記憶とは何か。 「記憶力の正体」(高橋雅延 2014)を参考に、ストア派哲学が考えていた記憶と、心理学が捉える記憶を見ていきます。
情報量が多いこの社会。
記憶力が良くなればいいなと思ったことはありませんか?
これを読むと記憶力がなくてもいいかな、と思えるようになります。
記憶を忘れてから思い出すことによる、利点がありました。
では、ストア派哲学から記憶を見ていきます。
記憶とはーストア派哲学が考えた記憶
ストア派哲学が考えた記憶から考察していきます。
ここで言う記憶は、過去に経験した事を忘れずに覚えていることや、その覚えている内容です。
本ではストア派のマルクス・アウレーリウスの言葉を紹介しています。
「君がなにか外的な理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ。 ところが、その判断は君の考え一つでたちまち抹殺してしまうことができる。」(本文抜粋)
この君を悩ましているものが記憶になります。
ストア派によれば、思い出される記憶は判断です。
記憶に感情もつきものですが、感情というものはすべて理性的判断に基づいて起こると言います。
この文で言うと、悪い思い出で落ち込んでいると思っていても、その記憶に意味をつけているのは自分なので、自分で自分を悩ましていることになります。
例えば、あなたは仕事先で上司に叱られて落ち込んでいたとします。
それを友達に相談しました。
すると、その友達はその上司はあなたのことを期待しているから叱ったのだと言いました。
するとあなたは上司のことを新しい一面で捉えることができて、悩みが解決しました。
自分で自分を悩ましていたのだけれど、他の点を知ることで悩みがなくなったのです。
ストア派といえば、欲望や感情に振り回されない禁欲的な生き方を目指した哲学として知られています。
欲望や感情を理性で制限して、禁欲的に生きられると考えたのです。
つまり、記憶での感情も理性的判断によって抑えられると考えました。
例で悩んでいたあなたは、上司が実は教えてくれるいい人、と捉えなおすことによって自分の負の感情を抑えつけたのです。
心理学においては、感情は理性的判断だとは必ずしも完全に支持されているわけではないようです。
しかし、私たちの感情が理性的判断に左右されると言われれば、そのような気もしてきます。
解釈によって悩みが消えたからです。
記憶は自分で解釈ができるものだとストア派は考えました。
この記憶の解釈の仕方は、ある心理学実験でも同じように解釈がされています。
そして、実験では記憶を忘れて思い出すことによる利点を上げていました。
このストア派の考えをふまえて、次に記憶力がないと役立つ場合の心理学実験を見ていきます。
記憶とはー心理学から記憶力がないと役立つ実験
記憶から理性的に判断された出来事は、私によって語られます。
このことによって、記憶力がないと役立つ心理学が考察されています。
人は記憶を思い出すときに自分の知識にしたり、自分の言葉で伝えるようにできるからです。
心理学者フレデリック・バートレットの実験を元に考察していきます。
バートレットの記憶の心理実験
1932年にバートレットは書物を出版。
その中で、記憶に関する実験をしました。
その実験を簡略化したものを書いていきます。
この二つの文章を読み比べて下さい。
ある晩のこと、エグラクの二人の若者が、アザラシ猟のために、川を下って行った。 川を下ると、霧が出て、静かになった。 遠くで、戦いの声を聞いた。 5人の男が乗った一そうのカヌーが現れて、「我々は川をさかのぼっている」と言った。 若者の一人は「私は矢を持っていない」と言った。 もう一人は「矢はカヌーの中にある」と言った。 若者の一人はカヌーに乗り、一人は帰った。カヌーに乗った若者は冒険の後、岸にあがって家に帰り、火をたいた。 若者は「おどろいてはいけない。私は幽霊と一緒になって戦いに行ってきた。私は苦しくなかった。」 こう語ると、彼の口から何か黒いものが吹き出した。 彼は死んでいた。
どこかで二人の若者が釣りに出かけた。 釣りをしていると、遠くの方で騒がしい物騒な音を聞いた。 カヌーに乗った男たちが現れて、「争いに参加しないか?」と聞いてきた。 一人は断ったが、もう一人はついていった。ついていった若者は、家に帰宅したがどこか様子がおかしかった。 若者は「おどろかないで聞いて。カヌーの男たちは幽霊だったんだ!」と冒険談を語っていると、口から血を吐いた。 そう、彼は死んでいた。
この物語は同じ物語です。
もとの物語と思い出された物語を比較すると、全体の情報量は大きく減っています。
男たちは何人だったかとか、どこ出身の若者かなどといったことは記憶から消えています。
そして、書かれている言い回しは現代風になっています。 (実験の詳細は本で紹介されています。知りたい方はこちら。)
バートレットは物語を聞いた一日後、八日後など実験者に思い出してもらいました。
その結果、ますます理解しやすくなり、物語の本質的な意味だけが抽出されていることがわかりました。
その本質的な意味は「どこかの若者二人が出かけていって、そのうち一人は戦いに行き、帰還すると死んでしまった」です。
実験の結果から、人間は常に何らかの意味を求める存在であるという考えにバートレットは至りました。
そして、忘れたからこそ、その人なりの要点をまとめてわかりやすく伝えることができたと言います。
つまり、記憶力がないおかげで、わかりやすく、伝わりやすくなったのです。
この本ではストア派哲学と心理学実験を通して、記憶とは人間の物語であると結論付けています。
もう少し詳しく見ていきます。
記憶とは-人間の物語である
実験によって、人間は意味を求める傾向があるとわかりました。
この本では、記憶とは人間の物語である、と述べられています。
日常的にも私たちは意味を求めている場合があります。
例えば、子どもが書いた文章を読んだとします。
その時に先生目線ならば、採点する視点になるかもしれません。
親ならば、書いた文章自体に間違いがないかチェックするかもしれません。
友だちならば、文章自体を味わうかもしれません。
批評家ならば、批判目線でみることもあるかもしれません。
このようにどの視点に人が立つかによっても、読んだときに記憶することや意味することが違ってきます。
記憶はその人の人となりを表します。
さらに、このような例もあります。
〇
この形は何か?
という問いを立てました。
お月様!
あなたが形に意味を与えたとしましょう。
すると、次にこの前の形はどんな形だったのか、描いてもらうとお月様に似た形を描くようになります。
意味を持たせると、想起しやすくなり説明もしやすくなります。
さらに、自分の物語を語る上で、いろいろな物事に関連付けると忘れにくくなるという研究結果があります。
感情、五感、環境などとの関連付けです。
それらは自分で関連付けるので、その人らしい物語が出来上がります。
記憶力がないことをどうにかしようとして、その結果、独自性が増します。
記憶とはーまとめ
記憶とは、見たものをそのままの形で再現することではありません。
ストア派哲学によれば、感情は理性的判断によって想起されるといいます。
つまり、記憶とは理性的判断による「語り」です。
そこから、記憶とは人間の物語であると推測していきます。
その理性的判断から、私たちは記憶をよりわかりやすく伝わるように組み立てます。
詳細を忘れてしまっても、人には伝わりやすくなる、ということです。
さらに、記憶を忘れても思い出そうとすることで、その人の物語になります。