おはようございます。けうです。
今日もマーケティングについて学んでいます。
項目は広告の倫理性についてです。
ベネフィットとモノ
ちょうどこのことを私は悩んでいました。
私はメールマガジンをやっているんですけど、ちょうど詐欺師と言われているんですよね。
きっぱり言ってしまえば、紹介しているのはWPの立ち上げとその装飾のテーマを買わないかという宣伝です。
自分のことを詐欺師だとは思ってはいません。
売り手は買い手にベネフィットを売ります。
私はこの商品を売られて良かった。
買ってよかったと思ったので、それを勧めたいと思った。
だから、その商品を売りたいと思っています。
私はブログとか、文章を書いたりするのが好きなので、これが副業にできたらいいなと思っていたから、メールマガジンに取り組みました。
好きなことで収益を得られるっていうのは、私の望みでもあります。
そして、その商品を提示されて私は嬉しかったから進めている。
ターゲットが私だから嬉しい事なんです。
でも、詐欺師よばわりされるのはどうしてだろうと考えます。
詐欺について
詐欺師と私のことを呼んでいる方は、私のメールマガジンを読んでいない。
おそらく読んでいるとしたら紹介ページです。
そのページでの権威性の誇示に不快感を抱いているのだろうと推測します。
そして、私のメルマガを読んでワードプレスを初めても、きっと稼げないのに、という思いと共に批判しているんだと思います。
やり方をしらない95%の人はWPでは稼げないので、買った後でも後悔すると考えているのだと思います。
現に私も今は夢をみてやる気に燃えている段階で、すごい実績があるわけではありません。
それでも、こんな心持にしてくれた商品に関してとても好意的に思っています。
だから、宣伝してもいいと考えています。
そして、前でも述べた通り、人の特性はばらばらです。
ある人に商品を売ったとしてその人にとっては詐欺だったということはかなりありえることだからです。
なので、メルマガを書くときに私は人物設定をしなくてはいけない、と言われました。
そして、私は過去の私あてに書いています。
夢や希望を持たなかった私に、それを持たせるように書いている。
でも、きっとそれを受け取って詐欺だと思うような人にも届けてしまうから詐欺と思われてしまうということ。
私はもっと腕を磨く必要があるなと思いました。
まずは紹介ページの書き直し。
もっと過去の私に刺さるようにしなければいけない。
最近思っているのは心理学テスト判断です。
仕事において、あなたが何に一番の重きを載せているかということ。
あなたのタイプです。
心理学から動機タイプを探る
やる気は遺伝で決まる。
やる気は専門的には動機というそうです。
心理学者マクレランドは4つの動機があることを指摘しています。
本は「脳はすこぶる快楽主義」を参考にしています。
4つの動機。
1達成動機―目標を達成したいという欲求。
2回避動機―失敗や困難を避けたい欲求。
3親和動機―良好な人間関係を結びたい欲求。
4権威動機―他者への影響力を行使して制御したい欲求。
自分がどの欲求の持ち主なのか、サイトで調べるところもあるそうですが、なんとなく自分で意識します。
そしてこの本では子どもに限っていますが。
子どものやる気の個人差の43%は遺伝子で説明できることがわかったそうです。
そして、私はずっと回避かと思っていましたけど、どうやら達成動機なんですよね。
何か目標があって、それを完遂することに自分の欲求がある。
そして、それを昔の自分にお勧めすることは、自分にとってありがたいことだと認識しています。
となれば、私が私のメルマガを読んで!
と宣伝する人も、1の達成動機の欲求を持っている人になら、買ってもらっても満足する仕様になっていると私は考えています。
そして、メルマガや商法によって人との信頼関係を崩すのではないか、と言う人は親和性に重きを置いている人なので、私のメルマガは合いません。
回避欲求の人も、合わないでしょう。
権威欲求の人も、同じような商品に手を出すかもしれないですけど、私の紹介する形にはまる人ではないと考えます。
そうやって人をしぼって初めて、私は詐欺ではないと、自分に自信を持って言えるのではないかと思いました。
人によって商品が合わない場合は詐欺だと受け取ってしまう。
その受け取る人を制限してみたのです。
少し前まで読み手の人柄を考えずに全般的に推薦していたので、買い手が被害にあうことを加味して詐欺のようにとられるのかもしれませんね。
私に触発されてワードプレスを始めたけれど、稼げないし、信頼性をそこなったと思う人に関しては。
消費者はモノを消費するのではなく、期待されるベネフィットを消費する。
自分へのご褒美を消費する。
それを消費できる形を私は考えていかなければいけないと強く思いました。
レビットの語る倫理性
そして、今回広告の倫理性をめぐる考察の小論の中での言葉をそのまま紹介します。
装飾と不誠実の違いを理解し、不誠実さがいまの時代にはいかに稀であるかを心得ておいたほうがよい。
コミュニケーションが氾濫するこの時代、販売促進がうるさいほど盛んだが、それを深く考えないまま悪意と混同する必然性はない。
これは、実績のある教材というのはその恩恵を受けている人が多いということを表しています。
人による吟味が進んでいるので、ある程度良い商品が市場に出回るようになっているということです。
一般的なものは利益を受けにくいのは、製品ライフサイクルで説明しましたが、みんなの信頼が集まってきて宣伝しても支障がない商品があるということです。
つまり、みんなが良いと思ったから売れている、と。
それから、レビットはこうも言います。
広告の正当性な利用とその濫用との区別は紙一重だと。
例えとして、芸術家は芸術作品においてみんなに肯定されていますよね。
見る人にその想像を売るから。
かえって商品も想像は売ります。
「工場では化粧品をつくります。店舗では希望を売ります。」
「ありのままの現実ばかりを見せつけられると、人間は耐えられない」と。
レビットは芸術とマーケティングとの類似点も述べています。
芸術と広告の区別に対して、目的違いだと明確に区別することはできないのではないか、と。
引用を述べていきます。
人間は、魅力的な演出、粋なパッケージ、創意に富んだメッセージなどによって、心を浮き立たせたいと望み、それを必要としている。
親しみあるブランド名がもたらす安心感。-そうしたものが欠かせないのだ。
消費者よ、なんじを知れー
消費は我々にとってきわめて日常的な行為であるため、消費者としての自覚を持つことが望ましい。
販売促進がうるさいほど盛んだが、それを深く考えないまま悪意と混同する必要性はない。-いかに歪みを避けるかではない。
どのような種類の歪みを自分たちが望んでいるかを確かめ、謝罪、不確実さ、悪意などと距離を保って人生を耐え抜くことが重要である。
最後に、夢を見てもらうのも商売の一環であり、真実があるのもその一環。
その中での中庸(真ん中、中間)を売る側も、買う側も考えていかなくてはいけないと私は思いました。
では、今日もお聞きいただいてありがとうございました。