「人間としての自覚」
第5節「中国思想」
②孟子と荀子「性善説と性悪説」
>>①孔子の教え
>>ホッブズの社会契約説
孟子の「性善説」
孟子(前4世紀ごろ)は、戦国時代の儒家。
孟子は儒教を広めようと諸国を遊説しましたが、孔子と同じくあまり成果がありませんでした。
しかし、儒教は前漢時代(紀元前206年-8年)に国家の教学となり、20世紀にいたる中国漢民族文化を代表する思想となりました。
孟子の性善説
孟子は孔子の仁の教えを受け継いで、人間の本性(うまれながらの素質)は善であるとする性善説を唱えました。
僕が何も感じなかったらどうしよう…
本来のあり方ではない何かがあったって考えるんだね
>>自己愛とは
孟子の四端説
孟子は惻隠の心の他にも端緒(芽ばえ)を唱えました。
人には4つの端緒(四端の心)があります。
四端をつねに意識することで四端を伸ばすと、誰でも四徳を習得できると説いたのです。
- 惻隠(そくいん)の心⇒仁
「人の不幸を見過ごせない心」 - 羞悪(しゅうお)の心⇒義
「悪を恥じる心」 - 辞譲(じじょう)の心⇒礼
「お互いに譲り合う心」 - 是非(ぜひ)の心⇒知
「善悪を見分ける心」
人が生まれながらに持っている善の心(四端)をのばすと四徳(仁・義・礼・智)になります。
四徳の完成を自覚すると、悪に屈しない毅然とした勇気である浩然の気が根底から湧きおこるそうです。
浩然の気を身につけた人物を孟子は大丈夫と呼んで理想としました。
孟子の王道政治
孟子は四徳の中でも特に大事だと考えたのが仁と義(仁義)。
孟子は王の徳とは仁義のことだと述べ、孔子の徳治主義をひきつぎます。
王の仁義に基づく民衆本位の王道政治を理想としてかかげました。
- 王道政治⇒仁義に基づく民衆本位の政治
- 覇道政治⇒王の利益のために武力で民衆を治める政治
孟子は覇道政治を批判しました。
孟子が王道の反対概念として覇道をおいたよ
- 孟子以前
天命によって悪い王から善い王に変わる - 孟子後
天の意思は民衆の声に反映⇒悪い王は民衆に打倒される
>>ジョン・ロックの思想
「哲学と宗教 全史」p166
孟子の五倫五常
孔子は仁と礼が大事だといいましたが、孟子は特に仁の考え方を発展させました。
孟子の説く四徳。
それに漢代の儒学者である董仲舒(とうちゅうじょ)が、四徳に信を加えて道徳の五常と呼びました。
万物は木・火・土・金・水の5つからなっているとしたから、五常も5つが良いとされた
さらに、孟子は人間関係には5つの関係があり、そこに5つの倫理があると説きました。
- 親⇒親子関係、親愛の情
- 義⇒上下関係、君臣の礼儀
- 別⇒夫婦関係、男女のけじめ
- 序⇒兄弟関係、兄弟の序列
- 信⇒友人関係、友人の信頼
のちの時代に五倫五常が儒教道徳の基本となりました。
孟子は五倫の有無が人間社会と動物社会の違いだと考えます。
孟子への批判として荀子の「性悪説」
仁の考えを発展させていった孟子に対して、荀子(じゅんし)は礼の考えを発展させていきました。
孟子の性善説を否定して、性悪説の立場をとったのです。
- 仁⇒性善説⇒孟子
- 礼⇒性悪説⇒荀子
対立してみえる考え方ですが、これは両方ともが教育が大事ということを述べています。
荀子は人の本性は悪なので、それを規制するための社会システムとして教育の場の制度化が必要だと考えました。
一方、孟子は人には端があるけれど、それを伸ばすには努力(教育)が大事だと述べています。
荀子「青はこれを藍より取れども藍よりも青く」
荀子の礼治主義
「人は先天的に善の心を授かってはいない」という荀子の性悪説は、天(神)の力の否定につながります。
天は自然現象であり、人間社会の法則とは関係がないと荀子は断言しました(天人の分)。
荀子を継承した法家
荀子の性悪説を継承したのは法家の韓非子(?-前233頃)。
人間ならだれでも利を好むとみました。
韓非子は人間の利己心を利用して賞罰を厳格におこない(信賞必罰)、法にもとづく政治をおこなうべきだと主張。(法治主義)
荀子の礼治主義は養育や習慣に基づく小範囲のもの。
それに対して法は文書化された広範囲を統治できる規則です。
秦(戦国時代を制し中国全土を征服)は法家の法治主義を採用しました。
⇒王道政治(孟子)
⇒礼治主義(荀子)
⇒法治主義(韓非子)
儒家と対立した墨子
儒家と対立した墨家の開祖は墨子(前5世紀後半‐前4世紀前半)。
儒家の家族愛的な仁に対して、兼愛交利を説きました。
儒家の正義なら親から助けるけど、墨家なら助かる見込みの高い多くの人を助ける