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偏桃体による感情と因果関係について。

おはようございます。けうです。

 

今日は「<わたし>はどこにあるのか」という、これも脳科学の本を読んでわかったことを述べていこうと思います。

脳の右半球と左半球

私たちは右半球、左半球といった脳の働きに違いがある。

脳の部位によって決定的な違いがあることがわかっています。

例えば、脳のある一部を切り取れば推論ができなくなったり、海馬を切り取れば記憶ができなくなったり。

この本では右半球、左半球の結びつけの不具合によっててんかん症状が起こる、この病気を治す手術のために右半球と左半球の結びつきを除去するという手術を行った例を述べています。

 

脳を切断した状態で、左半球に見せた場合と右半球にみせた場合とで、身体の反応が違ってくることを述べていました。
右半球が認識した対象物を、左半球がそこにモノがあることさえわからなかったそうです。

普段の生活をしているときは、片方の目だけでみるということはないので、気がつかれていないことが、半分にすることで実験結果によってわかるということが起こります。

空間ごとに認識を担当する分野が決まっていて、脳は処理できないものを意識することができないとわかってきたそうです。

 

それでも私たちは何かしらを意識して話す。

ある瞬間にふとのぼる考えは、そのとき最も優位を獲得したもので、そのときだけ意識となってあらわれるのだと本では語っていました。

意識と無意識をわける例

そして、例えばわかりやすい例ではこのようなことを語ります。

 

あなたがへびに出会いました。

恐さからあとずさりします。

あとずさりしたあとでようやく「へびがいる!」という情報が自覚されます。

脳が脳の一部の扁桃体(へんとうたい)を通して無意識という近道をとってくれます。

偏桃体は過去に経験した危険と似たパターンだと認識するやいなや、脳幹に直接信号を送り込み、警報をならして闘争や逃走反応を起こさせます。

 

この無意識反応が右脳だとすれば、その後に左脳は理由づけをします。

私はへびが怖かったから後ずさったのだ、とか、へびは危険だったから後ずさったのだという説明を左脳がしだすのだということ。

因果関係のショーペンハウアーの哲学

これは因果関係というのが前後の根拠をかいているというショーペンハウアー哲学の根拠にもなります。

 

私たちはある事実に対して、自分であるストーリーを形作る。

それが正しいものとしてあるかどうかというのは因果関係には別物で、氷がとけるでも、氷がふえるでも、因果関係がなりたっているということ。

 

それに私たちは言葉を結び付けてそれが妥当に見えるようにしているのだということ。

 

現実には行動も感情も私たちが自覚する前に起きている。

そう考えると、因果関係というのはどうあっても成り立つということはうなずけます。

因果関係の思い込みがわかる実験

他にもこんな実験を述べていました。

被験者の顔にメイクで醜い傷をつけます。

そのあとに、その本人にわからないようにメイクをぬぐいます。

でも、被験者は傷がついていると思い込んでいます。

 

その状態で他者と会話をしてもらいます。

相手が会話をして、何を思っているのかを述べてもらいます。

 

すると、会話相手が目をそらすことに気がつきます。

普段でも目をそらしている人だったとしても、被験者はその傷とからめて原因を語ると言うこと。

私の顔に傷があるから、相手は目をそらすのだと理由づけをします。

左半球という言語を司るところでは、過去の経験などと照らし合わせて事実を捏造します。

その機能が大人になるにつれて発達する。

 

例えば、子どもは推論できないといいます。

見たままのことをそのまま受け入れて、お話をあれこれ脚色するのは好まないのだとか。

 

筆者はこの左半球の物語装置を「インタープリンター」と名づけていました。

私たちがどんなに理由を述べても、その理由は正しくないかもしれないという可能性を含むこともこの言葉にはこめられています。

直観行動でも、言語解釈でも間違っていることがあるということ。

偏桃体の機能

私たちは偏桃体によって物事を無意識のうちに反応させるといいますが、この機能が働かないようになると、パターン認識が難しくなります。

 

つまり、偏桃体が発達していれば日常の多様なものごとに自分独自の法則を見つけ出して、それをパターン化できているということ。

先生がこれをやって!と指示をだしたら、そのことだと推測してその行動がとれること。

指をさされたとして、ある物体を指しているならばトイレに行ってこいということなのだろうと予測したり、これは怒られているのだろうと予測したり、ができるということ。

 

この感情も司る偏桃体のパターン認識が弱いとどうなるか。

先生が何かを指している。

その後の行動がすぐに出てこない。

だから、推論をするために左脳を働かせる。

そして、意識的に納得をして動き出す。

 

ドキドキしている。

一般的にこれは恋だと思うかもしれない。

でも、それが結びつかないから、言語化して意識的に納得させる。

自分で意識的にパターンを構成する。

それがマニュアルといわれるものでも、それを意識的に取り込む。

 

雨が降っている。

普通なら走るのを止めるかもしれない。

でも、やめる理由がそこに見当たらないから走りに行く。

 

ケンカをする。

感情の理由を言う。

直観的なものではないから、それが後付けなのではないかと疑いは、その通りだと言うこと。

無意識的な理由がわからないということ。

偏桃体とASDと因果関係

1つの感情による無意識的な判断ができないために意識に頼って、それをパターン化するのが偏桃体の弱い人に起こる行為なのかもしれないなと思いました。

今はちょっと脳とASDという自閉スペクトラム症について調べていて、なんでも私はその方面に結び付けている癖があります。

ASDは偏桃体の機能が弱いとも言えるという一説があります。

弱いと解釈するのか、いろんな視点を持ってしまうと解釈するのか。

判断できない期間が長いんですよね。

そして、意識してそれを形作る。

なのでこれも、自分で因果関係を作成しているともとれますね。

 

 

では、聞いていただいてありがとうございました。

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