哲学者とはどのような人のことを言うのでしょうか?
哲学という言葉自体が幅広い概念を持っている中、さらにそれをやっている哲学者とは?
「哲学の教科書」(1995 中島義道)
「哲学ってどんなこと?」(1993 トマス・ネーゲル)
今回はこれらを参考に、哲学をしている人と哲学者を詳しく見ていきます。
ネーゲル「哲学ってどんなこと?」から哲学者を考察
この二冊の本で言われている哲学をしている人とは、常識につまずいている人です。
まずは「哲学ってどんなこと?」を詳しく見ていきます。
アメリカの哲学者トマス・ネーゲル(1937~)は今、もっとも注目されている哲学者の一人です。
マルクス・ガブリエルもたびたび彼の論文を引用しています。
では見ていきましょう。
ネーゲルは哲学の核になっているのは、人間の精神が反省を行うとき、当然疑問になるような問題だといいます。
例えば、算数を習っているとします。
先生であれば、数と数で成り立つ関係を子どもに教えます。
そのとき、子どもが「数ってなんだろう?」と疑問に思ったとします。
これが哲学の問いです。
他にも、歴史の授業であれば先生は過去にあったことを説明します。
そのとき、「時間ってなんだろう?」と疑問になるのが哲学です。
「私たちはみんな、日々、非常に一般的な観念を用いているのですが、そうした観念について、とりたてて考えてみることはありません。ところが、哲学が主に関心を寄せているのは、この観念を問い直し、理解することなのです。」
一般的に哲学は常識を疑うことだといいます。
一般的な観念がわからないので、そこが疑問になるのです。
「哲学のネタは、世界から、そして世界と私たちの関係から直接生まれるのであって、過去の著作から生まれるのではありません。」
哲学の問いは、何千年にわたって本に書かれてきました。
でも、問いが発生するのは日常の中です。
なので、子どもが哲学的というのは的を射ています。
ネーゲルは、さらに続けます。
「哲学は科学や数学とは違います。科学とは違って、哲学の頼りになるのは、実験や観察ではなく、思考だけです。」
哲学の頼りは、思考だけと言います。
なので、哲学を勉強するためには個々の問題について考えることだとネーゲルは述べます。
「心」「時間」「存在」「言語」「自由意志」「私」などなど、抽象的な概念はたくさんあります。
あなたはどのような常識につまずくでしょうか?
自分の問いから、それを突き詰めようとしているとき、その人は哲学をしているのです。
まとめると、ネーゲルの哲学をしている人とは常識につまずいて自分で思考をして、そのつまずきを突き詰めようとしている人のことです。
次に「哲学の教科書」から、哲学をしている人を見ていきます。
中島義道「哲学の教科書」から哲学者を考察
「哲学の教科書」では、哲学を何でないかを説明します。
哲学は思想ではない。
文学、芸術、人生論、宗教、科学ではないと中島義道は述べます。
「哲学の大きな特徴は、足元にころがっている単純なことに対して、誰でもどの時代でも真剣に考え抜けば同じ疑問に行き着くという信念のもとに、徹底的な懐疑を遂行することです。」
単純なことに対して疑問を持ち、それを解決しようとしている間だけが哲学をしていると述べます。
つまり、謎が解明して問うのを止めたとたん、それは思想になるのです。
例えば、デカルトは物事を理解するときに、なんでも疑問視しました。
すべてを疑ったときに、疑えない「私」を発見して「我思う、ゆえに我あり」が答えとしてでてきました。
答えを受け入れると、もう「私」を疑いません。
これでデカルトの「私」という基盤を見つけ出す哲学は終わって、思想になるのです。
また他の謎を追い続けている間は、他の謎について哲学をしています。
でも、またそれについて考えなくなると、思想になるのです。
常識につまずいてしまって、それについて引き回され、悩み続けることが哲学だと本では述べられています。
哲学は、よりどころになるものが思考です。
答えをいくらでも疑うことができるのです。
疑って、自分で納得が出来れば、いったんは哲学が終わります。
哲学者ニーチェは発狂してしまったと言われています。
答えを見つけることができずにもがき苦しんだのか、どのように発狂してしまったのか、私たちは想像するだけです。
この哲学の性質から言えば、人は哲学ができることが限られてきます。
疑問に思わない謎は、思想を受け入れているからです。
ちなみに、「哲学の教科書」では哲学をしている人と、職業としての哲学者を分けています。
哲学をしている人と哲学者
哲学者の条件の第一は常識につまづいて、それを少なくとも一時期は、つきものに憑かれる様に捕らえられてしまうことだと本では述べられています。
何をしていても、ふとその疑問に関連させて考えます。
これは哲学をしている人でもあります。
そして、第二条件が言語による高度のコミュニケーションです。
謎を論理的に精緻に語りつくすところに哲学の真骨頂があるといいます。
子どもは哲学をしていますが、それを言葉にして表すには高度な教育と訓練が必要です。
「他人の語る内容を正確に理解するとともに自分の考えを論理的に表現し他人にわからせる能力が要求される。」
では、具体的に歴史から哲学者と言われている人々を見ていきましょう。
歴史からみる哲学者の具体例
哲学者と定義されている人々は、本で哲学や思想を語っています。
そんな彼らの根本的にしていると思われる問いをみていきます。
デカルトは夢と現実の違いから「私はあるのか」につまずきました。
そして、哲学して「我思う、ゆえに我あり」という答えを見つけました。
モンテーニュは、本を多く読んだのですが、物忘れがひどかったといいます。
私ほど忘れる人はいないと自負していたそうです。
そんな彼が疑問に思ったことが「私は何を知っているのか」という問いです。
本を読んで知識を得ても、それをどんどん忘れてしまう。
モンテーニュにとって、その問いは切実なことだと感じられます。
マルクス・ガブリエルは「わたしたちはどこから来たのか。わたしたちはどこに存在しているのか。」を小学生時代に疑問に思ったそうです。
その問いから、ベストセラー「なぜ世界は存在しないのか」がうまれています。
実体験に基づく解説は、心を動かされます。
中島義道は、「死」について考え、死を最大の哲学問題だと言っています。
体感できるエピソードは「哲学の教科書」に載っています。
あなた何にひっかかるでしょうか?
歴史に存在する哲学者は大勢います。
その中で、自分が根本的に問題にしていることを哲学できるのです。
ここで一つ疑問になります。
私たちは疑問にならないことでも哲学書を読みます。
哲学をすることは、哲学書を読むことではありません。
では、哲学を学ぶ意味とは何でしょうか。
哲学を学ぶ意味とは
哲学をしている人になるには、自分が問いを持つというハードルがあります。
では、その問いが無い場合、哲学を読んで学ぶことの意味はなんでしょうか。
これは、哲学者の第二条件、高度な言語コミュニケーションを学ぶことです。
本を読むことで、自分が謎に思わなくても他人の見解や視点を学べます。
他人のつまずきから学ぶ
常識につまずいた哲学者の本は、問いとその問いが出るきっかけになったことを教えてくれます。
例えば、私たちはクイズを出されると解こうとします。
そのクイズはまったく考えていなかったのに、出されると考えはじめます。
そして気がつきます。
答えを出すことが難しいことに。
哲学はこれと似ています。
私たちは問いを自分で持つことができなくても、他人の視点から問いを持つことができるのです。
哲学書が哲学のきっかけになることは十分あります。
次に、世間で良く問われている哲学は役に立つのか、も見ていきます。
哲学は役に立つのか
哲学は役に立つのかと議論されることがあります。
ここで役立つと思われる視点を私なりに述べていきます。
まずは常識につまずいたときに、そこから助けてくれる一番の人物は同じつまずきをした人です。
自分がわからなくなってしまった常識を、再び捉えなおすことができます。
次に、相手の視点でものを考えることができます。
哲学の語源、フィロソフィーは知恵を愛するという意味です。
この人はどんな考え方でその答えを出したのか。
どんな考え方でその疑問を出すにいたったのか。
それを考える、想像するという楽しみを持つことができます。
他には、哲学は常識を疑うので、哲学の祖ソクラテスが死刑になったように同じ時代の人々から嫌われてしまうことがあります。
哲学を学ぶ態度を身につければ、常識から外れるからといって嫌ったり、一方的な偏見を持ってしまうことが少なくなります。
哲学の意味を3つの観点から見ていきました。
さらにマルクス・ガブリエルが述べる「哲学が21世紀で必須になってきた理由」についても述べます。
21世紀で哲学が必須になってきた理由
さらに、マルクス・ガブリエルの視点では、哲学を学ぶことが私たちの生活を守るために必須だと言います。
ドイツ哲学者の彼は、ヒトラー政権による差別主義から哲学を捉えなおします。
この差別主義を後押ししてしまった原因の一つが、その頃に流行っていた哲学思想にあったと言われています。
もし、哲学が差別主義を生み出してしまったのなら、もう一度その常識を問うことで、差別主義を生まない概念をつくらなければいけません。 「全体主義の克服」(2020,8)
人はクイズを与えられて考え出すように、言葉ができるとそれについて考えることができます。
言語コミュニケーションを活発にさせる言葉を、哲学は生み出すことができます。
哲学者とはーまとめ
トマス・ネーゲル、中島義道の著書から哲学をしている人と哲学者を詳しく見てきました。
哲学をしている人は①。
哲学者は①と②です。
②高度な言語コミュニケーションを使える人。
私たちは、自分で常識につまずかなくても本を読んで問題を自覚することがあります。
自分にとって哲学が役立つかどうかも問いを立てられます。
そして、哲学の語源にも触れました。
哲学の語源は知を愛することです。
自分には理解できない考え方を出されたとしても、そんな見方もあるのかと考えることができます。
さらに、哲学は言語を使って新しく概念をつくりあげます。
みんなが考えてこなかった疑問を考えさせるように仕向けます。