おはようございます。けうです。
「フードテック革命 世界700兆円の新産業『食』の進化と再定義」を取り扱っていきます。
時代の変わり目である今の世の中にそって、フードテック革命が起こそうとしていることを今回は説明していきます。
前回、5つの分野が注目されていると話しました。
>>「食テクノロジー」が注目する5つの領域
今回はその中の「代替プロテイン」について詳しく見ていきます。
私は日本で生活していてあまり、肉食は環境に良くない、という情報をテレビや周囲の人からは聞いたことがありませんでした。
ただ、知識人は肉を食べないようになっている、ということだけを聞いたことがある程度です。
肉食が今の環境下でどのくらい環境に負担をかけるか、さらに、どうして日本ではそれほど肉食に関して騒がれていないのか、という理由を本から紹介していきます。
代替プロテインが出てきた経緯
まずは客観的な肉食がかける環境への負担をみていきます。
世界人口は2019年の時点で77億人。
地球上で暮らす人間全体の一日の水と食料の消費量は、水200億リットル、食糧10億トンだと言われています。
それに対して、地球上にいる家畜としての牛15億頭は、一日に1700億リットルの水、600億トンの食糧を必要とします。
家畜の方が食料だけみても60倍必要とします。
なので、私たちが牛肉を食べると、そのすべての資源を食べているということ。
そして、資源だけならまだしも、これはすでに家畜で飼育されている状態でもあります。
すでにコストは下げられた状態でそのくらいの資源を必要としている。
畜産では、狭い場所に養鶏、養豚がひしめきあうような形で飼育されています。
運動をそこまでしていないにもかかわらず、食用肉を育てるだけでもこのような資源がかかる。
さらに、畜産ではなく動物という視点からみて、飼育環境下で生きさせるのは酷なのではないか、という価値観が今は騒がれています。
動物倫理です。
そうなると、飼育環境で動物が動けないのは「不健康」といった観点から農地の面積を増やすとすれば、それも多大なコストになってきます。
知れば知る程、畜産というのは私たちは動物をモノとして捉えていることが明るみになり、また逆にその視点をはずしてもコストがかかるという現状にいます。
それでも、その動物倫理にかかるコストを考えていくための現実に目を向けてみましょう。
畜産業を動物倫理から考える
本から抜粋します。
「1957年当時、鶏はふ化から57日目は905グラムだったのに対し、2005年では同じ57日目で4202グラムにまで成長するという。-『鶏は5週目で肉食処理されなければならない。なぜなら、その後自らの足でたてなくなるほど肥大化するからだ。つまり私たちは生物学上の限界まで家畜を品種改良してしまった』と述べている。」
ある一部の鶏は自然に57日で太って死んでしまう設計になっている事実。
鶏むね肉ってかなり安いですよね!
私の勤めるスーパーではセールで100グラム29円のときもよくあります。(セールでなくても40円くらい)
ステーキ屋さんで牛肉を頼むときに150グラムの小さめのステーキでも、安くても800円くらいはしていますよね。
それが鶏むね肉の場合だと原価が100円以下になっている。
そして、その安い理由には35日で自分の体重を支え切れなくなってしまう鶏を加工しなければいけないという背景があります。
品質にこだわらないならば、そうやって育てられたお肉を私たちは普通に食べて消費しているということ。
この品質というのが難しい問題で、育て方がどうであれ、人間の身体にどんな影響がでるのかということがデータとして出てきにくい、という事実があります。
例えば、有機野菜は健康に良いというイメージがありますが、実際の体に対する影響は農薬野菜でも有機野菜でも変わらないとするデータがあります。
人間が倫理的な観点から、育て方がよいとするものをその方法で育てたとしても、結果として出来上がるものがそれに対応するわけではないことがわかります。
動物倫理を哲学で考える
なので、哲学者マルクス・ガブリエルは人が栄養ではなく、その生産過程においてコストを支払うようにすればいいのではないか、と語ります。
つまり、自分にとっての栄養にお金を支払うのではなく、倫理的な観点から生産過程にお金を支払うように私たちの価値を変換していこうとする試みです。
例えば、この鶏むね肉に関して言えば、健康な状態で育てられた鶏と、不健康な状態で育てられた鶏は、実際に別々に販売されています。
定価の違いは100グラム29円が不健康だとしたら、相場として健康的な農園で育ったとされる鶏むね肉は100グラム200円くらいです。
現状でも差が6倍ほどは開いています。
今後、不健康な状態で育てられた鶏を増やしたくなかったとしたら、選択として広い農地で育ってきた鶏むね肉を選択する、という価値観が求められます。
私が食べるときには、そこまで栄養面ではかわらないかもしれない。
でも、養鶏場の未来を考えるならばそちらを選択する。
このような鶏むね肉一つをとっても、私たちの身近に考えられる選択があります。
代替プロテインの動物倫理からみる価値観
今の現状はこのような状態ですが、「代替プロテイン」市場はそもそもそのような「不健康」な家畜を殖やさないようにするという価値観がふくまれています。
ある科学者の予測では、2050年に世界の人口は膨れ上がって19年の77億人から97億人に達するのではないか、という視点があります。
この現状のまま肉の消費量がUPしたとしたら、今までの飼育状態からさらに効率化を目指さなくてはいけなくなり、さらなる倫理的な問題がでてくる可能性があります。
このような太って死んでしまう鶏の例が、豚や牛にも適応される場合があるということです。
なので、私たちは「代替プロテイン」市場を動物倫理からみれば発展させる必要があります。
動物倫理の問題がある中、さらに、人間の胃袋を満たすという問題が待ち構えているからです。
日本で代替プロテインが語られない理由の2つ
そして、この代替プロテインに関して、日本ではなぜそこまで言われていないのか。
①広告規制
まず、一つ目の理由は、畜産の業界団体からの反発があり、既存のメディアでは情報を流せないという事実があります。
業界も需要があるから出しているのであって、現に私たちは家畜が不健康な飼育をされていても、お肉を食べる選択をするからです。
お互いに都合の悪い事実には目をつぶる、という態度があります。
②日本は肉食が主流ではない
もうひとつ目が、日本はもともと肉食が主流ではなかった、という点です。
昔ながらのお豆腐を使った料理を思い浮かべるとわかると思いますが、和食は肉がメインにはなっていません。
もともとの文化に従えば、そこまでお肉をたべることがないのです。
「日本のソイプロテインソースの第一位は米・パスタ・麺類となっており、これらが肉を上回る」
とあります。
米国ではハンバーガーが国民食なので、お肉は絶対に欠かすことができないので、特に考えられているともいえると述べられていました。
現状を受けて、本ではこのように述べられています。
「日本国内では、まだ残念ながら環境問題への関心は低く、肉食と環境問題を結び付けて考えている人は極めて少ない。」
それでも、今は日本でもお米の消費量はどんどん減っています。
低糖質ダイエットが流行っている背景もあるかもしれません。
私たちは価値観によって、何を食べるかを決めているので、倫理によって変わっていく可能性を秘めている分野です。
代替プロテインからみる動物倫理-まとめ
不健康なお肉はよくないけれど、お肉を食べたい。
そういったときに、代替プロテイン技術は培養肉だったり、昆虫食だったり、植物性プロテインだったり、微生物からの発酵だったり、マイコプロテインであったり、動物への倫理条件をクリアするものが多々でてきています。
ただし、新しいものを人間に取り入れる場合、人間への影響としての倫理をさらに考えていかなくてはいけないかもしれません。
日本のメディアではあまり取り扱われないことも、私たちは本やネット上の情報から得ることができます。
そこから、私たちは価値観を自分で選び取っていくことが一人一人に求められてきていると思いました。
では、お聞きいただいてありがとうございました。