レヴィナスの「顔」は、実体的な顔のことではありません。
他者の他者性を意味する比喩的な概念として捉えます。(哲学用語図鑑 参照)
レヴィナスの「顔」を知ると、私たちがおちいってしまいがちな全体主義の欠点が見えてきます。
エマニュエル・レヴィナス(1906~1995)はこんなイメージ。
「顔」を説いたレヴィナスの哲学を見ていきます。
社会が不安定な時に人は強いリーダーに頼りたくなります。
強いリーダーを立てる全体主義と関係させて、彼の哲学を見ていきましょう。
レヴィナスの「顔」とは
レヴィナスの「顔」は、他者の他者性を意味する比喩概念です。
このイメージを具体例でみていきます。
例えば、子どもがおやつを欲しがったとします。
まずあげました。
その上で、もっと欲しい! と言われたとします。
この場合に私はこのように語りかけました。
(僕が食べるとお姉ちゃんの分がなくなっちゃうんだ・・)でも、いる!
欲望はさておき、子どもは他者性を意識しないときは自分の食欲にただ忠実でした。
しかし、姉という他者を意識したときに、選択に迷いが生じました。
子どもの脳裏には、姉のことが浮かんだはずです。
これがレヴィナスの「顔」の概念です。
「顔」を意識しなければ、他者との関わりはありません。
しかし、姉の「顔」と関係したからには、自分がお菓子を食べた場合にどうなるのかを想像します。
ここでは、お菓子がなくなると姉が悲しむかもしれないという倫理的な責任をおいました。
人は自分が解釈した自分中心の世界を持っています。
その自分中心の世界から他者の「顔」を見ることで、その「顔」に責任をおいます。
では次に、人が自分中心の世界をつくり上げる要因を見ていきましょう。
それにはイリヤが関わってきますので、イリヤも解説していきます。
レヴィナスの「顔」とイリヤ
レヴィナスが自分中心の世界をつくりあげた要因にイリヤがあります。
イリヤとは、主語無き存在です。
すべてが自分とは無関係に存在している状態を言います。
フランス語で「~がある」を意味します。
言葉のパラドックスにもなりますね。
「無い」はないけれど、あるものとして語ることができています。
イリヤはレヴィナスにとって恐怖の存在です。
このイリヤから逃れるために、自分中心の世界をつくりました。
いわば、自分中心の世界とは「ひきこもり」のイメージです。
自分中心、言い換えると私中心の世界にイリヤは入れません。
イリヤという言葉が自分と無関係の存在を指すからです。
私がイリヤを解釈したときには、自分との関係を持つのでイリヤではなくなります。
ただ、世界はイリヤであふれています。
自分との関係を持たないものが数多くあるからです。
そんな中、私中心の世界に固執すると、私の世界の外にいるイリヤは恐怖の存在になります。
人は知らないものを恐れる傾向があるからです。
では、レヴィナスがイリヤを恐怖の存在として見るにいたった理由。
それを具体例をふまえてみていきましょう。
レヴィナスにとってのイリヤー具体例
レヴィナスは第二次世界大戦中、ユダヤ人の息子に生まれました。
ナチスによる迫害があったのです。
レヴィナス自身は強制収容所にいました。
家族、親戚、知人のほとんどが殺されてしまいました。
私だけがなんとか帰還できた。 でも世界は・・
いや!何事もないかのようだったんだ!!
レヴィナスが解放されると、世界は何事もなかったかのように存在していました。
レヴィナスにとってはすべてを失っていた。
それなのに、何かの存在がありました。
レヴィナスの自分中心の世界以外の、数多くの何かが存在していたのです。
それをレヴィナスはイリヤと呼んで恐怖の存在として捉えました。
わかる存在を私中心の世界において、わからないイリヤを私中心の世界から閉ざしたのです。
この世の存在が信じられなくなりました。
イリヤから逃れたかった。 ひきこもっていたかった。
しかし、レヴィナスはイリヤを知っていたので、ひきこもることが出来なくなってしまいました。
イリヤとは恐怖の存在であると同時に、他者の存在にもなりうるからです。
イリヤは私中心の世界に関係しうる存在であることを、レヴィナスは知っています。
さらに、イリヤは自分と同じような犠牲者になりうる存在だということも知っていたのです。
自分が受けた迫害を誰かが受けることになる。
そうなると、自分が受けた迫害が無駄になる、とレヴィナスは思いました。
このように考えたレヴィナスは「顔」の概念を広めました。
イリヤは無限の存在ですが、その中には他者がいます。
他者は私の世界には取り込めません。 (取り込むと他者ではなくなります。)
ではどうやってその他者と関係を持つのか。
それは、その他者の「顔」と関係したときに、私が他者に責任を負うと言います。
他者の存在を存在として捉えなければ責任を負わないのですが、他者の存在を捉えることで他者に責任を負うのです。
私中心の世界は恐怖のイリヤに囲まれています。
イリヤに囲まれた私中心の世界から抜け出すには、他者の「顔」をみることだとレヴィナスは言うのです。
では、どのように抜け出せばいいのでしょうか。
レヴィナスの「顔」から、私中心の世界を脱出する
私中心の世界を脱出するには、他者の「顔」を見る。
このことを具体例で見ていきます。
冒頭の例では、子どもが姉を意識することで自分の食欲を少し抑えようとしました。
他者の「顔」を意識すると、無条件に他者に責任を負います。
もし子どもが姉のことを無視しておやつを食べてしまったとしても、その罪悪感が残ってしまうと言うことです。
よく募金募集のポスターには他者の存在が写っています。
子どもの写真が多いのですが、その「顔」に無条件で責任を負わせる効果があります。
他者を意識させることで、私中心の世界から脱出させようとします。
イリヤというわからない恐怖が、個別的な「顔」になります。
人はわからないものには対応ができませんが、わかることで関係性を持ちます。
迫害の恐怖から逃れられない個人を助けることも、その迫害を支持する存在に対抗することもできます。
では次に、「顔」を意識することと全体主義との関係を見ていきます。
レヴィナスの「顔」を意識すると他者が見えてくるのですが、全体主義におちいると他者が受け入れられなくなると言われています。
レヴィナスの「顔」と全体主義との関係
レヴィナスの「顔」と全体主義との関係をみていきます。
まず、全体主義とは何かをみていきましょう。
全体主義とは
全体主義とは、個人よりも国家、民族、人種などの集団を優先する思想。
単独の政党が集団優先の思想を強制します。(哲学用語図鑑)
人は孤独の不安やむなしさから一体感を求めて思想によってつながろうとします。
その過程で、カリスマ的な指導者を立てて大きな思想集団をつくり上げます。
例えば、ナチスが優れているというナチズム。
日本人が一番良いという思想。
このような思想から虐殺などの歴史があります。
人は集団思考をつくりやすいのですが、その場合、他者を排除します。
その集団思考と同化する個人はいるのですが、その思考に対立する他者を受け入れることがないのです。
なぜかというと、他者を受け入れると全体が崩壊してしまうからです。
他者を受け入れませんが、対立するものとして他の存在があることは知っています。
存在というイリヤがあることを知っているのですが、「顔」を見るわけではなく、それに対抗するように自分たちの存在を強調します。
自分たちの集団の方が強くて有益なことを主張するのです。
レヴィナスの「顔」が全体主義の問題を解決する
全体主義は、レヴィナスの「顔」を見ません。
他者を受け入れていないからです。
受け容れないということは、他者を人間として見なくなると言うことでもあります。
他者の存在を見なくなることで、他者について責任を負わなくなっていきます。
その結果として、レヴィナスが「顔」の概念を考え出し、イリヤを乗り越えていこうと言う思考を述べました。
経済状況が悪くなると、法令を順守しなくても異次元の政策を実行できる強いリーダーを求めるようになるという説もあります。(未来への大分岐 2019)
強いリーダーにより統一する全体主義の弊害は他者を考えられなくすることです。
その弊害をなくす思想として、レヴィナスの「顔」があります。
わからないイリヤを見る。
関係した他者の存在に責任を持つ。
という、全体主義の弊害を乗り越える思想でもあるのです。
レヴィナスの「顔」ーまとめ
レヴィナスの「顔」は、実体的な顔のことではなく、他者の他者性を意味する比喩的な概念として捉えられます。
人はイリヤから逃れるため、自分が解釈する私中心の世界にひきこもる傾向があります。
イリヤとは、自分とは無関係に存在している存在です。
私中心の世界から脱出するために、レヴィナスの「顔」に着目します。
そうすることで、他者に責任を負います。
責任を負うことで、全体主義の弊害におちいりません。
レヴィナスは道徳を取り扱う倫理哲学者と言われています。
全体主義から抜け出すために、レヴィナスの「顔」をみてきました。