると考えたのです。
礼によって人民を治めるべきだという考え方は礼治主義です。
礼治主義⇒礼(規範)によって人民を治めるべきだという考え方
君主の指導の下、礼の教育を徹底します。
徳治主義や王道政治は王が立派なら、人民はそれに感化されると考えた
礼治主義は王が立派でも感化されないと考えて、教育を徹底させた
荀子の弟子には法家を代表する韓非子がいます。

荀子を継承した法家

荀子の性悪説を継承したのは法家韓非子(?-前233頃)。

人間ならだれでも利を好むとみました。

韓非子は人間の利己心を利用して賞罰を厳格におこない(信賞必罰)、法にもとづく政治をおこなうべきだと主張。(法治主義

荀子の礼治主義は養育や習慣に基づく小範囲のもの。

それに対して法は文書化された広範囲を統治できる規則です。

ご褒美がある?ならやる!

秦(戦国時代を制し中国全土を征服)は法家の法治主義を採用しました。

徳治主義(孔子)
⇒王道政治(孟子)
⇒礼治主義(荀子)
⇒法治主義(韓非子)

儒家と対立した墨子

儒家と対立した墨家の開祖は墨子(前5世紀後半‐前4世紀前半)。

儒家の家族愛的な仁に対して、兼愛交利を説きました。

兼愛交利⇒人々をだれもまったく同じように愛し(兼愛)、お互いに利益を与え合うこと
墨子の兼愛の思想は功利主義的です。
「世界の中の幸福の数が多いほど幸せな世界(最大多数の最大幸福)」という思想。
あっ、人がおぼれてる!
儒家の正義なら親から助けるけど、墨家なら助かる見込みの高い多くの人を助ける
また墨子は非攻論を展開。
墨家は頼まれれば積極的に小国の防衛線に協力しました。
墨家は築城術や防衛戦術の技術者集団にもなっていたみたい!
孟子と荀子「性善説と性悪説」についてやりました。
次回は、朱子学と陽明学を扱います。
全⑤回中国思想。
>>①孔子の教え
>>②孟子と荀子「性善説と性悪説」(今回)
>>③朱子学と陽明学
>>④老子の教え
>>⑤荘子の教え
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