トマス・ホッブズ(1588~1679)は近代的な社会契約説をはじめに説いた人だと日本の教育では教えられています。
日本では、ホッブズ⇨ロック⇨ルソーの理論を、「近代的な個人を基礎にする国家」が成立するまでの社会契約論としてよく説明されるからです。
様々な説がありますが、ここは日本の教育に従って、ホッブズの著書「リヴァイアサン」の思想を詳しく見ていきましょう。
国王はリヴァイアサン(海の怪物)のようであれ!
ホッブズは人間をどうとらえ、社会を営んでいくためには何が必要だと説いたのでしょうか。
現代でも言われている主義(リバタリアニズムなど)の元をたどっていくと、ホッブズの人間観が応用されていることがよくあります。
「ホッブズ」社会契約説の成り立ち
ホッブズの社会契約説の成り立ちを見ていきます。
近世(ルネサンスから市民革命・産業革命の頃まで)では、国王の権限は神に与えられたものでした。
王の権限は神から与えられたのだ!
この理論の支えを王権神授説と言います。
人民は神に従うのと同様に、国王に服従しなければいけませんでした。
しかし、時代は進み、このような考えを持ちます。
自由な個人としての権利がある!
この考え方に対して、ホッブズはこう考えます。
こう考えたホッブズは新しい社会秩序を、社会契約説として述べていきます。
なぜ闘争になると考えたのかと言うと、それには自然権が関わってきます。
個人の権利は昔から考えられてきました。
古代ギリシャにおけるストア派から自然権につながる考え方をみていきましょう。
ストア派の考え方
古代ギリシャでは、小さな共同体に分かれて暮らしていました。
けれど、アレクサンドロス大王が帝国を作り上げると、小さな共同体の区切りがなくなりました。
不安。
小さな共同体に自分たちのアイデンティティを持っていた人々は不安になります。
例えれば、家族がなくなってしまうようなもの。
この不安を取り除くためにキプロスのゼノン(BC335-263)がストア派を創始しました。
ストア派の考えでは人がもつ自然法(自然権)を認めています。
自然法とは文献を参照にするとこちら。
自然法とは、自然が全ての動物に教えた法である。なぜなら、この法は、人類のみに固有のものではなく、陸海に生きる全ての動物および空中の鳥類にも共通しているからである。雌雄の結合、すなわち人類におけるいわゆる婚姻は、実際にこの法にもとづく。子供の出生や養育もそうである。なぜなら、私が認めるところによれば、動物一般が、たとえ野獣であっても、自然法の知識を与えられているからである。(wikiペディアより抜粋-ストア派の自然法論)
今ではこの自然法の考え方が自然権として捉えられています。
自然権とは「快楽を求めて、苦痛を避け、自己の生命活動を維持する権利である。」(哲学用語事典 参照)
もっと休みたい!
もっと女の子にもてたい!
このような人間の欲望があるに違いないと仮定したものを自然権といいます。
この考え方では、人間に普遍的な法則が存在することを認めています。
ストア派では個人の幸福を追求する方向に自然法を使いました。
人間はみんな等しく平等であると考えたのです。
ホッブズが考える自然状態とは
ホッブズが考える自然状態とは、権威が存在しない状態を言います。(哲学用語事典)
ホッブズの自然状態の前提として、人間の自然権を認めます。
認めるので争いが起こるというのです。
なので、ホッブズは闘争状態になると考えたのです。
人を狼だと考えたホッブズは人間の自然状態を「万人の万人に対する闘争」状態だと捉えました。
ここから、人権の保障と、国家の平和と安全をホッブズは考えていきます。
ホッブズは人間の能力は、個人間では大差のないものだと考えていました。
人を平等と考えていたと解釈できます。
そして、能力に差がないから、決着がつかないと考えたのです。
ホッブズの著書「リヴァイアサン」から社会契約説をみていく
ホッブズの社会契約説では、「万人の万人にたいする闘争」状態を避けるために国家の設置を考えました。
人を狼だと認めた上で、人々が国と契約して、その力を王様に譲るという説です。
その王様はリヴァイアサン(海の怪獣)のような強い力を持つべきだとしたのです。
イメージだと海の怪獣ですが、著書「リヴァイアサン」の表紙は巨大な王様です。
王様は右手に剣、左手に杖をかざして君臨しています。
そして、よく見ると巨大な体は無数の国民から成り立っています。
剣は世俗的な権力。
杖は教会の権力。
人からなる体は国家そのものを表します。
国民は契約から、リヴァイアサンに絶対服従をします。
契約を守らない人は、リヴァイアサンによって処罰されます。
恐怖政治です。
このような仕組みを作れば、神を持ち出さずに社会秩序を保てるとホッブズは考えました。
ホッブズのリヴァイアサンは無神論です。
権力者と神との分離は、近代の社会契約説につながっていきます。
まずは神と国王の権限とを分けて考えられるようになりました。
しかし、国家の仕組みとしてはまだ絶対王政を認めていました。
恐怖によって国民を支配しようとしたからです。
ホッブズのリヴァイアサン‐まとめ
ホッブズの著書「リヴァイアサン」の社会契約説では、絶対的な権力が国を統治すべきだと述べられています。
リヴァイアサン(海の怪獣)のような恐怖の存在による統治です。
絶対王政は認められたままになっていますが、国王の権限と神は分離されています。
(王権神授説の否定)
なぜ恐怖によって統治しなければいけないか。
ホッブズによれば人間の能力は同じものなので、その同じもの同士が争うと戦いが終わらないと考えたのです。
ずっと「万人の万人に対する闘争」状態になってしまう、と。
それでも、王権神授説の否定は近代の社会契約説の一歩になっています。