ソクラテスは本を書きませんでした。
今残っているソクラテスに関する逸話の多くはプラトンによって書かれています。
ソクラテスはなぜ本を書かなかったのでしょうか。
一番の理由は、ソクラテスは書き残すことに価値を見出さなかった、ということ。
この記事を読んでいる本好きなみなさんなら、理解し難いことだと思います。
私もです。
でも、なぜなのでしょうか。
文献などから、本を書かなかった理由を3つ挙げて、ソクラテスの理解に迫っていきます。
ソクラテスが本を書かなかった理由3選
- 青少年を堕落させる
- 誤った情報は対立を生む
- 根本的な理解は対話を通さないと伝えられない
これらを順に説明していきます。
ソクラテスが本を書かなかった理由①青少年を堕落させる
「ソクラテスの弁明・クリトン」に、ソクラテスが裁判にかけられている様子が書かれています。
なぜソクラテスが裁判にかけられたのでしょうか。
「国家の信じない神々を導入し、青少年を堕落させた」
このように、宗教犯罪で神を冒涜した罪で訴えられたからです。
青少年を堕落させた罪で裁判。
しかし、ソクラテスは日々、対話を通して人々に「無知の知」を自覚させてきました。
(>>無知の知とは)
堕落とは逆です。
ソクラテスは対話によって道徳的な生き方を説いていました。
では、なぜ「青少年を堕落させた」と解釈されてしまったのでしょうか。
その原因の一つは、ソクラテスの対話を周りで見ていた青少年にあります。
なぜソクラテスの対話を見ていた青少年が堕落してしまったのかを見ていきましょう。
対話を見ていた青少年を想像する
ソクラテスの周りには青少年が集まってきていました。
青少年たちはソクラテスの元で勉強しようとしていたのです。
そこでソクラテスがしていたこと。
自分では知恵があると思っている人を対話によってまずは「無知の知」に導いていったのです。
自分は何でも知っていると思い込んでいる人に対して、その思い込みを自覚させました。
例えば、「自分は勇敢に悪に立ち向かって敵をやっつけたから正義だ!」と語っている人がいたとします。
「正義とは何か?」
その人の正義は「本当の正義」なのか。
そのようなこと相手に突きつけます。
もしかしたらやっつけてしまった行為は正義ではないかもしれない。
ソクラテスと対話することで、自分を信じていた人が自分を信じきれなくなります。
人は間違いを指摘されることを嫌う傾向があります。
自尊心を傷つけます。
時代の権力者など、ソクラテスと対話した「偉い人」は間違いの指摘を人に見られることを嫌いました。
しかし、青少年たちはその姿を見ていたのです。
対話を見ていた青少年が思うこと
ソクラテスの周りにいた青少年たちは、相手が論破されるのを喜んだと言います。
自信満々な偉い人々が論破される面を見るのはおもしろいかもしれません。
ソクラテスの周りの青少年が従っているような偉い人が論破されているのです。
青少年たちは、まるで自分たちがその偉い人より偉いのではないかと、優越感にひたります。
ソクラテスが論破したシーンを見る
- 論破された人は自尊心が傷つく
- 周りで見ていた青少年たちは優越感にひたる
こうしたことが積み重なって人々の反感を買い、訴えられてしまったと想像できます。
ソクラテスは青少年を堕落させている罪で訴えられました。
もちろん、ソクラテスは国家に忠実であり、対話相手には道徳的な生き方を説いています。
その根拠として、ソクラテスは国家に背かないために、国家が下した死刑判決を受け入れました。
青少年たちの態度は、人をあざ笑ったりするような、人の欠点を喜んだりするような態度であったかもしれません。
実際の対話シーンを見ていないので、見ていた青少年、論破された偉い人、その人たちがどんな態度だったのかは想像するしかありません。
しかし、ソクラテスが対話を文章化しない理由の一つはここから読み解くことができます。
対話に参加していない青少年を堕落させたくなかったのです。
ソクラテスの対話は、相手に合わせた対話。
なので、一般化されて文章に残ると誤解が生じるようなものになることは想像できます。
相手の知識量、相手の先入観、相手の言葉遣いなど、相手に合わせて対話するからです。
例えば、相手が「正義」という言葉を使っていたとしたら、相手の「正義」の意味を読み取りつつ対話します。
聞くだけでは誤解が生じるように、読むだけでも誤解が生じるのです。
では、次の理由に移ります。
ソクラテスが本を書かなかった理由②誤った情報は対立を生む
ソクラテスは裁判にかけられました。
有罪か無罪かは当時の市民が投票します。
当時の人口(500人ほど)による裁判は、死罪に反対・賛成が約30票の差で、死罪が優勢でした。
ソクラテスは時間があったら、一人一人と対話して弁明できたと述べています。
けれど、ソクラテスは裁判で死刑判決。
裁判所のソクラテスの演説では、この票がくつがえりませんでした。
そして、素直にソクラテスはこれを受け入れています。
ソクラテスが悲しい感情や怒りの感情を言うことはありませんでした。
ポイント
- 対話は1対1ならば説得ができる
- 最後のソクラテスの演説は、大衆にうったえかけたもの
ここからも対話を本にしないで欲しいという理由が見えてきます。
ソクラテスが生涯をかけて実践した対話は1対1のとき。
ただ彼の演説を聞いていた多くの人々には「知」が届きませんでした。
民衆の280人のうち30人すらも対話をしなければ、意見が変わらなかったのです。
届かなかったから、投票では死刑になってしまいました。
この時点で、演説で訴えるよりも、1人1人と対話をする必要性が伝わります。
実際の対話内容は青少年を堕落させてはいないのですが、聴衆は真意を掴めていないのです。
ソクラテスは1対1の対話にこだわったので、最後の演説がみんなに効果がないことは受け入れるしかありませんでした。
広く伝えられる情報という意味で、ここでは演説を本に例えることができます。
本が情報を伝えることによる弊害
ソクラテスは演説で人々を納得させることができず、死刑が決まりました。
死罪の理由「青少年を堕落させた」という根拠がないにもかかわらず。
ソクラテスの演説で30票がくつがえらなかった理由から、私たちは情報を誤解をすることがわかります。
例えば、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ということわざ。
ことわざにもある通り、聞くのは一時の恥という感情を抱かせます。
知識になるには恥というその過程を通るのです。
「知」を伝えるのは難しい。
情報だけを広めることが、ソクラテスにははばかられたのです。
「知」ではなく情報が広まると、誤解は多くなります。
情報が誤解によって広まった結果として、ソクラテスは死刑判決を受けました。
では、最後の理由に移ります。
ソクラテスが本を書かない理由③根本的な理解は対話を通さないと伝えられない
前の段落で、もしこれが1対1の対話で伝わっていたのなら、誤解はある程度防げたと述べました。
ソクラテスはこんな問いを友人のクリトンに投げかけます。
「どんな人にも仕返しに不正をしない。
人に害悪を加えることも、どんな人にでもあれしない。自分が何をされても。」
これに同意できるか、と。(「ソクラテスの弁明・クリトン」 参照)
この意味は、「ソクラテスは自分の信念を貫いた。その信念の元にした国家が私に死罪を決定した。私が元にした信念をくつがえすことは私のやってきたことを否定するようなもの。やってきたことを否定しないためならば、この死罪も受け入れよう」というように解釈ができます。
- ソクラテスは自分の信念を貫く
- 信念は国家に基づいている
- 国家に逆らうことは、自分の信念をまげること(不正をすること)
- 国家に従う(死罪を受け入れる)
ソクラテスはこれに同意できる人は少ないと述べます。
確かに、人はひどいことをされたら仕返しをするかもしれません。
喧嘩がいい例です。
相手に殴られたから自分も同じようにやり返す、というような。
「目には目を、歯には歯を」というハンムラビ法典にもあるように、大半の人は同程度の仕返しを求めています。
しかし、ソクラテスは人に害悪を加えないと述べるのです。
根源からの意見の対立はお互いにお互いの意見を軽蔑しあうようになる、と。
ソクラテスは主知主義で、国家を信念にしていました。
「人は本来、道徳的な生き物で、道徳的な行いをしているときが最も幸福だ」とソクラテスは述べます。
そして、道徳的な行いはどのようにしたら出来るのかというと、自分の魂を「知」によって磨くことによって出来ると述べるのです。
ソクラテスの考え
- 人⇨道徳的な生き物
- 道徳的な行い⇨魂が磨かれる
- 人に害悪を与えない⇨すぐれた魂の結果
ソクラテスは生涯において真実の「知」までには至らないと言いますが、ある程度魂を磨いていると自分で自覚していました。
磨いた結果、害悪を加えないという自分の信念にまで達しているのです。
なので、素直に国家の信念に従って、ソクラテスは死罪を受け入れました。
ソクラテスの親友クリトンにすら、「クリトンは同意しなかったかもしれない」とソクラテスは思ったのです。
でも、ソクラテスはそれをすることが信条に反してしまった
ソクラテスの「知」は現代に適応できるのか
ソクラテスは徳とは何かを生涯追い求めていて、自分の魂を磨いた結果としては死罪を受け入れることになりました。
では、現代ではその考え方は通じるのでしょうか?
ソクラテスの真似をすれば、「知」を手に入れることになるのでしょうか?
ソクラテスは彼のいた国家や国法に従って死罪を受け入れました。
現代の私たちには「私たちの法律」が存在しているので、私たちがソクラテスを学ぶには私たちの国を知る必要があります。
ソクラテスはそのときの国家や国法に従って死罪を受け入れたのであり、それはそのまま私たちには当てはまりません。
死刑制度の是非や、害悪の捉え方など、私たちはまた「知」を現代の対話から知っていくことができます。
また、法律は変えることができます。
現代を知り、今の国を知り、その「知」が獲得されていきます。
ただソクラテスの真似を本からすればいいわけではないのです。
ソクラテスは対話を実践してきた結果、直接の対話を通してしか「知」は伝えられないと実感したのだと考えられます。
演説は死刑に向かい、理解されませんでした。
対話の重要性と、演説(本)の不確かさを説きました。
なので、ソクラテスは自分の対話を本(情報、演説)にしてしまうことをしなかったのです。
しかし、弟子のプラトンはソクラテスの教えを本にしました。
プラトンは本によって対話はできるという立場です。
多くの本好きな人は、プラトンの立場かもしれません。
>>対話の目的は言葉の消滅
ソクラテスが本を書かなかった理由のまとめ
ソクラテスが本を書かなかった理由を3つ述べてきました。
- 青少年を堕落させる
- 誤った情報は対立を生む
- 根本的な理解は対話を通さないと伝えられない
現代は情報化社会と呼ばれています。
ソクラテスの「知」を意識しなければ、私たちは情報ばかりがたまっているかもしれません。
しかし、対話を通して「知」を獲得していくことができます。
ソクラテスが価値を求めなかった本に対して、プラトンは何回も書き直しをして本を仕上げました。
本から知ることは難しいと知るからこそ、本に対しても、私たちは対話を求める態度を取ることができます。
対話で同じ考えにならなくても、考えは取り入れることができるのです。
本に真摯なプラトンの態度から、プラトンは本からの誤解をさけ、人々に本との対話を望んだのではないかと考えられます。