「とてつもない嘘の世界史」を読みました。
その中の区別が面白かったところを紹介します。
でたらめと嘘の違いです。
嘘 ⇨真実を知っている
では、本から紹介していきます。
でたらめと嘘の違いとは?
でたらめと嘘の違いを「とてつもない嘘の世界史」から見ていきます。
本では真実を知っていないとつけないのが嘘で、なんでも言えるのがでたらめだと述べられていました。
でたらめ ⇨真実に無関心なのでなんでも言える
嘘は本当を隠しながら言わなければいけないので、でたらめと比べれば自由度が少ないのです。
かえって、でたらめは一部において嘘を含めるし、本当を知らなくてもいいから自由度が高いと捉えます。
自由度の比較だとでたらめ>嘘になります。
この定義でいくとでたらめの定義が広すぎて、すべてがでたらめになってしまう可能性があります。
でたらめは日常的に接している
質問からでたらめを探っていきます。
②くるった時計をみていて9時といった可能性。
③電話の相手が信用がおけなくて、わざと間違えを言った可能性。
④夢かと思っていった可能性。
⑤相手が外国にいる可能性。
⑥言っている間に時間が進んでいる可能性。
でたらめの話と真実の話
歴史を通じて、真実の話かでたらめの話かを比較したら私たちはよくできた作り話を選択しています。
つまり、でたらめを選択しているのです。
「プロフェッショナルはストーリーで伝える」など、私たちは物語を信じやすいと言われています。
真実ではなく、脚色した物語で伝えられることでより記憶しやすくなるからです。
そして、誰もが昔から気に入っている物語は受け入れやすいと言われます。
でたらめは一般的に受け入れやすい傾向を帯びているのです。
しかし、困る例もでてきます。
例えば、歴史から情報が安く売られるようにもなりました。
1830年頃、ニューヨーク新聞は6セントだった。
贅沢品としてエリートに売られていた。
⇩
1833年、サン紙ではたった1セントで新聞を売った。
このような変化がありました。
なぜ安くなったかと言うと、広告収入をつけられるようになったからです。
新聞が大衆文化になりました。
新聞が大衆文化になることで、各社の攻防戦が始まったのです。
正確さより騒動を引き起こすことが優先になりました。
こしらえたパロディーはまず例外なく本当だとみなされます。
パロディーを台無しにしないための工夫もされていきます。
ニュース記事は多かれ少なかれフェイクありで書かれます。
何が本当におこったのかを見定めることが出来なくなったのです。
でたらめの楽しさに、嘘すら忘れてしまうのです。
そして、その楽しさが歴史的にも実在をゆがめてしまうことがあります。
例えば、山がない場所に100年間堂々と山の地図がありました。
アフリカ大陸を2つにに分けたといわれる架空のコング山脈。
他にも2012年に実はなかったとされたサンディー島が実在するものとして語られていたという逸話もあります。
調べることが困難な土地だったため、調べたと嘘をついた話だけが本当になって広まりました。
確かめる労力の壁と情報の真空状態が生じます。
私たちが本当の話だと思っていたことが真実ではなかったと言う話はよくあるのです。
けれど、少なくとも「真実」に関心を持っている場合、でたらめの神髄ではありません。
筆者はでたらめの神髄は真実に無関心だと述べています。
山や島の場合も、誰かが真実に関心を持っていればその話は嘘として、誰もが真実に無関心だとしたらでたらめとして受け継がれます。
では何が本当なのかが気になります。
嘘を成立させるための定義として、「本当」は作っていくものなのかもしれません。(21世紀のネオプラグマティズム的)
そして作り上げられたものを「本当」だと信じるので、それを偽る嘘がつけます。
でたらめと嘘の違い-まとめ
嘘 ⇨真実を知っている