永劫回帰(えいごうかいき)はニーチェの人生観です。
フリードリヒ・ニーチェ(1844~1900)
(哲学用語図鑑 参照)
新しい価値を自分で作り出す!って
ニーチェが永劫回帰を考え出した背景には物理法則があると言われています。
ニーチェの人生観からと物理法則からの永劫回帰を見ていきます。
永劫回帰とは
ニーチェの永劫回帰は歴史の見方です。
歴史の見方には大きく分けて2つあります。
- 歴史は理想的な方向に進歩している。
⇔ - 歴史は進歩も前進もしない。
永劫回帰は、歴史は進化も前進もしない、という見方です。
例えば、「とてつもない失敗の世界史」という本を見てみます。
- 争いの元をつくる人物が政治を握ってしまった歴史
- 害虫を駆除したつもりが、そのせいで困るはめになった歴史
- 人類の発明が世界を滅ぼすかもしれない歴史
歴史を見ていくと、人類は失敗ばかりです。
人間はそんなに賢くはなく、同じ過ちを繰り返しています。
そして、また繰り返すだろうことが想像されるのです。
永劫回帰は、人間は永遠に円環の中だけをまわるという歴史の見方です。
永劫回帰で生きる超人
人間が同じ過ちを繰り返し、目的がなく、ただ円環運動をすると考えます。
すると、人間は目的がなくなるので人生に意味を感じなくなります。
なにか目標を持って取り組んだとしても、結局は戻ってきてしまう。
良いことが起こったとしても、その分悪いことが起こって結局は進歩なく同じ円環になる。
しかし、ニーチェは永劫回帰を肯定します。
例えば、想像してみましょう。
あなたの前に神様のような人が現れて言います。
神様「あなたの人生の目標はあの爆弾を処理することです。
処理が終わったら、目標は終わりです。」
あなた「目的を達成したら?」
神様「あなたの役目は終わりました。」
これで死んでしまっていいの?と思わずにはいられません。
誰かに目標を決められるということは、自分の人生を生きていません。
ニーチェは善悪という歴史の強者に決められた道徳を奴隷道徳と呼びました。
奴隷道徳⇒歴史の強者に決められた道徳
永劫回帰的な円環運動ならば、その円環の中で自分だけの価値に基づいて自分の目標を決めます。
絶対的な目標があるわけではないので、自分で決めることになります。
永劫回帰を肯定して、既存の価値に捉われずに新しい価値観を生み出す人間を超人と呼びました。
超人⇒新しい価値を作る人
現代の啓蒙書では、その超人はドナルド・トランプ元大統領のような人と揶揄されたこともあります。
既存の価値に捉われずに、アメリカファーストを打ち立てていたからです。
アメリカファーストは、アメリカを一番に考える思想。
超人が非難される理由としては、新しい価値は人類全体がよくなる目標を立てないからです。
個人としてはよくても、政治になると別という視点が入ってきます。
⇒個人にとっては良い価値
⇒全体にとっては?
歴史が進歩するという見方は、人類共通の目的をみんなが遂行することになります。
自分が目的を立てるのではなく、みんなにとって良いだろう目的が立てられます。
永劫回帰を肯定する
ニーチェは永劫回帰を受け入れることを「運命愛」と呼びました。
次のセリフが有名です。
「これが生きるということか。ならばもう一度」
運命愛⇒永劫回帰を受け入れること
永劫回帰はニーチェ著『ツァラトゥストラ』(主人公が思考を人々に伝えていく物語)で語られています。
その本の中の悪魔が主人公に語ります。
悪魔「おまえが現に生きており、また生きてきたその生を、おまえはもう一度、いやさらに無限回にわたって、生きねばならぬ。
そこには何ひとつとして新しいことはなく、あらゆる苦痛とあらゆる快楽、あらゆる思いとあらゆるため息、お前の生の言い尽くせぬ大小すべてのことが、おまえに回帰して来ねばならぬ。
しかもすべてが同じ順序と脈絡において」
(『これがニーチェだ』 永井均 引用)
永劫回帰は自分の人生を何度でも繰り返し受け入れることを意味します。
同じことが何度も起こるのです。
2020年何日の日曜日の朝に起きて本を読む。
また、2020年何日の日曜日の朝に起きて本を読む。
またまた、2020年何日の日曜日の朝に起きて本を読む。
というように、人生で一度切りに思えるようなことを何度も繰り返すという意味です。
ニーチェは生まれ変わりを信じるのではなく、この生そのものの肯定を促します。
おのずとなされる肯定をして、価値を生み出す超人を自由な存在としました。
おのずとなされる肯定、これを想像してみます。
- ダイエットなのに食べすぎちゃった
- アリを持ったら死んじゃった
- 好きな人にフラれた
過去にあった後悔も含め、自分のすべてを肯定します。
後悔してやり直したいと思ったり、今の自分を変化させたいと思ったりすることとは違います。
ただ肯定します。
無限の時間の中で、永遠に繰り返すというニーチェの発想。
このようなくり返しの発想は、物理法則に影響を受けているとも言われています。
では、そんな永劫回帰を思いつくことになった物理法則を見ていきましょう。
>>パラダイムシフトとは
永劫回帰を物理法則から見る
ニーチェ(1844~1900)はドイツの哲学者です。
ニーチェは永劫回帰を物理的に説明しようとしていた時期があったといわれています。
まずはその思想をみていきます。
石ころをいくつかつかんで何度何度も地面にばらまきます。
「えいっ!」
「あっ、同じ配置が出てきた!」
石投げも、無限回繰り返すとまったく同じものが何度もでてくる。
この石を原子に見立ててみます。
物理法則⇒すべての物質は、原子(その頃の究極の分割不可能な単位)の組み合わせ
原子の種類と数は変化せず、時間は無限だと考えます。
無限の時間の中では、同じくり返しが回ってくる。
これがニーチェの考えた永劫回帰です。
時間が無限なので、なんどでも石を投げて形を出せます。
20世紀初頭では天文学者も含めてほとんどの人々は宇宙は完全にできあがった永遠不滅の存在だと考えていました。
終わりも始まりもない状態です。(「ブラックホールってすごいやつ」 参照)
けれど、この悪魔の物語では、私はもう一度同じ人生を繰り返す必要があります。
物理法則をどのように考えれば同じ人生を歩むことになるのでしょうか?
ニーチェの死後27年後にビックバン理論が発表されました。
「ビックバン理論により宇宙の始まり、そして始まりがあるならその始まりはどうなっているのか、終わりはあるのか」という議論がなされています。
未だに答えはでていないのですが、その予想の一つにサイクリック宇宙論があります。
サイクリック宇宙論とは
サイクリック宇宙論とは、宇宙は無限の循環をするという宇宙論です。
この宇宙をつくるビックバンが、何度も起こるビックバンの内の一回だと想像します。
一度ビックバンが起こり、宇宙が誕生して、私たちは生活を送ります。
生活を送っているうちに遠い未来、宇宙がビッグクランチを起こすと想定。
(ビッグクランチとは、宇宙が終わる一つの形態のこと)
宇宙がビッグバンを起こす前の小さな種につぶれながら逆戻りすると考えます。
小さな種に戻ると、今度はその反動でまたビッグバンを起こします。
このようなくり返しが永遠に続くと考えます。
すると、ニーチェの言う永劫回帰のシステムが出来上がります。
サイクリック宇宙論の難点とは
サイクリック宇宙論には、難点があります。
それは、熱力学第二法則のエントロピーが時間とともに増大するという法則です。
エントロピーとは「何かの乱雑さ」と考えます。(「僕たちは、宇宙のことぜんぜんわからない」 参照)
エントロピー
例えば、子供部屋。
その子供部屋はほっておくと散らかっていきます。
時間が経つと、乱雑さが増していきます。
例えば、コーヒーにミルクを入れる。
時間とともにミルクは混ざり合っていき、コーヒー内で乱雑さは増します。
これもエントロピー増大の法則です。
この法則を宇宙に当てはめて、宇宙の乱雑さが最大限に達すると予想します。
それを「宇宙の灼熱死」と呼びます。
その状態になった宇宙は、どこも同じ温度で、あらゆるものが完全に乱雑で、秩序だった人間はどこにも見当たりなくなります。
「そこからビッグクランチが起こればいいのでは?」
と、考えるかもしれません。
しかし、エントロピー増大の法則は、エントロピーが小さくならないことを示しています。
エントロピーは小さくならない
例えば、散らかった部屋を片付けるには、散らかした労力よりも多くの片付ける労力を必要とします。
ポイ捨てされたごみを片付けるのは、より手間がかかるようなもの。
例えば、コーヒーがミルクと混ざり合ったら、ミルクを取り除くことは不可能です。
エントロピー増大の法則では、物が元通りに戻ることを否定します。
なので、宇宙が元通りのビッグバン以前の状態に戻ることはないと考えます。
すると、永劫回帰のサイクルが出来なくなります。
サイクリック宇宙論はエントロピーの問題を含んでいるのですが、エントロピーは時間に関係します。
もし時間の進む方向のことを解決したり、宇宙の謎を解決していくことを考えれば、サイクリック宇宙論の可能性はあります。
私たちは知っている宇宙のことは、宇宙全体の5%と言われています。
永劫回帰の矛盾点
サイクリック宇宙論の他にも、ニーチェの死後に発表された学説を見ていきます。
宇宙は膨張している説
ニーチェが生きていた時代は、宇宙は完全に出来上がった永遠不滅の存在だとされてきました。
そこから、時代が進みビッグバン説が宇宙の常識になります。
ビッグバン説から考えていくと、宇宙は膨張していることが判明しました。
1929年にエドウィン・ハッブルが観測の証拠とともに論文で発表。
すると、宇宙は無限ではないということがわかりました。
ニーチェの永劫回帰と照らしていくと、同じことを繰り返す完成された宇宙がまだ膨張しているので、終わりが見えません。
それでも、永劫回帰では時間を無限だと考えています。
無限の時間がなんでも解決してくれると思いたいところですが、時間についても謎があります。
時間のあやふやさ
1905年、アインシュタインは相対性理論を発表しました。
(これもニーチェの死後です)
これにより、時間は一人ひとりにとって相対的だと考えられるようになりました。
理解のポイントは光の速さです。
私たちは今のところ光より早く進むことはできないと言われています。
思考実験で光の速さの電車に乗り込んだとしましょう。
するとどんなことが起こるのか見ていきます。
光の速さの電車に乗る思考実験
子ども「光の電車に乗り込んだ。
ここで僕が走れば、光より早く進める。」
ダッダッダッ!!(走る)
あなたは子どもが走る姿をみてこういいます。
あなた「同じ電車に乗ってるけど、何も起こらないよ?」
電車の中の人にとっては、何も起こりません。
しかし、電車を外から見た人にとっては違ってきます。
電車を外から見た人「こ、子どもが止まってる!!」
電車の中にいるあなたにとっては、子どもが電車で走っているだけです。
しかし、電車の外からその風景を見た人にとっては、光の速さに子どもの速さが加わるので、子どもが止まって見えます。
光より早く進むことができないから、止まって見えるのです。
子どもが電車の中で走っていると言うことも、子どもが止まっているということも、どちらも事実になります。
これが人によって時間が相対的だと言うことです。
なので、無限の時間を考えるとしても、話がややこしくなってきます。
さらに時間の謎をおいかけていきましょう。
ブラックホールの時間
宇宙にはブラックホールがあります。
天才アインシュタインでさえ否定していた存在ですが、1960年代から次々とブラックホールの存在を示す証拠が見つかりました。
2019年には天体であるブラックホールの撮影が成功されています。
ブラックホールのまわりは時間と空間のゆがみが極限に達するので、時間がほとんど止まってしまうそうです。
もちろん、ブラックホールに吸い込まれていく人がいたとすれば、本人からすればそのまま吸い込まれるだけで、時間は変わらないかもしれません。
しかし、それを観察している人にとっては、その吸い込まれるものはずっと残ったまま。
消えていかないのです。
これも時間の相対性です。
吸い込まれたものは最後にブラックホールの表面で停止したようになり、赤みがかかって消えてしまうと書かれています。(「ブラックホールってすごいやつ」 参照)
観察者からすれば、その観察物は永遠にそこにあるように思われます。
永遠ともいわれる時間があるように、観察者には感じられるのです。
ここはドイツ哲学の観念論の影響を受けているニーチェなので、私にとっての時間だけを考えるかもしれませんね。
観念論⇒世界をかたちづくるものの根源は、物質ではなく精神的なものだと考えること。
それでも物理法則から永劫回帰をさらにみていくために、ブラックホールを探っていきます。
ブラックホールは宇宙より長生きだと言われています。
宇宙が再びビッグバンによって出来上がるとしても、そのときブラックホールはどうなっているのか。
存在による時間のずれが起こる可能性なども考えなければいけません。
この宇宙全体はブラックホールの中にあるのではないかという説もあります。
その説から、時間を無限と設定しても永劫回帰が成り立たない可能性がでてきました。
質量保存の法則が疑問視される
質量保存の法則も、アインシュタインの理論の発表により疑問視されました。
ただし、多くの分野で実践上は成り立ちます。
宇宙論や素粒子論などの一部で、成り立っていないと考えられています。
ここでも思考実験をします。
ある生き物を素粒子のレベルまで細かくしたとします。
素粒子とは、原子よりも細かい物質です。
思考実験なので、血は流れず、しかも元気に生きているとします。
僕「空想上の僕でもいいかな」
「じゃあ、お願い」
僕「ちょっとばらばらになって、くっついてみたけどなんか軽い!」
「体重の約0.005%は結合エネルギーなんだって」
僕「結合エネルギー分だけ軽くなってるってことか」
「軽さによく気がつけたね」
ここでの0.005%は生き物の中にある電子・中性子・陽子がくっついていたエネルギー分の重さです。
素粒子が組み合わさって原子ができ、原子が組み合わさって分子ができています。
ニーチェの永劫回帰では、世界は原子の組み合わせでできていました。
しかし、現代は素粒子まで見ることができています。
素粒子まで分解すると、質量保存の法則が成り立たなくなります。
では、永劫回帰の石ころを素粒子に例えるとすればいいのでは?
そう考えたくなりますが、素粒子は不思議なものなのでまだわかっていません。
観測者がいるのといないのとでは、実験に差がでるとも言われている不思議な物質です。
最後に、哲学の思考実験も見ていきましょう。
哲学の思考実験「スワンプマン」から考察
ドナルド・ディヴィッドソン(1917~2003)は「スワンプマン」(沼男)という思考実験を考察しました。(続哲学用語図鑑 参照)
スワンプマン
彼「うわぁ、雷だ!!」
彼は沼のそばで雷に打たれて死んでしまいました。
彼の死骸はやがて消滅するのですが、沼から彼と見た目も脳の中も原子レベルでまったく同じ人物(スワンプマン)が現れました。
?「僕は何をしていたんだろう。」
彼と同じ記憶を持っているので、自分のことを彼だと信じています。
この場合、消滅する前の彼と、今の沼男は同一人物なのでしょうか?
ニーチェの永劫回帰でも、人生を何度も繰り返します。
しかし、2度目に繰り返したときに、同じ彼だと言えるのでしょうか。
何回か繰り返している回帰の記憶はないはずなので、本人はその疑問をもたないかもしれませんね。
永劫回帰まとめ
ニーチェの永劫回帰を見てきました。
永劫回帰はニーチェの人生観です。
この自分の人生がまったく同じものであっても肯定することを運命愛と言います。
既存の価値に捉われずに自らの目標を持ち、新しい価値を生み出す人間を超人といって、自由な存在だとしました。
そして、永劫回帰を物理法則でも見てきました。
時代とともに、科学の常識は変わっていきます。
なので、物理法則で見ると多くの疑問点が見られます。
- 宇宙の成り立ちから、サイクリック宇宙論との類似点を考察。
- 無限の時間を考察。
- ブラックホールをどう考察するのか。
- 質量保存の法則を考察。
- 哲学の「スワンプマン」の思考実験。
宇宙のことは5%しかわかっていないと言われている現在。
まだまだ私たちの常識は変化していく可能性があります。