「なぜ世界は存在しないのか」(マルクス・ガブリエル著 2018)を参考に、「世界は存在しない」とはどういうことかを解説していきます。
端的に言おうとしていることを述べます。
モノの見方には対象領域がある。
- 対象領域⇒特定の種類の諸対象を包摂する領域のこと。
私の領域とあなたの領域と、蜘蛛の領域と、Aさんの領域のすべては包括することができない。
哲学でいう世界とはすべての領域の領域。
よってそのすべてを包括する世界は存在しない。
このことを、世界と宇宙の比較を通して具体的に解説していきます。
多くの人は世界と宇宙を同じようなものだと思っています。
しかし、混同すると、自分をごく小さな存在だと思ってしまうのです。
つまり、宇宙に対して人間は取るに足りない存在のように感じてしまうのです。
もっと言えば、いてもいなくても同じ存在なように。
そう思ってしまうときに「世界は存在しない」という考え方が役にたちます。
人間は一本の葦なのですが、それは「考える葦」なのです。
世界とは何か
世界とは何かを考えたときに、何を思い浮かべるでしょうか。
地球を想像した人もいれば、宇宙を想像した人もいると思われます。
世界を広辞苑から見てみます。
- (仏)天・地・海を具えた宇宙の中の一区域
- 地球上の人間社会のすべて
- 人の住むところ
- 世の中
- 世間の人
- 同類のものの集まり
- ある特定の範囲
- 作品の背景となる特定の時代・事件・人物をさす概念
省略して書きましたが、それでも8つもの意味を持っています。
英語の訳でも、world、universe、societyと3つ出てきます。
なぜ、世界という言葉はこれほど意味を持っているのでしょうか。
世界を捉えにくいという理由を、マルクス・ガブリエルの例題から具体的に見ていきます。
あなたの視点で想像してみてください。
あなたの世界
あなたはレストランにやってきました。
レストランには従業員や他のお客さんがいます。
人のざわつき。
目の前においしそうな料理や飲み物があります。
夜景が窓に映し出されています。
飾りやテーブルクロスも目に映ります。
実際にその場にいたとすれば、まだまだ限りない目に映る印象が飛び込んできます。
小説の場面背景をイメージしてみましょう。
自分を主人公にして、5官で感じられるすべてのことが記述できます。
あなたの世界を見てきました。
しかし、世界はこれですべてでしょうか?
場面を切り取った場合の世界をみてみます。
場面を切り取った世界。
レストランには他の人もいます。
その人が描き出す世界が存在します。
人以外でも、その場にいる生物もいます。
レストランには似つかわしくなく、蜘蛛の巣を張っているかもしれません。
さらに、私のホルモンや細胞はどうでしょうか?
私は実はストレスが溜まっていることに、気がつかないかもしれません。
その場にある空気。
原子や粒子で存在しているもの。
レストランが構成されている木や鉄やその他の物質。
あなたが認識できなかった世界を見てきました。
あなたは世界の記述を、すべては出来ないことに気がつきます。
物語に関係のない蜘蛛や私の体調不良など、記述から省く出来事もその場面にはあるからです。
私の物語と関係がなく、そのレストランの場面を切り取ったとします。
- 蜘蛛が主人公になった世界
- コックさんが主人公になった世界
- ウイルスが主人公になった世界
- 空気が主人公になった世界
様々な小さな世界が存在します。
すると、気がつきます。
これらすべてを包摂するひとつの世界は存在しないということに。
事実は存在しています。
けれど、いっさいのものがほかのすべてと関連しているというのは、たんに間違いです。
人は何かに執着していると、そのものが特に重要な気がしてそのものと世界を結びつけています。
確かにそのものもあるのですが、他のものもあるのです。
事実としての世界もあり、本人の思っている世界もあります。
あなたが知らない事実も存在していたのですが、その場では気がつきません。
だから、世界は捉えにくいのです。
捉えにくいからこそ、混同が起こります。
世界と混同されがちな宇宙を考えていくことで、考えを深めていきましょう。
世界と宇宙
宇宙とは何か。
広辞苑からみてみます。
- 世間または天地間
- (哲)時間・空間的な秩序をもって存在する事物・世界の総体
- (理)すべての時間と空間およびそこに含まれる物質とエネルギー
- (天)すべての天体を含む空間
4つの意味が述べられていました。
私たちが宇宙を意味する場合、わたしたちが存在している場として最大級の全体を表しています。
物理的には宇宙は最大級に大きいのですが、世界より意味の数は少ないのです。
私たちは普通、宇宙と言えば、暗闇を背景にしてきらめいている銀河や、そのほかの天文学的対象の巨大な集積のことを考えます
天文学者や物理学者が研究の対象としているものを思い浮かべるのです。
マルクス・ガブリエルはもっと身近に考えるために、対象領域を使って説明しています。
対象領域とは
対象領域とは、特定の種類の諸対象を包摂する領域のことです。
(ハイデガーが考え出したことだと述べられていました。)
- 足し算では1+1=2が正解
算数の時には田んぼの田とか、無限になるとか言い出さないから - お金を持たずにお店に来た
お金がないとお店では買い物できない
これらの例題は、対象を関連づける規則が定まっているということです。
算数の場合、足し算のルールに従っています。
例えば、哲学をする対象領域では1+1=2を正解としなくても問題にはなりません。
他にも、お店ではお金によって買い物するというルールの対象領域もあります。
さまざまな対象領域としてのルールがあり、私たちはそれに従っています。
「このように数多くの対象領域が存在しますが、日常的には、わたしたちは何の造作もなく対象領域を区別することができています。」
礼儀としての形式知を知ったり、その学問を成り立たせている基礎やルールに基づきます。
日本人の感覚で言えばこの対象領域を区別することが空気を読む、と表されるかもしれません。
日常的に対象領域を区別できていると思うからです。
しかし、この対象領域は何の造作も必要もしないという点で、間違いを含みやすくなります。
果物にはイチゴやスイカを含まないように、対象領域も学問を必要とするのです。
日本の感覚でその場の空気を呼んだとしても、全体主義へ傾いてしまうといった問題を含むこともあります。
宇宙の対象領域とは
では、宇宙の対象領域を考えてみましょう。
「厳密に考えてみれば、宇宙はもっぱら自然科学のーとりわけ物理学のー対象領域にすぎない」
「宇宙は、物理学の対象領域ないし研究領域にほかならない以上、けっしてすべてではない」
さきほどの対象領域の例で考えてみます。
- 宇宙には僕の生きる意味が含まれている?
物理学ではその答えは用意されていない - 宇宙におばけはいるのかな?
物理学では答えられない
宇宙を自然科学の対象領域として考えると、今まで混同しがちだったものが宇宙では考えられないものだと気がつきます。
生きる意味やおばけについては、人の捉え方なので物理学では答えが用意されていないのです。
これらを考える場合は、世界から考えます。
世界とは、すべての領域の領域にほかならないからです。
世界とはすべての領域の領域
「世界とは、すべての領域の領域」を具体例で考えてみましょう。
マルクス・ガブリエルはニーチェを引用して説明します。
英雄をめぐってすべては悲劇になり、半神をめぐってすべてはサテュロス劇になる。
そして神をめぐってすべてはーどうなるのか。
あるいは「世界」になるのか。
続いてマルクス・ガブリエルはつけ加えます。
自然科学者をめぐってすべては宇宙になる。
兵士をめぐってすべては戦争になる。
私たちは自分に特有のフィルターを通して、世界のものごとを捉えてしまうのです。
「神をめぐって世界になる」というように。
対象領域のひとつを世界全体と見なすのは間違っていると本では述べられています。
世界をすべての領域の領域とした場合に、それを包括する領域がないので、そのような世界は存在しないのです。
世界は存在しないとは
「世界は存在しない」とは、哲学では世界を全体の領域の領域ととらえるからです。
人やモノそれぞれの視野があり、それを包括するような全体はありません。
よって世界は存在しないのです。
「世界は、対象ないし物の総体でなければ、事実の総体でもない。
世界とは、すべての領域の領域にほかならない。」
人間を一本の葦のように考えるとき、人間は無力な存在です。
しかし、世界から考えたときには宇宙を包括する考える葦になります。
あなたの視野から「世界」を見ることができるからです。