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老化を治療した「高齢化社会」を想像する。

おはようございます。けうです。

 

「ライフスパン(LIFESPAN)-老いなき世界」を読んでいます。

分厚い本なので、議題にできることがたくさんある本です。

 

今回は、長生きは自然なのか?

これについて扱ってみます。

長生きは自然なのか。

人が長生きをする。

そうなると、私たちはもしかしたら懸念するかもしれません。

人口が爆発したり、世代交代が起こらなくなったりして、地球環境からすれば善くないことが起こるのではないか。

このように思うからです。

この前提には今の常識が前提、(80歳くらいで健康寿命がなくなる)となっています。

さらに哲学者ホッブズの言う自然状態のように「万人の万人にたいする闘争」状態が自然だと思っているのかもしれません。

本から抜粋しますホッブズの言葉を引用します。

「学問も芸術もなく、文字もなく、社会もない。そして最も忌むべきは、すごたらしく死ぬことへの危険と恐怖に絶えずつきまとわれることだ。-孤独で貧しく、深いきわまり、獣じみて短い。」

このようなものが自然状態だとしたら、人類は長生きを望みません。

ところが、人類は長生きを望んでいます。

それはどうしてなのか。

ヒトという生物は学習して技術を獲得してそれを伝えるのに長けている。

人類が幸せになるために創意工夫をしてきた。

筆者は述べます。

「人間という生き物は、何かが起きたら新しい工夫で対応せずにはいられない。それが私たちの自然な本能だ。」

老化に対して病気だと、私たちがみなすことでこのような対応ができるのだと語ります。

人の自然状態は創意工夫をすることだと仮定するからです。

 

では、実際の問題として、「より多くの人命を救ったら人口過剰につながるのか?」を考えてみます。

人口過剰への懸念

「より多くの人命を救ったら人口過剰につながるのか?」というのは2018年に公開された映画のタイトルだそうです。

実験と共に映画として放映されました。

その結果、今すぐ地球上の死を一つ残らず止めたとしたら、地球には毎日約15万人ずつが増えていく。

一年にすれば5500万人。

その増加率は今の人口比率の1%にも満たず、人口があと10億人増えるのには18年かかる計算です。

子どもが世界レベルで減っているので、その増加分は簡単に相殺されると言います。

長生きの未来だとして、それほどの人口爆発はおこらないということです。

では、なぜ長生きすることがまだ地球にとって負担だと私たちは思うのでしょうか。

他の問から見ると、高齢者という思い込みだと筆者はいいます。

高齢者とは。

私たちが高齢者を想像する時、80歳ほどで健康寿命を損なった人を想像します。

今の人々を想像すれば、「テクノロジー恐怖症」というように、昔ながらの観念にしばりつけられている人も想像するかもしれません。

けれど、その高齢者のイメージを一新する必要があるのではないか、と筆者は語ります。

 

「寿命を長くするのと健康寿命を延ばすのとでは違いがある」と、ゴールドマンは述べたそうです。

続けてこのようにゴールドマンは語ります。

「一つの病気を食い止めることに前進がみられても、いずれは代わりに別の病気が現れる。しかしながら、老化自体を遅らせれば、大きな後遺症を残す病気や命に関わる病気のリスクが、すべて一度に低下することがデータから示唆されている」

つまり、老化を病気と見なしそれを対処すると、結果として国の医療負担が軽くなり、かえって経費削減になるのだといいます。

 

以前、女性の社会進出をめぐって、仕事につける人の割合が減るのではないかと懸念があったらしいのですが、実際にはそうはならなくて、働きたい人は働ける環境が提示されていました。(内容にはまだ議論の余地がありますが)

なので、元気な高齢者からすれば、知識をつけている点で人類に役立ちそうな仕事ができるというのです。

その場合、引退という言葉は消えて生涯学習をすることになったり、高齢になっても新たな活動をしていけるようになると言います。

私たちは未来を想像するとき、寿命は延びたとしてその他は同じだと思い込んでしまいます。

しかし、その一つが違えば、全体も違うようになるのだという捉え直しが必要だと解釈することができます。

長寿になることと倫理的な側面

そして、倫理的な側面からみても良い面がみられると語ります。

「善きサマリア人のたとえ」から筆者は思想しています。

これは聖書の中でイエスが例える話です。

追いはぎに襲われて傷を負わされた人が道で苦しんでいたとき、聖職者たちは見て見ぬふりをしました。

けれど、そこに通りかかった異邦人のサマリア人だけがその人を助けたといいます。

これになぞらえて、心理学者は心理テストをしてみました。

ある一人の人にお腹が痛いという演技をしてもらいます。

そこで神学生40人を対象に、その人に声をかけるのかテストを行ってみました。

ただし神学生の状態を3つのグループに分けます。

①時間があるので慌てずに別館に向かってください。
②今出ればちょうどの時間に別館につきます。
③遅れているので急いで別館に向かってください。

このような状況下で、神学生が腹痛を起こしている人に声をかける率をみてみたのです。

予想通りかもしれませんが、時間に余裕がある神学生の方が、声をかける率が高かったといいます。

①の状態では60%の人が声をかけたのに対し、③の状態では10%ほどだったそうです。

 

ここで筆者は何を言いたいのかというと、人生に対してゆっくりと挑むことができれば、私たちはさらに倫理的な問題に目を向けることができるのではないかと考えるのです。

人生を急がなくてよいので、その他のことについて、回り道をするようなことについても考えていける、と。

これは予想でしかありませんが、私たちは今の時間の使い方とは別の使い方を発見することになっていくだろうと筆者は想像するのです。

高齢になっても学びたいと思ったときに、人生の選択肢を増やせるという事。

そうした場合に、私たちは未来の変化も踏まえて老化を考察していくことが求められるのだと感じました。

では、お聞きいただいてありがとうございました。

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