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自己家畜化とは何か。

おはようございます。けうです。

 

「善と悪のパラドックス」リチャード・ランガム著を読んでいます。

今回は人間の家畜化について話したいと思います。

家畜化とは何か

人間の家畜化とは反応的攻撃性を抑えることを言います。

この反応的攻撃性とは、人間の攻撃性の特徴を2つに分けたときにでてくる概念です。

反応的攻撃性

これはカッとなってやってしまう攻撃。

一般に意図せずやってしまったとか、感情的にやってしまったとか、理性を経由しない攻撃です。

能動的攻撃性

これは、復讐や計画によってなされる攻撃。

思慮したり理性を経由したりして攻撃をすることで、自分の欲や考えを満たそうとします。

 

なぜ二つに分けたのかというと、この区別によって人間が家畜化してきたことを説明するためです。

人間は反応的攻撃性が他の動物よりも低い。

他の動物よりカッとしない。

野生というのが反射的な行動をしてしまうものと定義したときに、その反射的行動や感情的行動を抑えられるようになった結果が家畜化だというのです。

確かに、私たちは野生動物といるときは恐怖を感じます

なぜ恐怖を感じるのかと言えば、言葉で説明しても止められない行動があることがわかっているからです。

野生とは何か

野生を説明してみます。

生物学者レイモンド・コッピンガーは言いました。

「家畜化と飼いならすことは同じではない。野生の動物は飼い慣らすことができるが、それは家畜化ではない。」

例えば、オオカミを犬のように育ててきた一家がいたとします。

そのオオカミは犬のようで、その一家はそのオオカミが他の人に対しても犬のように接すると予測しました。

なので、筆者に犬のように接して見てくれ、と言います。

筆者は本当に犬のように、頭をポンポンとして遊ぼうとしました。

すると、オオカミは歯をむき出して、筆者は殺されそうになったと言います。

そうなったとき、筆者は逆にその一家に怒られました。

「どうして叩いたんだ?」と。

筆者にとってポンポンは犬と親しくする行為。

この行為に対して攻撃性を感じたオオカミは野生的反応をみせたということ。

飼い慣らすと家畜化という概念は分けるべきであって、この場合のオオカミは飼い慣らされているだけだと判断できます。

野生種といわれているような動物と人間は信頼関係を築くことが難しい。

「私たちが信頼関係を築くことができるのは、家畜化された動物だけなのだ。」

このように筆者は語ります。

オオカミとは信頼関係を築けなくても、私たちは家畜化されていると言われる犬と信頼関係を築くことができます。

そして、人間同士も信頼関係を築けるという点で、人間は家畜化されているということなのです。

家畜化の区別とは

そして、こう考えていくとさらなる謎が浮かびます。

信頼関係を築ける賢いと言われるゴールデンレトリバーもいれば、そうでない犬もいる。

人間でも、信頼関係を築けたり築けなかったりする。

これは人間にも家畜化された種族と家畜化されていない種族がいるのではないか。

まとめてみます。

・人間が普遍的に家畜化されている
・人間は集団によって家畜化のレベルが異なる

このような2つの考え方に分けられます。

そして、分けられたからこそ人種差別という虐殺とか、優生学という発想がうまれてしまったのではないかと本で述べられていました。

今ではその争いの悲劇が伝えられています。

なので、論としては人間は普遍的に家畜化しているという論を取るか、さらなる価値観の変容、例えば家畜化されていないことも良いことだとする論です。

家畜化の4つの特徴

例えば、家畜化には4つの特徴があると述べられています。

・家畜は野生種より小型になる。
・家畜は野生の祖先より顔が平面的になり、前方への突出が小さくなる傾向がある。
・家畜ではオスとメスのちがいが野生動物に比べて小さい。
・家畜は哺乳類であれ鳥類であれ、野生の祖先より顕著に脳が小さくなる傾向がある。

このように述べられたときに、もし家畜化を優位に述べるのだとしたら、これらの特徴が良くなるということです。

しかし、人によっては大型の人のほうが好きだったり、顔の彫りが深い人の方が好きだったりと好みが分かれます。

なので、家畜化が人によって異なっていると解釈しても、それでも私たちは信頼関係を築いたり好意をもったりするということ。

こうなってくると、家畜化されることの利点と家畜化されないことの利点がうかびあがります。

人間は自己家畜化してきた

私たちは社会生活をするために、家畜化の道を自分で選んできたのではないかと考えられていますが、社会生活以外では家畜化されていない自己を持っているとみなすこともできます。

このように言える一つの例として、プロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム1世は1713年から1740年にかけて「ポツダム巨人連隊」を作ろうとしたことをあげます。

背が高い男の人ばかりによって作られた千人以上の規模の軍隊です。

そして、王は人を集めることよりも身長の高いもの同士で子どもを作ることを計画させました。

人間の感情を無視して、ただ身長が高い者同士での交配。

このような政策は、みんながみんな不満を抱いて王が死ぬと実験が中止されたと言われています。

人は他人によって家畜化されることを嫌がるのです。

なので、自己家畜化と呼ばれています。

「人間は、完全に家畜化された動物からはかけ離れている」

このように文化人類学者のダーウィンは結論付けたそうです。

自己家畜化とは何か-まとめ

私たちが知的な作業をするとき、それは自己家畜化していくということ。

でも、それはポジティブにもネガティブにも捉えられるということです。

近年、脳や遺伝子の研究によって能動的攻撃性や反応的攻撃性のシステムを解明しようとしています。

そうなることは、もっと家畜化を進めることになるとも考えられます。

それでも、自己家畜化していると考えられているので、それを人間は自分にとってはポジティブに捉えやすいという事です。

自分は自分で家畜化しているのがよくて、他の人に対しては多様性を認めている。

知が重視される社会はこのような面があるかもしれませんということを思いました。

 

では、お聞きいただいてありがとうございました。

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