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言葉が自由意志だとすることを論破する実験を紹介

おはようございます。けうです。

 

脳科学から自由意志問題を考えたいと思います。

左脳と右脳の違いから、左脳が自分だと仮定します。

右脳は感情、左脳は言語と大雑把に思って話を聞いてみて下さい。

 

思考実験なので、左脳からなる言葉を自意識とします。

言語化によって意識にのぼる部分。

例えば私が嬉しかったとして、それを意識的に嬉しいのだと言う。

そう言うことによって、それが自分の意志だと思うということ。

言葉が自分の意志だということですが、これを論破していきます

 

昨日もした実験結果を引用します。

言語と行動の違いがでる実験

例えば、右脳と左脳が分離している患者さんをしらべると、右脳で見せたことが左脳に判断できないので、左脳は現実とは違った判断をします。

 

右脳にグラビア写真を見せる。

すると、被験者は笑った。

客観的に私たちがその行動をみると、グラビア写真をみたから被験者はわらったのだと推測をする。

でも、右脳左脳分離患者は、右脳でうけとったことは左脳に作用しない。

つまり、言葉として左脳にいかないから、その現実を左脳はしらないので、ものごとを説明する時にグラビア写真という現実がわかっていない。

 

わかっていないけれど、被験者は笑った原因を推測する。

それは自分のことなのでわかるだろうという思い込みによって、ある回答を得る。

 

その実験の装置がおもしろかったから笑ったのだと、グラビア写真のことは触れずに他の要因を言う。

それが本人にとって正しい事だと本人は思い込んでいる。

 

 

それを右脳と左脳が分離して、さらに左脳という言語野が自分とする。

まず笑ったと言う事実がある。

自分が笑ったと言う行動がある。

 

そして、その原因を思いつこうとするのが意思決定。

でも、その意思決定では正しいグラビアを見たと言う情報が入ってこない。

推論昨日は働いているから、原因はいろんなことがでてくる。

機会がおもしろかったから笑った。

実験者がおもしろかったから笑った。

空気が違ったから笑った。

このような言葉の意志によって私は動いているだろうと推測するだろうけれど、客観的な正解はグラビアを見ているから。

その正解には結びつかない。

右脳情報からすれば、正解はグラビアを見たから動いたと言うこと。

でも、言語によって笑った原因を言うことができない。

なので、意思決定という言語によって行動が引き起こされたということを否定する

私が理由を言った行動すべてが間違いだとされてしまう。

 

こうしたときに、自分の行動が右脳によって引き起こされていることを自覚する。

ただ左脳は言葉を紡いでいるだけなのだと理解する。

多分、運動をするぞ!とか、勉強をするぞ!とか言葉で自分の行動を決めたときに、私たちはその通りに動けない。

なんらかの右脳情報がそれを邪魔したり、なんらかの決定された事項によって私たちは動かされている。

なので、左脳に限定させて自分があるとしたときに、私は右脳に左右されているということで自由意志がないと思う。

精神からは行動を規定できないから。

思考実験を終わりにして、脳は右脳と左脳から動いていることから自由意志を考えていきます。

脳には右脳と左脳がある

でも、右脳と左脳は脳の一つとしてくっついている。

実際には相互作用しながら、私たちは行動を決めている。

脳が分離して、右脳で捉えたことを左脳に移しかえせない患者さんは外からの情報でそれをつなぎ合わせると言います。

例えば、グラビアをみたというのはわからない。

でも、声に出してグラビアを見たと言う事実を伝えられる。

すると思考にそのグラビアを見たと言う情報が入るから、正しく推論できるようになる。

すると、思考によって私は行動したのだということもできる。

そして、そもそものその思考はどういう原理によって決定づけられていたのか。

私はグラビアを見て笑った。

そのグラビアと笑いをイコールにする情報が必要になる。

人によってはグラビアを見て怒ったり、悲しんだりするから。

だから、その反応自体も多種多様になってくる。

 

意志決定論者の推測

ちなみに、意思決定論者はこう推測するそうです。

 

1精神の成立を可能にしているのは脳という物理的実体だ。

2物理的世界があらかじめ決定している以上、脳も決定していなければならない。

3脳があらかじめ決定されているならば、なおかつ脳が精神を成立させるうえで必要にして十分な機関なのならば、精神から生じる思考もまた決定されている

4自由意志は幻想であり、自らの行動に責任を持つとはどういうことか意味をあらためる。

 

このように自由意志がないという推論がされていく。

 

自由意志という言葉を考える

 

本能的な反射としての感情はどこで起こったのかをつきとめる問題になってくる。

このときに、周りとの関係からその行動が変わってくると言うことが起こる。

経験によって、私たちは笑ったり怒ったり、無意識的な行動も含めて自由意志を扱っていると言うこと。

だから、言葉として自由意志というのはおかしいのかもしれないと本では言っていた。

ただ左脳で考え出した言葉を自由意志というのはおかしい、と。

私たちは脳が分離されていないから、右脳もあわせて判断をする。

 

しかも、最近の自由意志があるとする回答としては、その笑うだとか怒るだとかが人によってばらばらであることに焦点がいく。

周りとの関係によって、その行動が変化していると言うこと。

遺伝子レベルでも、動物でもある種の本能行動はあるレベルを超えると変化するという。

ありが一匹いればただ歩くと言う行動も、ありが100匹いれば巣を作る行動に換わるように。

右脳の行動と左脳の行動が合わさったものが私たちが自由意志と捉えているものなのではないか、と。

左脳だけを自由意志、言語だけを自由意志とすることは論破ができるけれど、全体が合わさっていくと論破することができないということを紹介しました。

 

では、最後までお聞きいただいてありがとうございました。

 

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