「間柄的存在」とはそのまま「あいだがらてきそんざい」と読みます。
間柄的存在とは、人を人との関係と個人とでとらえることです。
日本の倫理学の父とも言われる和辻哲郎が唱えました。
日本の性質を分析した倫理学を知ることは、日本の課題や評価される点を見つめなおす視点を与えてくれます。
間柄的存在とは
間柄的存在とは、人を人との関係(社会での協調)と個人(個性)とでとらえること。
和辻哲郎(1889~1960)によって唱えられました。
人は時としてみんなの中で個性を発揮します。
意見をのべたり、何か得意なものや自分の考えを持ったりといった個性の発揮です。
この個性の発揮を自己の肯定ととらえます。
しかし、社会の中ではときとして自分を否定する場面が現れます。
自分のことは考えずに他者を助けようと考えたり、会社の規則に従おうとします。
社会での協調を自己の否定ととらえます。
この二つの繰り返しが真の人間性をつくりだすと和辻哲郎は言います。(続哲学用語図鑑参照)
では、具体的に見ていきましょう。
間柄的存在の具体例
例えば、学校生活です。
今のところは、タブレットは持ち込まないことにしました。
どんなにタブレット勉強がすぐれていると思っても、学校指定のものが出来るのをまったり、校則が改正されることがなければ持ち込んではいけないのです。
この個性の発揮と社会での協調で人間性をつくることが、間柄的存在です。
校則に納得がいかなければ、校則を変える運動を起こしたり、環境を変えたりと、また個性を発揮することはできます。
そこまで反対ではなければ、その校則の中で自己を発揮していきます。
和辻哲郎は個人と社会のどちらか一方に比重がかたむくと、利己主義や全体主義をまねくと考えました。
自分のいる社会全体をよりよいものにしようとするこの繰り返しが、倫理の根本であると和辻は考えました。
間柄的存在と心理学
和辻哲郎はこの間柄的存在を日本の倫理学として述べているのですが、心理学にも通じる思想になると私は考えました。
例えば、2016年話題になった本「言ってはいけない」ではこのように書かれています。
「アメリカの心理学者ハリス(1938~2018)の集団社会化論では、子どもの人格は遺伝的な適性と友だち関係との相互作用のなかでつくられる、と考えた。」
この話は物議をかもしたと言われています。
その理由は、子育てにおける親の役割を重要視しなかったからです。
しかし、この間柄的存在に当てはめてみてみます。
個性とは個人の持つ、それ特有の性質や特徴なので遺伝と考えます。
社会での協調は幼いうちは友だち関係と考えます。
その個性の発揮と社会での協調との相互作用で人格が形成されていくという論には、共通点が見つけられます。
それに加え、心理学を分析した自己啓発本では自分の周りの人と自分が似てくるとよく言われています。
個と社会の相互作用から、私が周りの人から影響を受けていると考えられます。
その場合も、環境を変えたり、新しい友だちをつくることで自分を変えられます。
では、この間柄的存在に影響を与えたという空の思想を見ていくことで理解を深めていきます。
間柄的存在における空の思想
間柄的存在に影響を与えた空の思想をみていきます。
空の思想とは万物は単独では成立できず、常に何かによって存在して、実体を欠いているとする思想です。
和辻哲郎は西田幾太郎の絶対無の思想から、空の思想を捉えました。
その影響を受けたと思われる、絶対無の一部分、絶対無の場所を見ていきましょう。
西田幾太郎の絶対無の場所とは
絶対無の場所とは、個物は実体を欠いているという意味です。
個物は「~である。」という術語が集まっていますが、術語の集まりだけしか存在していません。
具体的にみていきます。
男の子。怖がり。ロゴが好き。
本人をみないとわからないな。
例ではあえて同じ術語を使用しましたが、西田幾太郎は個人において、無限の術語が適用されるといいます。
5歳児の日本人⇒日本人は人間である⇒人間はほ乳類である⇒ほ乳類は生物である⇒・・・
このように無限大の術語の場所を絶対無の場所といいます。
どこまでも広がり、どこまでも狭まります。
すると、実体を欠いていると感じます。
ここから和辻哲郎は空の思想をとらえました。
ちなみに、この絶対無の場所を体験することを解脱といいます。
和辻哲郎の空の捉え方
和辻哲郎の空は、万物は因果関係で成り立ち、単独では存在できないと考えます。
具体的にみていきます。
僕は水がないと存在できない。
僕は日光がないと存在できない。
万物は「あれがあるからこれがある」とつねに何かに寄って存在します。
術語の集まりがないと、実体を欠いてしまうからです。
和辻はこれを間柄的存在に当てはめ、個人は社会がないと成立せず、社会は個人がないと成立しないとしました。
日本における間柄的存在は、西洋哲学のように個を重視する見方とは違い、人との関係で成り立ちます。
そこから、日本社会が人間関係を重視したり、個人よりも組織を優先しがちになるという解釈ができます。
和辻哲郎は風土によって人間性を分けられると考えました。
なので、日本と西洋のような対比を考えることができたのです。
間柄的存在のまとめ
間柄的存在とは、人を人との関係と個人とでとらえることです。
個性の発揮を自己の肯定、社会での協調を自己の否定ととらえます。
この二つの繰り返しが真の人間性をつくりだすと和辻哲郎は言います。
心理学や自己啓発本でも、環境と遺伝が人格形成をすると言われていることに結びつきを私は感じました。
間柄的存在は西田幾太郎の絶対無に影響を受けています。
絶対無の場所によれば、自己は術語の集まりで成り立つので実体を欠きます。
その絶対無の場所の概念から、空の思想を和辻は考えました。
空の思想は、万物は単独では成立できず、何かに依存するので実体を欠くと考えます。
なので、個人は社会がないと成立せず、社会は個人がないと成立しないと言いました。