>>人間とは何か|高校倫理1章①
第1節「青年期の意義」 ②青年期とは何か
- 青年期はどのようにうまれたのか
- 青年期における心理学
- 青年期における友情
青年期はどのようにうまれたのか
「人間は生涯を通して発達していく存在である」
発達とは誕生から死にいたるまでの人間の心身の変化のこと。
単純に考えてみると、ここでは誕生(赤ちゃん)から死(老人)という一直線が浮かび上がりますが、ここに「子ども」という段階を発見したのが思想家ルソーです。
われわれは、いわば二回うまれる。
一回目はこの世に存在するために、二回目は生きるために、つまり最初は人間として、次は男性・女性としてうまれる。
……思春期に達するまでは……女の子も子どもであり、男の子も子どもである。
……これがわたしの第二の誕生だ。
ルソー『エミール』
ルソーの凄さは「子ども」の発見です。
ルソーが思想を説くまでは、「子ども」という概念はなかったと言われています。
「子ども」ではなく「小さな大人」でした。
つまり、「小さな大人」は出来そこないの大人だとみられてきたのです。
この発見によって教育学が誕生。
子どものための教育が考え出されていったのです。
子どもの発見から青年期の必要性へ
ルソーは自分をこのように書いています。
この世で僕は何をしたか?
僕は生きるために造られたのである。
そして、生きることなく死ぬ。
「孤独な散歩者の夢想」(ルソー 青柳瑞穂訳)p25
ルソーは第二の誕生(二回目は生きるため)を説いたのですが、「生きることなく死ぬ」と述べたのです。
>>自己愛とは
近代以前の社会では第二次性徴があらわれると、子どもからおとなになるための通過儀礼(例えば、成人式や婚礼)が行われて、それによって大人とみなされました。
しかし、近現代では一定の学習期間が必要だと考えられるようになったのです。
社会的に成熟するための見習い期間として青年期が求められるようになりました。
青年期における心理学
青年期を考察した心理学者を見ていきます。
エリクソン
「人が生まれて死に至るまでに見られる、一定の周期的な発達段階(ライフサイクル)がある。」
ライフサイクルを考えたのがエリクソンです。
エリクソンはフロイト(精神分析学の創始者)の発達理論に人間関係や社会的な視野をとりいれて心理社会的発達理論を展開しました。
エリクソンは青年期を「心理社会的モラトリアム(猶予期間)」と名づけました。
青年期は社会的な義務や責任に対して猶予が与えられた状態です。
エリクソンがモラトリアム(猶予期間)に特に重視したこと。
それはアイデンティティの確立です。
アイデンティティの確立によって青年期が終了して、成人期に入るとエリクソンは考えました。
マージナル‐マン
子どもでも大人でもない青年期の人たちをマージナル‐マン(境界人)とレヴィンは言いました。
一番初めにマージナル‐マンと言ったのは社会学者のロバート・E・パークですが、レヴィンは心理学に応用しました。
マージナル‐マンの違い
- パーク⇒どの文化圏にも完全に同化できずに、複数の文化に不完全に属している人々(移民など)
- レヴィン⇒子どもではないけれど大人にもなり切れていない、境界線にいる不安定な存在
(心理学用語大全 参照)
どこにも属していない、という意味合いが2つに共通です。
レヴィンはマージナル‐マン特有の利点もあげます。
マージナル‐マンは集団に属していないので、その集団を客観視できるのです。
多文化を外から見つめる、大人社会や子供社会を外から見つめる。
そのまなざしによって、例えば文化融合や新しい価値観をうみだし、社会的に成功できることもあります。
ただし、その反面としてある文化圏や世界に属していないために、自身に一貫したアイデンティティが見出しにくいという面があるのです。
青年期における友情
青年期においては、同年齢の仲間との関係も見ておきたいポイント。
青年は友との関係を通して自己を知っていくのです。
「友は第二の自己である」
>>天才と変人は紙一重
ヤマアラシのジレンマ
友人関係を通して社会関係のスキル(ソーシャルスキル)が獲得されます。
しかし、密接な友人関係をむすべない若者も増加中。
それを説明する例はヤマアラシのジレンマです。
とげのような剛毛をもつヤマアラシ。
その一群が冷たい冬をしのぐためにぴったりとくっつき合おうとします。
ところが。
痛っ!
お互いにとげの痛さを感じて、くっついては離れてを繰り返すという例え話です。
元の文献を読みたかったんだけど、全集の中にあるらしくて、手に入れることができなかった…
>>青年期の課題