21世紀の哲学でよく問題にされていること。
それは視点です。
今をときめくマルクス・ガブリエルの哲学ではよく視点が語られます。
視点を具体的に見ていく方法が「13歳からのアート思考」(末永幸歩 2020)に書いてありました。
わかりやすく、すぐに実践できるアート思考です。
これを知ると20世紀に生まれたアート作品に様々な視点を持てます。
それでは、本を紹介していきます。
アート思考が求められる理由
アート思考が求められるのは現代社会が「VUCAワールド」(ブーカワールド)だからだ、と本では語ります。
VUCAとは、変動、不確実、複雑、曖昧の4つの語の頭文字から取った造語です。
「あらゆる変化の幅も速さも方向もバラバラで、世界の見通しがきかなくなった」ことを意味します。
世界の変化の度にマニュアルを見つけていくよりも、自分なりの答えを作る力が求められています。
アート思考とはアーティストのように考えることです。
アーティストがどのように考えているかと言うと、次の3つに要約されます。
②「自分なりの答え」を生む
③「新たな問い」を生み出す
筆者は20世紀に生まれたアート作品から6つの授業を通して、私たちの視点を広げてくれます。
なぜ20世紀のアート作品から見ていくかと言うと、カメラが普及したからです。
1826年に世界最初の写真が撮られました。
カメラは現実世界を写します。
目に映るとおりに世界を描くゴールがなくなったときに生み出された作品から、様々な視点が見て取れるようになりました。
つまり、模写に忠実だった作品から、忠実ではなく独創性があふれる作品が多数生み出されるようになったのです。
具体的に見ていきます。
アート思考の6つの授業
筆者は6つの授業から、私たちの視点を増やします。
各授業に問いを立て、その答えを私たちに考えさせようとするのです。
①「すばらしい作品」ってどんなもの?
この授業では、≪緑のすじのあるマティス夫人の肖像≫を題材にしています。
「20世紀のアートを切り開いたアーティスト」と呼ばれるアンリ・マティス(1869~1954)の作品です。
絵を見なくても、題名からわかること。
顔に緑のすじがあるということです。
マティス夫人の顔に緑のすじを描くことで、マティスはアートにしかできないことを表現しました。
こんな人に出会ったら私も逃げ出すだろう。
まず一つ目のルネッサンスから続いていた色から見るアートの常識を崩したのです。
マティスの絵の評価は、時代によって変わりました。
私たちの視点を変えた「すばらしい作品」として見ることができます。
②「リアルさ」ってなんだ?
筆者は目に映る世界のウソを例にあげます。
「遠近法こそが、リアルな絵を描くための唯一無二の方法だ」とほとんどの人が信じていることを批判しました。
よく目の錯覚が問題に出されます。
左右の真ん中の丸のサイズは同じ大きさなのですが、違って見えます。
「遠近法に慣れてしまった私たちの脳」と筆者は表現します。
遠近法に触れたことのない人がこの図をみたら、同じ大きさだと言うのではないかと本では述べられていました。
鑑賞されることを想定していないエジプトの絵にも触れます。
リアルを疑うことができる「リアルな絵」の視点を私たちに教えます。
③アート作品の「見方」とは?
授業では、何も具体物が書かれていない絵を題材にしていました。
アートには具体物がなくてはいけないの?
そんな問いから、具体物がなくても無性に惹かれる絵を紹介しています。
見る人が想像力をかきたてられる絵は、見る人と作品を対話させます。
私がそれを気にしているだけなのかな。
正解がないので、何を思ってもいいのです。
日本の茶道の逸話にも触れています。
豊臣秀吉が庭に朝顔が咲いていて美しいと聞いたので、庭に見にきました。
すると、朝顔の花だけがすべて摘み取られていたのです。
千利休は茶室に秀吉を案内しました。
そこには、一輪の朝顔だけがありました。
おそらく、これを見た秀吉は同じような朝顔が庭に咲いていたのだと想像したのでしょう。
秀吉に空白の庭と一輪の朝顔から想像上の庭を味合わせたと見ることができる、と本では述べられていました。
想像でアートを感じます。
④アートの「常識」ってどんなもの?
ここではアートの常識自体を疑う見方を紹介しています。
マルセル・デュシャンの「泉」という作品を登場させていました。
この作品、実はただの便器です。
デュシャンは便器を選んでサインをし、「泉」と名づけました。
最も愛好される可能性が低いものを選んだのだ。よほどの物好きでないかぎり、便器を好む人はいないだろう。
この作品は視覚では表現されていないのです。
これを見た人は衝撃を受けます。
キレイな美術館にトイレを飾ることで、見る人に違和感を与えます。
私の見方は美を前提をおいていた。
そんな常識を覆したのです。
他にも、作品を触覚で味わう方法を述べていました。
⑤私たちの目には「なに」が見えている?
この授業では「らくがき」に見えるような絵を紹介していました。
らくがきを見せられると私たちは描いた人のことを思い浮かべます。
他にも、「物質としての絵そのもの」に視点を移してジャクソン・ポロックの絵「ナンバー1A」を紹介していました。
⑥アートってなんだ?
最後の授業では、身近にあふれるような洗剤やゲームをアート作品として見ていました。
アンディー・ウォーホルの「ブリロ・ボックス」という作品を紹介しています。
この作品のイメージは、私たちの洗濯に使う「アタック」や「アリエール」などを積み上げたものが作品になったと考えて下さい。
「オリジナルではないみたいだよ。」
「ただ簡単に印刷したのを張ったんだって。」
「アンディー・ウォーホルについて知りたいのなら、ただ僕と僕の作品のウワベを見て下さい。それがすべてです。ウラにはなにもないのです。」
このようにアンディー・ウォーホルはのべます。
授業を受けてきた人は、作品のウラを探そうとします。
しかし、ウォーホルはウワベだけを見てと言っているのです。
筆者はここから、アートという枠組みを崩す視点をみていました。
注意したいのは、アートの枠組みを崩してもアートがなくなってしまうわけではないということです。
自分なりの視点を見つけ出させます。
以上の6つの視点を紹介していました。
ここで紹介しているのは、その視点の一部なので気になった方はこちら。
>>「自分だけの答え」がみつかる13歳からのアート思考(末永幸歩)
アート思考から、視点を広げた例
私が本を読んで得た視点の違いを具体例で説明していきます。
日常の視点を広げた具体例
この見方は⑤で習ったことから子どもを見た視点です。
作品そのものに焦点を当てるのではなく、子どもの様子に焦点を当てました。
さらに、カメラの普及から視点を変えてみます。
なくなったものに視点を広げた具体例
アートでは、カメラの導入で新しい視点が広がっていきました。
では、他のテクノロジーの導入によって、私たちが得た新しい視点にはどのようなものがあるでしょうか。
身近なもので言えば、パソコン。
パソコンの普及で私たちはおぼろげな記憶からでも、すぐに検索がかけられるようになりました。
学校での試験の形態も、記憶力から思考力に移り変わってきています。
テクノロジーの発展は、私たちの視点も変えていきます。
パソコンにできないことは何か?
この問いも一つの視点です。
さらに、人工知能が発展していくと、シンギュラリティが起こると言われています。
ちなみに、シンギュラリティとは人工知能が人間の頭脳を超えて、ノーベル賞級の発明をすると考えることです。
そんな発展の期待のある人工知能にできないことは?という問いもまた一つの視点です。
また、力仕事も機械が担う時代。
力強さはどのようなものになったのでしょうか?
昔ほど必須ではなくなっています。
このように、技術の発展と共に問いも増え続けます。
カメラが普及してきたときに、19世紀の画家ポール・ドラローシュはこう言ったそうです。
「今日を限りに絵画は死んだ」
正確に写実する意味がなくなったからです。
しかし、アートは発展してきました。
必要がなくなってきたものに向ける視点は新たに生まれ続けます。
近代芸術がナチス政権によって制限された歴史もあります。
その背景には、当時の人々が様々な視点を持つことを恐れたのではないか?という問いも持てるのです。
13歳からのアート思考-まとめ
「13歳からのアート思考」を紹介してきました。
カメラの普及してきた時代。
20世紀に生まれたアート作品から様々な視点を見てきました。
「自分だけのものの見方」
「自分なりの答え」
「新たな問い」
それぞれの視点が広がることを授業を通して感じられます。
そして、作品を見るだけでなく日常にも問いを生み出させます。
様々な視点を持つことは、21世紀の思考にかかせません。
時代は変化するからです。