おはようございます。けうです。
「頭の回転が速い人の話し方」を読み終えました。
今回は、「頭が強い」こととはどんなことかを読み解いていこうと思います。
昨日取り扱ったのは、「頭が良い話し方」です。
まとめると、
・頭の回転が速い
・頭の運転が上手い
・話し方が上手い
この3つで成り立っていると岡田斗司夫さんは言います。
>>「頭の回転が速いひとの話し方」とは
それに加えて、「頭が強い」ことの必要性を説いています。
・応用力がある
・落ち込んだりダメになっても立ち直りが早い
・考え続ける「疑問維持力」がある
この3要素を頭が強いことだと語ります。
本書では、頭が良い人の話し方を扱っていたのですが、ところどころ頭が強くなる方法についてもふれていました。
今回は頭が強くなることについて私が読み取ったことを話していきます。
頭が強いとは
「一つは、今後のみなさんの人生に起こるであろう、さまざまな修羅場からできるだけ逃げないこと。」
「もう一つは、第5章で紹介したような『頭に負荷をかける修業』を意識して続けることです。」
(岡田さんは頭に負荷をかける修業を紹介していました。)
本はこちら
>>「頭の回転の速い人の話し方」
そしてこの2つを意識すること。
その意識する上で大事なことを岡田さんは語ります。
具体例で話していきます。
まずネットで誤解されている記事を見つけたとしましょう。
その誤解に関して、みんながバカだからとか、知らないから間違えているのではなく、どうしてこんな誤解が発生するのかを自分で考えて推理してみて下さい、というもの。
「誰かを悪者にした瞬間に、僕らの頭というのは途端に鈍くなってしまうからです。だから、自分の頭で考えるときには、みんな頭が良いと仮定します。」
全員頭が良いのに、なぜわかりあえないのか。
そういったことを頭の中で繰り返し問います。
そして、なぜ誤解が生じるのかの理由と、誤解した人に罪や責任はない、というところまで考察するというもの。
「適当な防衛力をつけるには、心が折れない程度に殴られることが絶対必要です」
といって、心を強くすること、頭を強くすることに必要なことを語っています。
私はこれを聞いて、いつも論理的に話しているつもりだけれど、それは私に有利になるように主観的な思惑が働いていることに気が付きました。
例えば、私が徹底的に悪人に仕立て上げられるとしましょう。
私は人を死ねといじめた人であり、子どもを虐待する母親であり、介護の必要な人である、と。
相手の思考を読むときに、これをまずは受け入れるという事。
相手が頭が良い、と思うということはこのように言われたとする原因を受け入れていくという事。
自分にダメージがあるというのは、どうして相手がこのように思ったかというのを論理的に受け入れていくからです。
私が嫌いといったことが、死ねといっていることに繋がる。
私が子ども達に対してお菓子を食べさせていることが虐待につながる。
夜寝るときに寝かしつけが難しいことが虐待につながる。
私が先の読めない行動をとることが介護につながる。
これを私の弁明の余地をいれずに、相手は頭の良い人であり、その言っていることも正常なのだ、として受け容れることだと述べます。
だから、心が折れない程度に殴られていると感じるのだと思います。
そういえば、と思うのは岡田さんも自分のことをサイコパスと言っていたのを聞いたことがありました。
もし私がこの相手の言葉を受け入れられるとしたら、どうしても感情を働かせずに聞くことが必要になってきます。
そうしたときに、感情を排除するのですが、それは一般的にみるとサイコパスのような形態になるのかもしれません。
さらに受け入れると言う先にある「確実に最適解を生み出す話し方のルール」も紹介していました。
確実に最適解を生み出す話し方のルール
確実に最適解を生み出す話し方でひつようなルールを6つ述べていました。
①勝たない
②「勝つ」のではなく「答えをつくる」
③相手を負けさせない
④相手を笑わせる
⑤悩ませない
⑥すっとさせる
これらが相手への共感を基本としたユニバーサル・トーク(普遍的な皆に通じる会話)だと言うのです。
これが頭の良い話し方になる、と。
私は文章を毎日書きながら、頭が良くなることを望んでいます。
そして、頭が強くなることも望んでいます。
それを手に入れるためには、或る種、感情をその場では消し去ることが必要なのだと感じました。
なぜなら、その話している人が嫌いだと、私は勝とうとしてしまうし、相手を負けさせようとしてしまうし、相手を悩ませてしまうし、すっとさせられない。
この頭の良い話し方では、どんな人に対しても気持ちよくなってもらおうとする話し方です。
もし優劣をつけたとしたら、その優劣をつけたことを俯瞰的にみたときに頭が悪い行動だと私は読み取ってしまうでしょう。
私に感情はある。
あるのだけれど、その感情を排除しながらどこまでも客観的に考察していくことが、頭の良さと、頭の強さに繋がっていくという事です。
私は意識していないところで、自分を肯定しようとしています。
自分を良く思えないのだけれど、客観的に考察することで自分を肯定して受け入れられるようにする。
それと同じように、それは他人に対しても当てはまっていて、他人の思考を徹底的に肯定して受け入れて考えるのだということをこの場で説いているのだと感じました。
私と同じく、相手の意見も肯定するのだ、と。
なぜなら、私というのは他人に影響を受けています。
なので、私を肯定するためにはその周りも肯定しなければいけないということになります。
頭が強くなることに必要なコト
私はこの本を読んでいてつらくなりました。
頭が良くなるというのは、自分の中にある感情と闘わなければいけないからです。
私が頼りにしていた基盤すら疑います。
その基盤が、相手を受け入れられないことに繋がっている可能性があるからです。
そうして受け入れていった先に視野が広がっていきます。
頭で受け入れることが分かっていたとしても、身体が逃げ出すかもしれません。
身体が拒絶して、その考え方をうけいれたくないと思うのかもしれない。
でも、それを乗り越えていった先に自分の希望している頭が良いとか頭が強いというのがある。
自分の憧れを目指すために努力するのなら、それは乗り越えなきゃいけない壁になってきます。
この憧れも感情です。
いっときの感情とどちらを私は望んでいるのか、検討してみます。
すると、私は論理的な考え方や思考方法をどうしても憧れにしていることに気が付きます。
私は自分を肯定したいのですが、その今の自分の否定の先に、肯定できる自分を見つけているのだという事です。
どんな人の考え方も受け入れたい。
視野が広くなりたい。
そのためには今の自分を否定していくしかない。
今の自分の基盤を壊して、さらに広い目で相手の言うことがもっともだといったんは受け入れる。
相手を敵や味方としてみるのではなくて、頭が良いとして見て、笑ってもらおうとして見て、相手に勝ってもらおうとしてみる。
そうした先に自分の頭の強さと、頭の良さが待っているのだ、と。
本や会話は人からの思考を取り入れます。
なので、多読に費やす場合、どんどん思考を取り入れてそれを広い目で見れるようにしていく。
そこから自分の頭が登場して、問いに答えようとさらに問いを作っていく。
その関係性の中で問いが生まれてアイディアが生まれていく。
「勝手に生まれたアイディアは、自分が思いついたものでもなく、相手が思いついたものでもなくて、その場の関係がつくったものです。」
そこには自分もいて、相手もいて、関係性もあって、それによって思ってもいないアイディアが自動的に生まれてくる。
面白い問いかけがひたすら繰り返されることによって、よりよい話し合いになっていくのだと述べられていました。
私は毎日文章を書いていて、頭が良くなっているつもりであっても、まだまだつもりなのだな、と思いました。
きっと私は自分に対して心が折れないまでの殴られることを、まだまだ必要とするのだと感じました。
では、お聞きいただいてありがとうございました。