このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
今回は
高校倫理第3章
「日本人としての自覚」
第2節「日本の仏教思想」
⑥日蓮の生涯
を扱っていきます。
聖徳太子から神道と仏教が融合する日本仏教が始まったとされ、そこから最澄と空海による山岳仏教がさらに日本仏教を形作ります。
そこから、仏教で言われる末法思想の歴史観が世に広まりました。
末法⇒正しい教・行・証(教え・修行・悟り)がなく、すべて見失われて災いが広がる時代。
1052年に末法に入ったと信じられた。
その頃、疫病や飢饉などでまさしく末法の世の中。
ですが、日蓮(1222-1282)は道元(1200-1253)と同じく末法を否定して、現世で悟ることが可能だと説きました。
日蓮はその生涯と人間性で、多くの人を惹きつけた仏教者です。
日蓮は日本仏教の原点「法華経」に帰ろう、という主張を生涯にかけて貫いた
ブログ構成
参考文献 代表的日本人(内村鑑三著、鈴木範久訳)
日蓮の生涯
日蓮は安房(千葉県)の漁師の子としてうまれました。
12歳のときに、清澄寺にはいり、天台宗を学びます。
その後、比叡山をはじめ各地で修行して、32歳で清澄寺にもどり日蓮宗をひらきました。
日蓮は生涯に注目していくよ!
まず生まれが漁師だったこと、エリート教育ではないこと、こういうこともポイント
当時はきびしい社会差別のあった時代。
その中で宗教の道は、低い身分に生まれた天才が出世する唯一の道でした。
日蓮は親にとって自慢の子だった。
清澄寺でも後継者にと考えられていたよ
日蓮の課題
日蓮にはある内部葛藤がありました。
「どうして仏教に無数の宗派が存在するんだろう?」
日本仏教でも扱ってきた通り、天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗、時宗、臨済宗、曹洞宗と、他にも多くの宗派にわかれています。
疑問に思った日蓮が『涅槃経』を読んでいると、そこにはこんな言葉がありました。
「依法不依人(えほうふえにん)」
⇒真理の教えを信じて、人に頼るな
つまり、人の意見がもっともらしく聞こえても、「仏尊」によって残された経文こそ頼るべきである、と解釈したのです。
日蓮は「法華経(ほけきょう、妙法蓮華経)」こそがブッダの教えを正しく述べた最高のものであるとしました。
聖徳太子と最澄からは「法華経」はもっとも重要視されていたのですが、その後の比叡山の僧侶には価値を低くみられていたのです。
最澄は法華経も大事にしてたけど、流行の密教も大事にしていたよね
日蓮は「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」という題目を唱える唱題(しょうだい)こそが救いにいたる道であると説きました。
「南無」⇒「帰依する」を意味⇒全面的に信じて頼ることをさす
つまり、南無妙法蓮華経とは「法華経」を絶対的に信じる、と述べています。
立正安国論(りっしょうあんこくろん)
日蓮は自分の一生を法華経にささげる覚悟をしました。
なぜかといえば、今の飢饉や疫病などの原因は、人びとの間に誤った教えが広められていることだと確信したからです。
ある逸話があります。
大阿上人(僧侶)が全信徒を恐怖におとしいれるような呪われた死に方をしました。
子どものようにちぢまり、皮膚は黒く変容していたのです。
日蓮にはその説いた教えの悪魔によるものであることの表れだと感じられました。
「すべては、この国に真の経典が説かれず、間違ったことが教えられ信じられているためである。
我こそが、この国に教えをよみがえらせる永遠の使命を帯びているのではないか…。」
「代表的日本人p155」
なぜ末法の世の中なのかといえば、「法華経」以外の教えがはびこっているからと日蓮は本気で考えた!
「法華経」のみを信じることが「天下太平・国土安穏(あんのん)」への道だと考えます。
『立正安国論』⇒日本に平和と正義をもたらす論。
救済の道は法華経を国民をあげて信奉すること
そして、日蓮は自らを法華経の行者(ぎょうじゃ)と位置付けました。
日蓮は他宗派の教えを激しく非難。
非難するのですが、後ろ盾もなく、留学経験もない日蓮はかえって迫害を受けました。
説法をすることで迫害をうける。
生きるのが難しい僻地への島流し。
それでも題目を唱え、他宗への非難をやめない。
この姿は末法の世に生きる個人の精神の支えとして、実践と救済の原理として信仰されました。
日蓮は迫害されるからこそ、これこそが正しい教えだ!と確信を深めたみたい
法難(ほうなん)⇒仏法を広めようとしたために迫害を受けること
流罪や弾圧や死罪(「
竜の口の法難」事件で奇跡的に助かる)にあっても、日蓮は説法を続けました。
「知れ、末法の世に聖典を説く者には、棒で叩かれ流罪にあうは必定である。
法華経の勧持品に二千年前に書かれてあることが、今、我らにふりかかったのである。
それゆえに法華経勝利の時の近いことを喜ぶがよい」
「代表的日本人p174」
末法でも現世で救われると説き、自分自身も苦難に耐える日蓮は民衆に受け入れられていった
ちなみに、「立正安国論」は外国侵略を予言(蒙古襲来のこと)したとされています。
日蓮の思想
日蓮は経典崇拝者です。
例えば、浄土宗が「南無阿弥陀仏」と阿弥陀仏を最高のものとして崇拝するのに対して、日蓮宗は「法華経」を崇拝します。
なので、「法華経」の教えに従うということがもっとも日蓮の思想をあらわしています。
四箇格言(しかかくげん)
日蓮は他の宗派を繰り返し非難しました。
特に有名なものを四箇格言(四つの有名な他宗批判)と言います。
- 念仏無間(ねんぶつむけん)⇒浄土宗は無間地獄へ落ちる
- 禅天魔(ぜんてんま)⇒禅宗は天の悪魔の教え
- 真言亡国(しんごんぼうこく)⇒真言宗は国を亡ぼす
- 律国賊(りつこくぞく)⇒律宗(南都六宗の一つ)は国賊である
たしか聖徳太子(法華経を大事にした)は和の精神を説いてた
国を平和にするという使命感にはかえられなかったんだね
ちなみに、天台宗は法華経を大事にしているので、日蓮は批判していません。
日蓮はみずからを
最澄の精神を継ぐ者と信じていました。
日蓮は男女平等を説いた
日蓮は女性に対してとても優しかったと言われています。
多くの仏典の中で女人の成仏をといているのは「法華経」だけ。
仏教の経典には、女人は仏になれないと書いてあるものも多いみたい
昔の立身出世の道が僧になることだとしたら、女性はその機会も少なかったんだね
例えば、時代では女性の生理は穢れ(けがれ)として扱われてきましたが、日蓮はそれは穢れではなく普通なことだと言いました。
四箇格言によって教派を批判する一方、残っている日蓮の手紙などからは優しい一面が語られています。
僻地に島流しにあったときも、なぜ生き延びられたのかと言えば、日蓮の人柄と言葉に感銘を受けた人々が食料をくれたからです。
有名な言葉
「われ日本の柱とならん、われ日本の眼目とならん、われ日本の大船とならん」
末法の世に「法華経」を広めることが、人々と日本を救う唯一の道だと日蓮は貫き通した
今回は日蓮についてやりました。
次回は仏教と日本文化について取り扱います。