おはようございます。けうです。
kindle本とは何か。
これについて話したいと思います。
科学情報は信頼するということ
私は発売した本「天才脳の秘密」を批判されました。
批判内容は、私が記述した研究結果や研究方法、その効果などが二次的なものだ、ということです。
確かに、私は二次的な「もう一つの脳」という本を読みこみました。
それは出版されているから、その方々の言っている研究結果は本当なのだろうと私は信頼してそこから読み込んでいたということ。
本の出来方というのは、何人もの人が正誤チェックをします。
それでも間違っていることはあるけれど、素人の私が一時的な資料を読み込んで、これが間違っている!なんてなったらどう考えても私の方が間違っていると私には思われるんです。
私は専門的な知識を持たないし、私の解釈がそうなのかチェックしてもらう相手がいない。
でも、そうだからこそ、有意義な研究結果というのが世間にはでまわらない。
グリア細胞の知識も2000年には出ていたけれど、有名にはなっていない。
私は2002年の本「天才と分裂病の進化論」を参考にしたりしましたが、その本内容の研究がされているのか、ネットで検索してみました。
そのときに、されてはいたんですけど、素人は読み取れないだろう専門用語ばかりがでていたんです。
そして、それはそうしないといけない論文の形式があって、その通りに専門家には読み取れるようになっているんだろう、と思いました。
私はその用語を知ったから、その用語で解釈していく。
でも、解釈結果がこうであっているのか、ということがわからないと思ったんです。
それで、そのことを確定させようと私は2次資料でわかりやすいものを検索するんです。
そして、思うのは、私の解釈は私の独断ではありえないということ。
特に科学的なものを参照にするときはそう思います。
それでも、信頼のあるものを参照によくよく読み込んではいますが。
科学的なものをみたときに、私の無力感は感じるのですが、もしこの科学研究の結果が本当だとしたら、
人間ってこう解釈できる。
困っている事柄に対して、このアプローチができる。
原理を知ることが出来る。
私はこうやって新しい知識を得たときにそれまでの知識が更新されて触発されるんです。
例えば、ASDについて脂肪が有用だよ、とか、ミラーニューロンに影響を受けているんだ。とか、本から読み取ったとします。
もしそれがそうだとしたら、こう考えられる。
としたら、今までの一面的な捉え方が他の面から見えて、そのものがより身近になってくると思いました。
科学は私が批判を受けたように、素人が扱うと非難がきます。
それでなのか、科学研究は閉じたものになりがちですよね。
ある資本をもった大企業が、会社の利益のために科学者を雇うと言うこともあるし、その研究結果を企業の利益に結び付けなければいけなかったりする。
なんというか、専門家以外の人に関しては、その本を信頼するしかないんですよね。
自分で資料に当たってみても、私はきっと他の解釈を参考にしながら読み解くので、どこまでも信頼をして読むしかないから。
そして、私は気がついたのですが、本を参照にしていることが多いです。
自分一人の解釈だけだと信頼がおけないから、多方面からは解釈しているんですよね。
決して、私はこれができるから私の解釈だけで十分だ、ということはない。
だから、私は本をたくさん読むし、書くことについての知識は信頼を得ておこうと思います。
ソーカル事件
昔、哲学界でソーカル事件というものが起きました。
それは哲学なんですけど、数式で説明したみたいなんです。
難解な数式を書いて、これがこうだからこう推測できる。
その論文がみんなに認められたんですよね。
1995年にアラン・ソーカル教授の現代思想が学術誌に論文として掲載されたんです。
ソーカル教授がポストモダン思想家の文体を真似て、科学用語と数式をちりばめた「無内容な論文」を作成した。
「量子重力の変換解釈学にむけて」というような内容だった、と。
きっと私も騙されます。
本に書いてあることがそうだろうというように、信頼をしているから。
そして、疑問に思ったとしても、それを聞けたとします。
それから専門家がこれであっているよ、といわれたら、私はそれをまた信じるということ。
情報を信頼する態度とは
かといって、信頼する、信じるという私の態度はどのようなものか。
それを考えなければいけないんですけど、私のその情報はそのくらいのものだから、いつでも揺らぐんです。
確定されていない。
2000年の実験ではこうでした。
でも2010年には覆されてこうでした。
となった場合に、私はすぐに情報を更新すると思うんです。
そのくらい私の信頼というのは移ろいやすい。
その時点で確定的になっていて、専門家が多く納得している事実を私も信じているということ。
そして、それはそのくらいの情報であるから、私はまたすぐに情報を更新できるということ。
それでも、情報を得たら、そのことについて思考はめぐらせます。
そして、自分に結びついたものがあるとしたら、その情報が自分に身についた知識になったりはしています。
限定的になりますが自分に当てはめられるものは、ですね。
自分一人での限界です。
kindle本のあり方
そして、kindle本のあり方なのですが、kindleは専門家の閲覧がありません。
これを出版してもいいのか、機械が判断します。
kindle本というのは紙の本に比べては信ぴょう性が低い。
でも、もっと信ぴょう性が低いのはネット情報なんです。
だれも閲覧することがなく乗せれるし、ネット検索の上位に上げる方法を知っている人はその方法によって記事を上位表示できる。
今のブログ界では、ブログの記事の質は問われません。
上位表示されているものはノウハウに従ったもの。
こうすれば上位にいけるよ、という一定のルールに従ったものが上位に表示されます。
だから、いくら良いブログ記事を書いても、そのことによって上位に行くことはないし、みんなに見てもらえない。
でも、kindleというのは、今のところは書評とか、みんなが読んで評価したことがその連載順位に関わってきています。
内容も重視されているのだということ。
人気とか本の表紙とか題名とか、そのような判断材料もありますけど。
なので、私はkindleもやっていきたいなって思いました。
それくらい、無料のブログの情報は信頼性は低くなってしまっています。
今すでにそうなので、これからもその傾向は続いていくと思います。
でも、みんながググってなにを参考にするのかといえば、ブログ記事なんですよね。
では、次に、となったときに紙の本となるんですけど、でもそうなると、すぐに手にしたい情報というのはなかなか手にできない。
専門的な信頼を得るために本と言うのは何か月もかかったりしますし、紙の本は運ばれてくる。
紙の本のkindleをすぐにインストールして読みことはできるという利点はありますね。
そうやって利用するなら、お金はかかりますがブログよりは信頼性がおけます。
ブログと紙の本のその中間にあるのがkindleです。
内容は考えられているし、それによって評価が得られるようになっている。
そして、すぐに出版できる。
かつ、信頼性は紙の本に比べて低いものの、ブログよりは内容に気をつかっているものになっている。
ブログとkindleと紙の本というまた違ったあり方があるのではないか。
そう思いました。
では、お聞きいただいてありがとうございました。