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自己感とは。消費と浪費、集中力を分析する。

自己感とは何か。

おはようございます。けうです。

自己感をモル的と分子的から説明

私は昨日分子的とモル的という話をしました。

これはASDにかかわらず、誰にも当てはまる概念です。

例えば、あなたは急に罵倒を浴びて怒りがわきました。

その怒りをすぐに表現できるのはモル的です。

でも、コミュニケーション論などでは、怒りを出す前に5秒待ちましょうと

言われます。

 

では、その怒りを出す前に5秒待ちます。

すると、そのまとめあげた怒りの感情(モル的)が分解されます。

どうして怒っているんだろう。

この罵倒をあびたから怒っているんだろう。

ここで、怒りを出す行為の意味はなんだろう。

私は怒るとこめかみがぴくぴくするんだ。

 

このような感覚を細分化することが分子的です。

なので、この分子的というのはASD症状ではなくても味わうことができます。

 

そして、この1つ1つを意識する行為が自己感につながります。

あ、怒っているときに身体的反応として、こめかみが動くんだ!

こういうのは私の体の一つの特徴として捉えられて、自己をより分かりやすくなります。

自己感を浪費と消費から説明

では、この自己感と、消費と浪費の概念をつなぎあわせてみます。

 

まずは浪費。

食べ物の例で行きます。

ごちそうがある。

それを味わって、お腹がいっぱいだけれど、ついつい食べ過ぎてしまうことを言う。

その味わうというのがポイントです。

私は一つ一つを意識する。

身体に食べ物が入っていく感覚と、自分がそれを受け取っている感覚が入ってきて、さらに自己感が高まります。

 

次に消費の例に行きます。

消費は何かが食べたい。

無意識にそれを食べる。

その食べているものには無意識で、ものを受け取っていないから食べた気がしない。

過食として食べているときは、食べ物から情報を受け取っていない。

自己感として反応しない。

なので、いくらでも食べすぎてしまうし、満足することがない。

私はこういう状態にあるという意識がない。

あるミツバチが密をずっと飲んでいたとして、その飲んでいる密が体の外にでていることを知らずにずっと飲んでいるような状態です。

この場合だと、自己感にはつながらない。

 

消費と浪費というのは自己を認識するときの一つの一例です。

 

消費と浪費から中毒を意識する

この消費と浪費という概念を理解して、ある水中毒患者に水を禁止するのではなく、あるいっぱいの水をおいしいね、と意識的に飲ませると無意識的な中毒症状が減ったのだとか。

この意識と無意識を意識するというのはいいですよね。

何かの中毒になっている、何かの依存になっていると気がついたときに、それをどのくらい受け取っているのか意識してその量を分析してみるのも何かを取りすぎている場合に有効だと思いました。

自己感としての集中力

そして自己感に関して。

無意識と意識の差に関して集中力から気がついたことがあります。

昨日のモル的と分子的から、特有の集中力についても説明ができると思いました。

ASDの人でなくても、何か人は集中している時はときにものすごい集中を見せていて、話しかけても気がつかないのだとか。

そして、私もよく集中しているときに話しかけられていることがあったらしく、後からあそこで無視されていた、と言われることがあります。

さきほどのASDがなんでも分子的に受け取るとすれば、そこに矛盾がある。

と、思ったときに、その集中しているときはどんなときか、ということを分析しました。

 

すると、その時と言うのは分子的な情報をモル的にまとめあげているときだったんです。

つまり、まとめあげるのが大変だから、情報をシャットダウンすると言う機能が働いていた。

 

私はよく無意識に、ものをそこらへんにおいて忘れてしまったり、話しかけられているのに気がつかなかったり、段差に気がつかなかったりします。

そういうときは、分子的に受け取った情報をまとめあげることに集中しているということ。

だから、変に意識的になるとその情報の処理ができなくなるということがあります。

ただ分子的情報が蓄積していっている状態。

そのときにモノを置いてしまって部屋が散らかったり、無視してしまったり、こういった一般の人が意識する予測誤差に気がつかなくて、かえって鈍感。

さらに分析すれば、人の話を聞いていてわからないことがあるとそれ以上その話が入ってこなくなってしまう時があります。

おそらく、その言葉の意味を考えてしまって、その一つの言葉が分子的情報をたくさん運んでくるのだと言うこと。

話を聞いている途中で、自分の中の分子情報が飽和してしまって、集中力モードに入らざるを得なくなるのだと言うこと。

 

こういう社会的には良くないと言われる分子のため込みからの無反応や鈍感を解決するにはどうしたらいいのか。

でも、未来には様々なことが起こって、しかもASDの人というのは一般の人よりも同じものを違った体験として受け取ることが多いと言います。

ということは、この分子ため込みモードに入ってしまうことが多いのだと言うこと。

こういうことは、特性として、自分の取扱説明書として書いておくのがいいのかもしれないな、と思いました。

この経験に対して、分子情報がいっぱいなので、他の情報がはいってこなくなるときがある、と。

集中力まとめ

そして、私はそっか、とか、わかった!とひらめきモードのようなことになるときがあるんですが、この分子的情報をまとめ上げてモル的にしたときにこのように思うことが多いのかもしれません。

もしこのひらめきモードがない人は、普段とちがった体験をして分子情報をためこむといいかもしれませんね。

 

では、今日もお聞きいただいてありがとうございました。

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